エメラルドグリーンの清流や雪景色が美しい清津峡、空を映す棚田の水鏡など、四季折々の絶景と自然の恵みを享受できる新潟県十日町市。伝統行事「十日町きものまつり」、国際アート展「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」など、独自の文化が花開いている地域でもあります。
同市の地域おこし協力隊となって3年目を迎える市川優さんは、かつて仕事に追われ、幼い子供との時間を十分に取れなかったことから移住を決意したと言います。自然豊かな環境でのびのびと育つ子供を見守り、集落の人々を「父ちゃん」「母ちゃん」と呼び、日々お手伝いをしたり米作りを教わったりする中で気づいた田舎暮らしの魅力や生活の変化について、お話を伺いました。

「来てくれてうれしい」と手を合わせてくれる、集落の人々の温かさ
――市川さんは神奈川県のご出身なんですね。移住前はどのような生活でしたか?
神奈川県藤沢市なんですけど、海ではなく内陸の山の方の出身です。こっち(十日町)の父ちゃん母ちゃんたちには「こっちとは真逆の環境だったでしょう」なんて言われるんですけど、実家のすぐそばにトンネルや杉林があったので、窓から見る景色はそれほど変わらないですね。
地元ではアパレルの店員をやっていて、それ以外にも工場で働いたり、デパ地下のお総菜屋さんで働いたり。妻と結婚した時は居酒屋で働いていたんですが、コロナ禍でお客さんが来なくなってしまって。家庭を持ったんだから稼がなきゃと思って、コロナ禍以降は鮮魚店で魚を捌く仕事をしていました。今振り返ると、若い頃は脈絡もなく職を転々としていましたね。
――地域おこし協力隊に挑戦したきっかけを教えてください。
鮮魚店で働いている時に子供が生まれたんですけど、当時は朝5時に家を出て夜8時とか9時に帰って来るよう生活だったので、子供の寝顔しか見られないみたいな日も多くて。
子供の成長って本当にすごくて、昨日までできなかったことがある日突然できるようになるじゃないですか。立てるようになったり、喋るようになったり、たった一日ですごく変わるんですよ。その変化を見逃したら、この日のわが子にはもう会えないんだなと思うと、今の働き方じゃまずいなと思って。妻も日中ずっと一人で大変でしたし、子供が小さなうちはできるだけ家で過ごせるようにしたいと考えるようになりました。
ちょうどその頃、十日町市に移住した義理の母を訪ねることがあったんですけど、集落のご年配の方が次々に集まってきて「赤ちゃん見るの何十年ぶりだろう」「かわいいねえ」って、うちの子をすごく可愛がってくれたんですね。集落っていうと排他的なイメージを持つ人もいるかもしれませんが、全然そんなこともなくて。当時、僕も妻も地元の生活でかなり煮詰まっていたので「こういうところに住むのもいいな」と思いました。地域おこし協力隊という働き方があることもその時に知ったんですけど、僕も長く接客業をやっていろんな人と話すのは好きなほうだったので、前向きな気持ちで移住を決めました。
――十日町での生活にはすぐに慣れましたか。
そうですね。協力隊として移住する前に、1か月間お試しで現地に住めるインターン制度を利用したんですけど、村を回りながら会う人会う人に声をかけて「今度協力隊として引っ越してくるかもしれないので、よろしくお願いします」って挨拶したら、おばあちゃんたちが「こんなに若い人が来てくれたらうれしいね。ありがとう」って手を合わせてくれるんですよ。来るだけでこんなに歓迎してもらえるなら、何でもやろうという気持ちになりました。
そんな感じだったので、移住する時には集落のみなさんが僕たちを受け入れる準備を進めてくれていて。すでに顔を知っている人もたくさんいて、ご飯会を開いてくれたりしました。今も畑の野菜を大量に分けてくれたり子供に声をかけてくれたりして、何かと気にかけてくれます。
――お子さんとの時間はしっかり取れていますか?
取れています。こっちで2人目も生まれて、今上の子が3歳、下の子は10か月になりました。今住んでいるところは一軒家で隣の家とは50メートルぐらい離れているので、多少騒がしくても近所迷惑にならないですし、そういう意味でもストレスフリーですね。近くに公園はないんですけど、一歩外に出たら全部が遊び場みたいな感じです。虫を見つけたり石段からジャンプしたり、雪が降れば雪の中を走り回ったり。少しヒヤッとすることもあるんですけど、子供は走り回ってケガして学んでいくものだと思うので。子供の成長を考えると、こっちに来て本当良かったと思いますね。
今いる集落では、子供とか赤ちゃんを迎えるのが30年ぶりらしいんですよ。集会なんかに子連れで行くとみんなすごく歓迎してくれます。子供が走っただけで拍手がわいたりして。たくさん可愛がってもらってありがたいですよね。

集落の人々の後押しで、米作りに挑戦
――市川さんは十日町でどんなお仕事を?
とにかく家族を養わないといけないというのが念頭にあって、もちろん協力隊の任期の間お給料はいただけるんですけど、退任までに、今後の収入の柱になるようなことを何か見つけようということはずっと考えてました。
最初の1年間は“何でも屋”みたいな感じで、集落の人から頼まれごとがあれば応じていました。それでいろんな人とつながりができて、2年目に米作りを教えてもらえることになったんです。地域との橋渡しをしてくれる世話人さんが「市川君、お米作ってみない?」って声をかけてくださって。集落には、高齢で農業をやめてしまった方の田んぼや畑がたくさんあったので、その一部を使わせていただくことになりました。稲刈り機やコンバインのような大きな機械も、使わなくなった方に譲っていただきました。
――米作り、実際やってみてどんな苦労がありますか?
お米の仕事っていっぱいあるんですよ。田植えや稲刈りだけじゃなく、雑草を抜いたり土を耕したり水の状況を見たり。「米」の漢字って分解すると「八十八」になるんですけど、これは米ができるまでに88回の手間がかかるからだと言われているそうです。
どの作業も大事だし大変なんですけど、たとえば夏に一度、田んぼの水を抜いてカラカラに乾燥させる「中干し」という工程があるんですよ。これによって稲が水を吸おうとして根をしっかり張る効果があるんですけど。中干しが済んだらもう一度水を溜めますが、この辺りは蛇口をひねれば水が出る場所じゃないので、用水路を伝って流れてくる雨水が頼りなんですね。その少ない水を無駄なく田んぼ全体に行き渡らせるために小さな水路を作るんですけど、その作業が特にハードで。「溝切り」といって、溝を作る手押しの機械を持って炎天下の田んぼを歩き回らないといけないんです。新潟は雪国のイメージがあると思うんですが、夏は普通に35度近くになることもあるので。この時期は僕も周りの農家さんもみんな痩せてシュッとしてます。おかげで運動不足とは無縁です。

――地域おこし協力隊としてはどんな活動をしていますか?
こっちに来たばかりの頃は、集落の家を1軒1軒訪ねて住民の方とお茶を飲むのが最初の仕事でした。一緒にお茶を飲んで、お互いに顔と名前を一致させて。そういうことを地道に続けていると信頼関係ができて「この仕事やってみるか?」とか「家にこんな機械あるけど使うか?」とか声をかけてくれるようになるんですよね。最初の一年でコミュニケーションをしっかり取っていたことが2年目、3年目に生きてきたなと思います。
今も集落の父ちゃん母ちゃんたちのお手伝いが多いですね。夏は草刈りをして、冬は一晩で膝の上まで雪が積もる事もあるので、玄関から道路に出るまでの道の除雪を手伝ったり。あとは、おじいちゃんおばあちゃんたちの健康体操のお手伝いもしますね。赤ちゃんを連れて行くと、みなさんとても喜んでくれます。

父ちゃん母ちゃんの日常の姿がアクリルキーホルダーに?!
――十日町市といえば豪雪地帯のイメージですよね。
すごいですよ。去年なんか地面に降り積もった雪と屋根の雪がくっつきましたからね。十日町って、人が住んでる場所では世界有数の豪雪地帯なんだそうです。今まで雪かきの経験なんて一度もなかったんですけど、十日町に来てすぐ除雪機の使い方を教わりました。神奈川で暮らしていたら、こんな機械を操縦することは絶対なかったでしょうね。
最近は大型特殊免許といってブルドーザーのような重機を運転できる免許を取ったんですよ。除雪用のブルドーザーがあるんですけど、それを運転できる人が村に2人ぐらいしかいなくて、しかも2人とも高齢なので、「市川君も運転できるようになってよ」って頼まれて。協力隊が使える市の補助金を利用して、免許取得しました。
今までの人生で、自分が大型特殊免許を取るなんて微塵も思いませんでしたね。こっちに住んで、本当に今まで思いもしなかったことばかりやってますね。田舎はいろんなことができるな、面白いところに来たなっていつも思います。

――「自分はこの仕事じゃなきゃ」みたいなこだわりがなかったからこそ、いろいろできたのかもしれないですね。そのフットワークの軽さ、ニーズがあれば何でもやるという姿勢が集落のみなさんにも受け入れられたんでしょうね。
そうだとうれしいですね。あと、十日町では3年に1度「大地の芸術祭」といって、町中に作品を設置する大規模な野外アート展が開催されます。去年も開催されて、お客さんにお土産を販売できると聞いたので、僕は集落の父ちゃん母ちゃんたちの写真でアクリルキーホルダーを作ってカプセルトイにしたんですよ。カプセルトイのマシンはフリマサイトで入手して、空のカプセルも近所のスーパーでもらってきて、全部手作業で120個ぐらい用意しました。SNSで宣伝したら「かわいい」「面白い」って好評で、イベント期間中に完売しました。
父ちゃん母ちゃんの写真はこのために撮影したわけじゃなくて、農作業してたり、道端で休憩してたり、日頃のありのままの姿を活動記録として撮りためたものなんです。父ちゃんや母ちゃんたちに「これお土産で売っていいかな」って聞いたら、「やめてくれ」って恥ずかしがる人もいるんですけど、「こんなばあちゃんの写真でいいの?」って笑いながら快諾してくれる人がほとんどで。一年目に地道に関係を築いたからこそ、こういう活動ができているのかもしれません。今後も半分趣味で継続していければと思います。
僕が今住んでいる地域の姉妹町が東京都世田谷区にあるんですけど、そこで開催される区民まつりでもまたカプセルトイを出そうかなと思っているんです。次はアクリルキーホルダーじゃなくてステッカーにするつもりです。

――十日町は定住率が高くて、移住者の九割以上が定住していると聞きました。市川さんは今後どうする予定ですか?
僕も今のところ定住を考えています。米作りもせっかく教えていただいているので、できたお米を友人知人に買ってもらうところから始めて、少しずつ販路を広げていければいいなと思っています。今ちょうど日本のお米が大変な状況ですからね。
――移住や田舎暮らしに興味があるけど、なかなか踏み出せない。そんな方に向けてアドバイスをお願いします。
迷ってるということは、現状に何かしら不満があって環境を変えたいということなのかなと。僕もそうだったので。ずっと地元で働いていたので、いきなり遠くに移住するような人を見ると「なんでそんな面白い道を選べるんだろう。すごいなあ」って、別世界の人みたいに思ってましたし。
でも地域おこし協力隊という働き方を知った時、自分もそうなれるチャンスだと思ったんですよね。まあ、あとは行動を起こすしかないんですけど。一歩踏み出してみると、本当に今まで予想もしなかったようなことをたくさん体験できたので良かったと思います。
まずは旅行で何日間か行ってみてもいいと思いますし、協力隊や地方移住者の生活を発信するSNSなんかもたくさんあるので、気になる人がいたらメッセージを送っていろいろ聞いてみたらいいと思います。思い切って行動を起こしてみたら、きっと楽しいですよ。