武蔵野美術大学:「美大の誤解」を解く。アート・デザイン教育から学ぶ「価値創造人材育成プログラム」

PR

創立から90年以上に渡り、造形・教養教育に力を注いできた武蔵野美術大学。造形活動を通じて「正解のない課題を探究し、表現する能力」を備えた、多彩な人材を輩出してきました。

同大学では、これまでに培ってきた知見を活かし、アート・デザイン教育から創造的思考力を獲得して新規事業を創出するまでを実践的に学ぶ「価値創造人材の育成プログラム(Value Creation Program)」を開講しています。プログラムの目的や今後の展望について、社会連携活動・研究支援部門を担当されている大学企画グループ 連携共創チームの河野通義さんにお話を伺いました。


美大が行っている人材育成の本質


――履修証明プログラム「価値創造人材育成プログラム」が開講された目的や背景についてお聞かせください。

武蔵野美術大学は2029年に創立100周年を迎えます。

本学が90周年を迎えた2019年に、新たに市ヶ谷キャンパスを開設しまして、同時に「クリエイティブイノベーション学科」と大学院に「クリエイティブリーダーシップコース」を新設しました。

現在の長澤忠徳理事長は、当時学長を務めていたのですが、学長に就任した2015年当時、「美大は誤解されている」というスローガンを掲げたんです。それは何を意味しているかというと、我々の大学は毎年1000人の卒業生を出しているんですけれど、アーティストや専門的なデザイナーだけでなく、かなり幅広く、多様な卒業生を輩出しているんですね。ですが、美術大学で行われている人材育成がなかなか世間に伝わっていない。「絵を描くだけだよね」とか、「グラフィックデザインでポスターを作るんだよね」とか、かなり狭義な人材ばかりを育成しているというような、美大への思い込みがあることを課題として言われてました。

私も当時は入試広報を担当していたのですが、高校生や保護者の方と直接話をしていても、やっぱりちゃんと美大の人材育成が伝わっていないことを課題に感じていました。それをなんとか打破するための手段として、都心にキャンパスを持つことと、新しい学科を作っていく、ということがスタートしたわけです。

当時は「アート思考」「デザイン思考」というのが流行りだしていた時期でもありました。この新しい学科のコンセプトが、美術・デザインの専門家を育成するのではなくて、その美術・デザインのプロセスをまず身につけ、それから社会課題と伴走していくカリキュラムを作っていこうというところにあるんです。

美大入試はデッサンなど所謂実技試験を行うイメージが強いと思いますが、ここではそれを課さず、学科試験だけで入学します。そして入学後に、基礎教育としてアートとデザインを学ぶ。ここは「価値創造人材の育成プログラム(VCP)」とかなりコンセプトが近いのですが、そもそも疑ってなかったものに対して問いを立てられるような視点をつけるところを目的としています。 デザインはよく課題解決と言いますが、その思考法を学び、立てた問いに対して、デザインの手法で解決していくというプロセスです。

2019年に1期生を迎えてスタートした新学科・新大学院ですが、カリキュラムにおいて特徴的なのは、産官学共同プロジェクトと位置付けている点です。いわゆる企業や自治体と一緒にやるプロジェクトを必修に置いて、社会課題実装のような形で取り組んでいくというのをカリキュラムの中心にして立ち上げています。企業や自治体との産官学を通じても、美大の人材育成の本質も伝わるであろうという考えも含めて展開した背景があります。

ただその状態ですと、学部であれば4年間、大学院では2年間という手段しか持ってないので、時間をもっと圧縮して社会人向けプログラムを作れないかということが次に挙がったんです。我々は社会人のみを対象としたプログラムを展開した経験がありませんでしたが、大学が提供する以上、履修証明プログラムという形での展開を検討しました。そういったところで、先ほどのコンセプトを再構築して、 時間を圧縮して作ったのがこの「価値創造人材育成プログラム」になっています。なので、コンセプト的には、やっぱりアートで課題発見力・問いを立てる力をつけるというところと、デザインで解決力をつけるというところです。これを以って、事業創造とか、アイデアを創出できるようなことを目的としています。それを60時間で身に着けられるようにプログラムを組み立てています。


ビジネスに活かされるアート・デザインの思考法


――人材育成プログラムというのは他の教育機関でも行われていますが、それが造形教育で有名な貴学だと、特徴はどういったところにあるのでしょうか。

特徴としては、アートとデザイン、この2つの軸になるかなと思います。

様々な社会人向けプログラムがある中で、アートワークを個人が経験して、課題や新規事業に活かしていくという部分は、他にはない美大ならではのプログラムだと思うんですよ。

受講生の中には「図工とか美術とか嫌いだった」という方も多くいらっしゃるんですが、物を上手く創ってもらおうというのではなくて、大切にしている部分は実際に手を動かしてみて作るという体験です。

課題があって、それに対して取り組むと、作品ができます。その作品に対して「なんで自分がそう考えて作ったのか」ということをプレゼンテーションするんです。それに対して、教員や他の受講生も感想を述べてキャッチボールをする。講評というのですが、我々美大の人間にとってはものすごく普通のやりとりです。「私はあなたの作品に対してこう思った」という他者からの意見を聞けるというのは、実は割と希少な機会なんですよね。自分が伝えたいものが人にどう伝わっているか、どう見えているかを知ることによって、「そんなものの見方もあったのか」「そうやって疑ってかかることもあるんだ」と視点が広がっていくんです。

こういったワークを行っていくことで、自分で課題を探すことができるようになるんです。課題と聞くと、少子化とか、戦争とか、気候温暖化…なんていうことが頭に浮かぶかもしれませんが、それは課題じゃなくて問題なんですよね。身近な課題はいっぱいあるんだけど、課題がなんなんだか分かんなくなっているという現状から、問いを見つけて、「実はこうだったんじゃないか」と疑ってかかれるような力がつくというのが、先ほどのプログラムのかなり大きな特徴かと思っています。

このノウハウは美大の特徴だと思います。本などを通して身に着けるという話ではなくて、やっぱり実体験を通してやっていくというところが大事で、それは美大の行う意義であり、価値観だと思うんです。だから、「実は美大で学び、美大のメソッドを持っている卒業生だったら企業に行っても力を発揮できるよね」、という気持ちは元々あるんです。

ただ、体験してもらえれば理解が高まるものの、話して伝えただけでは「分からない」と反応をされることが事実として多いので、「美大でそんなことができるのか」という社会の見方に、我々はずっと向き合っているんです。


―― 確かに言葉だけでは伝わりづらいかもしれないですね。受講者の年代や職業はどういった方が多いですか。

20〜50代と幅広いですが、ボリュームゾーンは30代後半から40代になっています。履修証明プログラムの要件として、60時間の授業が必要なので、 土曜日の10日間を使って行っているんです。ただ、参加者の方々も我々も、毎週土曜日に出かけて行くということは、家庭を持っているとなかなか厳しいものがありますし、子どもが小さいと余計に大変なんですよね。であれば、平日の夜ならできるかというと、現状それも難しいので、当初想定していたターゲットよりも若干年齢層が上がっているかな、という気はしています。

業種のところでいくと、メディアやメーカーの方や、最近は金融系の方がすごく多いなという印象ですね。あと、商社の方がプログラムにすごく感動してくれて、社員研修プログラムとして発注いただいたというところから、VCP FOR BIZとして住友商事さんの社員向けにアレンジして展開したものがあります。

やっぱりアイデアを作っていくために、問いの立て方を身につけるというところに重きを置いているので、企業が次のリーダーや新規事業開発に関わっていくような人材を選抜して派遣することが増えている状況です。美大ということで、広告業やデザイナー志望の方が受講されるイメージがあるかもしれませんが、そもそもデザインのスキルを教えているとは一切謳っていないですし、教えてもいないので、そういうことを求めているケースなら別のプログラムがたくさんあると思います。


―― 実際に経験することに重きを置いているということですが、講座の中ではどういったワークが行われているのでしょう。

まずは課題発見力を高めるために、アートの部分は個人ワークにしています。身近な問いを立てるということを目的にしているので、それをアートワークの演習を通して力をつけていきます。後半は5人ほどのグループになり、演習的に設定した課題を解いていくグループワークを行っていきます。それぞれ自分の身近にある課題を持ってきてもらい、メンバーで集まってどの課題に取り組むかを話してもらっています。

このグループを作るためにも全員と面談をしていて、興味関心を持っていることなどをヒアリングの上、組み合わせなども考慮して作っています。どうしてもグループワークの課題はバーチャルになってしまうんですが、本当に企業内で新規事業として開発していくこともあり得るかもしれないという想定で、取り組む課題を決めてもらい、どういう解決策があるかを考えてもらいます。最後はプレゼンテーションで発表し講評を行います。

また、プログラムでもう1つ特徴といえるのが、アルムナイネットワークです。同窓生のコミュニティですね。普段の仕事では出会わないような異分野の方々が繋がることが多いので、そのネットワークを大事にしています。プログラムに参加して、ここで考えたこととか、課題に思ったことを今仕事で取り組んでいるだとか、その後のお話も伺います。今後、メンバーたちだけでスタートアップが始まったり、ここからまた新しいことに繋がっていったら面白いと思いますね。


プログラムを各地へと広げて「美大の誤解」を解く


――最後に、この教育の今後の目標やビジョンについてお聞かせいただけますか。

今後は、この履修証明プログラムを各地で展開したいと考えています。本学は東京にしかないというのが、強みであり弱みでもあると思っています。今は東京で新規事業開発を目的に定めてプログラムを行っていますが、別に東京じゃなくてもいいし、高校生や様々な対象に向けていってもいいと思っているんです。

それを展開していくのに、卒業生の力を借りられないかと考えています。本学では毎年1000人ぐらいの卒業生を出していて、就職していく学生が6割くらい、1~2割は進学や海外に行ったりしていて、あとはフリーランスやアーティスト活動をしていくんです。

この履修証明プログラムで若手のデザイナーやアーティストが講師になることで、年齢が近い人たちが一緒にいるという特徴も打ち出せますし、最終的には卒業生の支援になるかもしれないと考えています。

卒業生がアーティストとして活動を始める際には、やっぱりそんなに収入が多いわけではないと思うので、その支援にもしていきたいという考えもあります。

アーティスト、卒業生支援になるということを目的にするにしても、やっぱり回数と場所を広げていくことが今後の展開として必要ですね。それを実現することによって、本学の人材育成の部分がちゃんと世間に伝わって「美大の誤解を解く」ことに繋がるでしょうし、 大学としてもこの先社会における理解度の向上があることを期待しています。