北海道十勝地方の南にある人口約5000人の小さな町、大樹(たいき)町。「十勝晴れ」という言葉があるように晴れの日が多く、青空に映える日高山脈から清流・歴舟川が太平洋にそそぐ美しい町です。町の基幹産業である農業や漁業、林業のほか、約40年前から「宇宙のまち」を掲げ、国内外から宇宙関連企業や団体の誘致を進めています。
この宇宙産業での町おこしに可能性を感じ、宇宙にかかわる人と町の人をつなぐ役割を担おうとしているのが、大樹町移住コーディネーターの岡山ひろみさんです。もともと新進気鋭のITベンチャーで身を粉にして働いていた岡山さん。燃え尽きた末に大樹町の友人を訪ね、その時に見た日高山脈の美しさに魅了されて移住を決めたといいます。
岡山さんに、大樹町での生活や「宇宙のまち」の可能性、そして移住という大きな決断の際に心がけたことなどについてお話いただきました。

都会生活に疲弊したエリート会社員が心奪われた、日高山脈の美しさ
――岡山さんは大学進学で上京するまでは札幌で育ったそうですが、どんなお子さんだったんですか。
負けず嫌いな性分で、勉強も運動も部活も頑張って何でも一番でありたい!って感じでしたね。今振り返ると、本当は集団の中に身を置くことが好きじゃなくて、学校の中でいいポジションを確立することで心のバランスを取っていたんだと思います。将来の夢も特になかったので、とにかくいい大学に行っていい会社に就職するしかないと思っていました。
――新卒でサイバーエージェントに就職したんですよね。バリバリのエリート集団のイメージですが、いかがでしたか。
自分のやりたいことがはっきりしないので、若いうちからいろんな経験ができて、辞めた後もその経験を活かせるような会社で働きたいと思ってサイバーエージェントを選びました。ただやっぱり、周りはみんなとびきり優秀で。負けたくないし、組織に貢献しないと自分の居場所がなくなるっていう焦りもあって、自分をとことん追い詰めていました。頑張ればどんどんチャンスをくれる会社だったので、本当にいろんな経験をさせてもらいました。
――でも自分を追い詰めすぎてしまった、と。
最後のほうはゲーム制作のディレクターとして50人ぐらいのチームをまとめていて、その仕事自体はすごくやりがいがあって楽しかったんですけど、東京での生活がもう限界でした。休みさえあれば自然を求めて登山やキャンプに行くようになって、もう札幌に帰ろうって。札幌でもまた仕事漬けの日々を送ったり、フリーランスになったりして2年近く過ごしました。
――大樹町との出会いも、その頃ですか?
そうですね。大樹町にUターンした友人を訪ねた時、家の窓から見た日高山脈が、息をのむほどきれいだったんです。それまでビルに囲まれた生活が当たり前だったので、こんな美しい景色を眺めながら生きるっていう選択肢があるんだと気がついて。夫(当時はまだ彼氏)に「めっちゃ良くない?」って話したら「僕も田舎出身だし、いつか自然に囲まれて暮らしたいと思ってた」って言ってくれて、それからはとんとん拍子に話が進みましたね。 私はフリーのウェブライターをしていてどこでも仕事ができる状態だったこと、夫もリモートワークで働けるように都内の勤務先とうまく交渉してくれたのもあって、何の懸念もなく移住に踏み切ることができました。
札幌の両親は寂しがっていましたけど、大樹町―札幌は車でもJRでも3~4時間、思い立った時にぎりぎり帰れる距離なので、そういう意味でも理想でした。他にも空港から近いとか雪が多すぎないとか、移住にあたって私も夫も条件がいろいろあったんですが、大樹町は全部クリアしてました。

――景色がきれいなだけではなく、条件面もぴったりだったんですね。岡山さんは地域おこし協力隊としての移住を考えましたか?
迷ったんですが、住む前から「地域に貢献したい!」なんて高い志は持てないなと思って協力隊には手を挙げませんでした。大樹町のことはこれから徐々に知っていこうっていう段階だったので。移住のきっかけなんて「景色が気に入ったから」みたいなことでいいと思うんですよ。そんなに意識が高くなくても。
ただ、在宅の仕事だったのもあり、最初はなかなか知り合いが増えなかったですね。習い事を始めてみたりもしたんですけど、自分から集団に飛び込んでいって友達を作るのは得意じゃないので。
大樹町の生活に慣れてきた頃、移住コーディネーターという仕事があることを知りました。これなら勝手に知り合いが増えそうだし、移住者だからこそできることがあるんじゃないかと思って、すぐ役場にかけ合いました。
四季折々の自然、人との距離感が心地よい
――東京や札幌にいた頃と比べて、ライフスタイルはどう変わりましたか?
会社員の頃は毎日終電の時間まで働いて、会社のために生きてるみたいでした。今は自分の人生や家族のために生きている実感があります。そんな時間の使い方ができるようになったのは大きな変化ですね。
おかげで日々の面倒なことも楽しめるようになりました。田舎暮らしって面倒なことが多いんですよ。除雪とか、虫対策とか、庭の手入れとか。でも自分の生活を豊かにするためだと思うと、そんなに苦にならないですね。庭の花が咲いたとか、些細なことにしみじみと幸せを感じています。
――実際に住んでみて気づいた大樹町の良さを教えてください。
なんでこんなに快適なんだろうって思ったんですけど、自然に囲まれているからというのはもちろん、他人との距離が十分に取れるからなんですよね。物理的に。
都会でアパート暮らしの時は隣の部屋の生活音とか他人の気配がずっとあって、けっこうストレスでした。大樹町はそもそも人口が少ないから、ちゃんと離れてるということが私にとってすごく心地よくて。でも近所のおばあちゃんとはけっこう仲が良くて、物理的な距離はあっても心の距離は近い気がします。北海道って、開拓して人が移り住むようになって150年ぐらいしか経ってないのもあって、移住者を受け入れる土壌が最初からできているのかもしれません。
あと、冬は気温が低いわりに雪が少ない!もう最高です。これは本当に何度でも言いたいぐらい(笑)。雪が続くと空もどんよりして気が滅入ってしまうんですけど、大樹町は本当に晴れの日が多くて気持ちがいいです。
――ご主人も大樹町の生活を楽しんでいますか?
そうですね。広大な牧草地の美しさとか、道の駅のソフトクリームの美味しさ、スーパーの鮮魚コーナーの充実ぶり、一つひとつのことに感動しています。ただ、通勤がなくなったことで運動不足になって体重が増えがちなのがちょっと悩みの種になっていますね(笑)。私も同じですが。

――移住コーディネーターとして移住希望者の相談を受けているそうですが、相談者はどんな方が多いですか?
本当にまちまちです。大樹町で宇宙にかかわる仕事をやってみたいという20代の若者もいれば、50代で親の介護が落ち着いたから心機一転、自分の好きなことをしたいっていう方もいますし、リタイア後に憧れだった北海道に住みたいという60代の方も。どちらかというと女性が多い印象はありますが、年齢層は幅広いです。
――WEBで大樹町に移住したい人向けの情報がとても見やすくまとめてありますね。リーフレットも刷新し、移住ホットラインというLINEアカウントも開設しています。全部岡山さんのアイデアですか?
リーフレットはディレクションしただけですが、予算内でいろいろ工夫しながら使い勝手の良いものを作りました。LINEアカウントは、移住について知りたいことや悩んでいることを夜中でも土日でもすぐに相談できる窓口があればと思って開設しました。役場が相談窓口となると平日の9時から5時という限られた時間しか対応できないですから。私が会社勤めの時はそんな時間に相談なんて絶対無理だったので。それに若い人は特に電話よりもLINEのほうが気軽に相談しやすいと思います。

――今、移住コーディネーターとして注力している活動について教えてください。
移住者を増やすために少しでも多くの人に大樹町の良さを知ってもらおうと、毎年いろんな仕掛けを考えています。今年の夏は若手アーティストやアートにかかわる方に呼びかけて、大樹町でインターンとして2週間過ごしていただいて、その体験をもとにアート作品を企画、発表してもらうというプロジェクトを予定しています。
大樹町には10年ぐらい前から若手アーティストを応援する制度があって、町が所有する広いアトリエを無料で使えたりするんですけど、そのことをもっと周知したいと思って。
今1人、油絵の画家さんがこの制度を使って大樹町に住んでくれているんですけど。彫刻家でも音楽家でもいいし、イベントを企画をする方が来てくれても盛り上がると思いますし。立場やジャンルにこだわらず、いろんな方に来ていただきたいですね。
移住者を増やすことは、将来の自分のためでもある
――宇宙産業に力を入れている大樹町ですが、岡山さんが思い描く理想の「宇宙のまち」はどんな姿をしていますか?
みんなが宇宙の恩恵を受けられる街になるといいと思っています。たとえば大樹町から打ち上げた人工衛星で漁場の探索ができたり、広大な農地の生育状況を把握できたり。GPS衛星のシステムを利用した自動運転のバスが走るようになれば、高齢者の移動手段の確保にもつながります。宇宙産業が発展することで、他の産業や地元住民も恩恵を受けるんですよね。そうすると、町のあちこちで宇宙業界の人とそうじゃない産業の人とただの町民がビールを片手に宇宙の話で盛り上がるようなことになるんじゃないかと思います。
そして2021年から大樹町で稼働している「北海道スペースポート」は開かれた宇宙港なので、日本中、世界中の企業や研究機関が来てロケットを打ち上げることができます。そのためのホテルや飲食店もこれから町にたくさんできて、いろんな言語が飛び交うようになるかもしれません。
少し先の話ですが、地上と宇宙空間を往来する航空機型ロケット“スペースプレーン”が実用化すれば、たとえばアメリカまでなら1時間ぐらいで行けるようになります。そうなると大樹町を経由して海外旅行に出かける人が増えるでしょうし、十勝の畑で獲れたトウモロコシをその日の朝のうちに東京や海外に輸送することもできますよね。そうやって交通や物流の主要ハブとして発展する可能性もあると思います。
――宇宙産業が他の産業も巻き込みながら発展して、町も活性化して。すごく夢がある話ですね。町をあげて宇宙産業を盛り上げていけたらいいですよね。
そうなんですけど、今は宇宙に乗っかる人もいれば、自分には全然関係ないと思ってる人もいて、まだ温度差があるというか、町全体が盛り上げムードとは言えないですね。宇宙産業の人たちがどれだけ頑張っても、町のそれ以外の人にはなかなか届かないので、橋渡し役が必要だと思うんです。宇宙産業にかかわる人の多くはいろんな地域から移住してくる人たちなので、同じく移住者の私がその橋渡し役の一人になれたらと思っています。

――最初こそ「意識の高くない移住」だったかもしれませんが、5年目の今、大樹町に対してどんな思いで向き合っていますか?
相変わらず、意識は高くないです。じゃあなぜ大樹町に人を増やそうと頑張っているのかというと、私がずっとこの土地に住んでいたいからなんですよね。人が増えていかないとお金は回らないし、町を維持できないですから。今は夫と3匹の猫と暮らしていますが、将来は一人になるかもしれない。そうなったとしても生きていけるような町にしておかないと、困るのは自分なので。そんな非常に自分よがりな理由でこの仕事をしています。
――なるほど。自分が住みやすい町を作ることが、町全体の発展にもつながるんですよね。さて、最後の質問です。岡山さんもそうだと思うのですが、30代って結婚、出産、マイホーム購入など、人生を左右する大きな決断を迫られることが多い年代です。決断を迷う人に、岡山さんならどんなアドバイスを送りますか。
私、東京時代に「札幌に帰りたいな」と思って、実際に帰るまで2年かかったんですね。それはやっぱり決断できなかったからで。大事なのは、決断できない時に、何が原因なのかを紐解いて考えることだと思います。
移住の相談でも「行きたい気持ちはあるんですけど…」みたいな人がすごく多いです。「大樹町って実際どうですか?」とか移住後のことをしきりに聞いてくるんですけど、よくよく話を聞いてみると、ネックになっているのは移住後のことじゃなくて、今の会社を辞める勇気がないことだったりするんですね。だから、自分が一体何に対して悩んでるのか、とことん突き詰めるしかないと思います。単にチャレンジしてないだけかもしれないし。
あとはもう選んだほうを正解にするしかないですよね。何かを手放すのはこわいけど、その分新しいものを手に入れられるので。やってみて、やっぱり違うなと思ったら「また変えればいいか」ぐらいの軽い感じでいいんじゃないかなと思います。それでも踏ん切りがつかなければ、移住に関してなら私がいつでも相談に乗りますよ。
――大らかでありながら力強いアドバイス、ありがとうございました。私も大樹町の宇宙港から旅行に行ける日を楽しみにしています!