総務省のヒット政策と言われている「地域おこし協力隊」。大都市圏から人口減少や過疎が進む条件不利地域への人材の還流を主な目的とした制度です。地域おこし協力隊として自治体から任用された隊員は、1~3年間の任期中に地域に関わる仕事に従事します(労働の形態は自治体からの雇用や業務委託、地域の民間事業者との連携型など様々)。この制度は地方移住の壁として多くの人の前に立ちはだかる仕事・収入面を任期中に保証し、任期後の地域への定着を後押ししています。
ゆずの名産地として知られる高知県安芸郡北川村は、高齢化しているゆず農家の後継者の育成に地域おこし協力隊制度を活用しています。
大阪で銀行員として働いていた宮本ご夫妻も北川村の募集に応じ、ゆず農家として独立を目指すことを決意しました。元銀行員だったご夫妻が、どのようにしてゆず農家を目指すことになったのか、その背景と北川村での暮らしについて宮本知里さんに伺いました。
自然好きな夫婦、就農の道を知る
私は生まれ育ちが兵庫県で、大学を卒業して大阪にある銀行に就職しました。24歳になるまで宝塚で暮らして、その後は職場のある大阪に、現在の夫と一緒に住んでいました。
夫とは職場で出会ったんですが、当時からお互いに自然が好きという共通点があって、転職と移住について話し合っていたんです。その中で「農業が一番いいよね」という結論になりました。最初の頃は、「農業で食べていけるんかな?」という懸念もあって一歩踏み出せない感じもありましたけどね。
ある時、テレビを見ていたら地域おこし協力隊特集をやっていて、北海道に移住したご夫婦が取り上げられていました。奥さんはチーズ作りをして、旦那さんは地域おこし協力隊として町のPR活動をしていました。私達はそれまで協力隊の制度について全然知らなかったので、その番組を観てから農業や自然関係の協力隊の仕事を探しました。
場所としては中国・四国・九州の温暖な地方で探しました。雪が降るような土地は経験したことがないし、車の運転も恐いし。あと、お互いの親が関西に住んでいるので、いざという時に車ですぐに帰れることも重視しました。
そうして探したところ、農業関係の求人数自体はあったものの、1人だけの募集がほとんどでした。私達は夫婦一緒に農業をやりたかったので、2人以上の募集に絞ると、選択肢は今いる北川村と愛媛の二つのみでした。北川村は移住者向けのホームページがしっかりしていて、その中で移住体験施設が載っていたので、「え、これって今すぐ行けるんかな」とすぐに村役場に電話して申し込みました。電話して2週間後くらいに北川村を訪問しました。それが2023年の4月です。
移住先は北川村に即決
北川村を訪問する前は、「1つの土地だけを見て移住先を決めるのはリスクが高いから、何ヵ所か見て比べようね」と夫婦で話していたんです。でも、北川村の自然の雰囲気が私達の理想そのものだったんです。川が綺麗で魚がたくさん泳いでいて、山の緑は青々と生命力に溢れていて。
自然が素晴らしかったことに加えて、移住体験中は村の色々な方に会わせて頂いたんですが、どなたも移住者に慣れているのが安心感に繋がりました。北川村はゆずが名産なんですが、ゆず栽培の協力隊として既に7人も移住者が来ていたので、村の人達も新しい人がどんどん入って来るのが当たり前になっているようでした。
それに、私達としては汎用性の高いゆずという果実の求人だったのも良かったですね。ゆずはスイーツにもできますし、調味料としても和食にもイタリアンにも使えますし。将来的な販路を考えると、すごく面白い仕事になるんじゃないかなという予感がしました。私達は銀行で働いていたので、仕事上、決められたものしか売ることができなかったんですよ。だから、自分達で作ったものを売ることにはすごく期待感がありました。
ゆず栽培の協力隊は、任期が終わった後も全員が定住されているんですよ。それも私達にとっては大きかったですね。任期後の定着率の低い市町村も結構多いようなので。北川村では、高齢のゆず農家さんの土地を若手が借りるというサイクルができていて、そのおかげで協力隊が3年間の任期を終えた後も収入が途絶えないんです。
「もう、これより良い条件ある?北川村にしよ」ということで、ほぼ即決で北川村に移住することにしました。「やりたいと思った時にやってみた方がいい、失敗したらその時だ」という感じです。
畑違いのゆず栽培
私達は2023年の9月に北川村地域おこし協力隊に就任しました。
北川村ではゆず栽培の協力隊の育成プランが決まっていて、ゆず栽培を指導してくれる師匠の農家さんが3組います。1年目は師匠の園地について行って、毎日師匠に教えてもらいながら作業を実際にやって覚える。2、3年目は北川村振興公社という村の会社を通して園地を貸して頂いて、自分達の農園として作業をする。わからないことがあれば師匠に聞きに行ったり、見に来てもらったりする。
ところが、私達の場合は師匠の園地について行ったのは3ヶ月だけでした。というのも、研修が始まって3ヶ月でいい貸し園地が出てきたんです。そこを逃すとその後に都合良く園地が出てくるという確証もなかったので、役場の方と師匠が思案してくださって、「そこは借りることにして、そちらで作業しながら教える形にしよう」ということになりました。
銀行員からゆず栽培者への転身というのはそれこそ畑違いで、本当に農業はわからないことばかりでした。でも、大変ではあるものの、楽しいという部分もとても大きいんです。銀行員だった頃は、期限に追われて気持ちがしんどくなってしまうことも多かったので、今のように自分たちのペースを保ちながら働けるのはいいですね。それに、「こんなところから芽が出てくるんだ」といった新しい発見と学びが多いです。知らなかったことをたくさん知ることができて、知的好奇心を刺激されています。
作業としては、農協にゆずを出荷できるのが10月中旬から12月上旬なので、その時期は収穫と選別です。採った玉を見て、「綺麗だから果実としてそのまま使える青果」、「半分くらい綺麗だからゆずの皮として使える皮玉」、「傷が多いからポン酢などの加工用」といったように、3から5種類くらいに分けます。日が出ている内は収穫、それが終わったら家で夜な夜な選別するという、一年で一番忙しい時期ですね。
それが終わったら一息つきながら、落ち葉や藁などの有機物を園地に入れて土を柔らかくする作業があって、年明けから木の剪定ですね。
ゆず栽培の教科書はもらっているんですが、正直なところ、見てもよくわからないんです。なので、毎月師匠には会いに行って事細かに教えていただきますし、口頭で教えてもらっても実際に園地で作業をし始めたら迷いが出てくるので、その場で夫が師匠に電話して確認するなど、本当に勉強させていただいています。
ありがたいことに、北川村には自分達の築いてきた技術を他人に教えたくないという人がいなくて、みんなが親切に教えてくれるんです。農業だけではなくて生活のことまで、「こういう時にはこんなものが必要だよ」と初心者の私達が知らないであろうことを想定して、常に先回りして教えてくれるので、自分達だけで「どうしようどうしよう」と参ってしまうようなことはないんですよ。それは本当に救いです。
都会人の村暮らしと今後の目標
大阪ではアパートに住んでいたんですが、他に誰が住んでいるのかはほぼわからない、顔見知りのいない状態だったので、人付き合いの密度の濃い村で暮らすにあたっての不安はありました。
ただ、実際に住んでみると、確かに人と人との距離は近いものの、それが助けになることが多い印象です。「こんなん食べたことある?」とお裾分けをくれたり、バーベキューやピザパーティーをしてくれたり、ちょっと親戚が増えた感じです。
買い物に関してですが、私達は北川村内で一度引っ越していて、最初に住んでいた山の上の家からだと最寄りのスーパーまで車で40~50分くらいでした。ただ、村内全域をスーパーが移動販売してくれているので、買い物に行く時間がない時はそこで調達していました。今は山の下へ引っ越したので、スーパーまで10分くらいですね。利便性の面ではもう慣れました。というのも、Amazonの存在が大きいんですよね。高知県でも1、2日で大体の物が届くので。
それに、大阪時代だと、どこに買い物に行くにも歩きや電車で、人の多い所に出て行かなければいけなかったので、逆にこちらはそういったストレスがないのがいいですね。観たい映画がある時は高知市のイオンに、ラーメンを食べたくなったらやはり別の街のラーメン屋にドライブ。電車移動が車に換わっただけという感覚です。
趣味としては、協力隊に就任してから忙しく過ごしていたのでまだあまり手を出せていないんですが、私は料理にゆずを使うのが楽しいですね。ゆず塩やポン酢を作ってみたり。夫は協力隊の先輩に海釣りに連れて行ってもらっていました。少しずつ、北川村でこそできるようなことに挑戦していけたらと思っています。
北川村に来てからの1年間は、本当にいい1年間でした。そう思えたのが嬉しいですし、周りの人にも本当に感謝です。
今後の目標としては、とにかく生活が成り立たなければ仕方がないので、なるべく綺麗なゆずを作れるようになって、販路を少しずつ広げられたらなと思っています。大阪の飲食店やお菓子屋さんにゆずを納品できるようになって、自分達が作ったゆずが商品になっている姿を見てみたいなという夢があります。