金沢大学_篠田隆行教授に訊く:能登の未来を築く「能登里山里海SDGsマイスタープログラム」17年間の挑戦と成果

近年、高齢化や人口減少により衰退が著しく危惧される地域が増えています。こうした状況を受け、地域おこし協力隊など地域の活性化に向けた取り組みが国をあげて積極的に進められています。

金沢大学では早くから地域の維持に目を向け、地域おこし協力隊が制度化される前から「能登里山里海SDGsマイスタープログラム」を立ち上げて、地域の維持に向けた人材育成に取り組んできました。

今回のインタビューでは「能登里山里海SDGsマイスタープログラム」の責任者である篠田隆行先生に、17年間プログラムが続く中での変遷や、能登半島地震の発災に伴う活動方針の変化についてお話を伺いました。

篠田隆行先生
金沢大学 学長補佐(地域共創担当)

先端科学・社会共創推進機構 教授

東京大学大学院 教育学研究科総合教育科学専攻修了。
都市銀行、國學院大學、富山短期大学を経て現職。専門分野は地域経営、ソーシャルイノベーション、高等教育論。

能登里山里海SDGsマイスタープログラムとは

能登里山里海SDGsマイスタープログラムとは?

金沢大学能登里山里海SDGsマイスタープログラムは、能登の復興、および再活性化を担う次世代リーダーを育成しています。

世界農業遺産である「能登の里山里海」には、長い歴史の中で人々と自然の間で培われてきた知恵と経験があります。

過疎化が叫ばれる昨今の時代、失われつつある里山里海に新たな価値を見出し、地域の宝として育て後世につながるための「チャレンジ」がまさに必要とされています。

私たち能登里山里海SDGsマイスタープログラムは、「能登の里山里海」を起点に、そして、令和6年に発災した能登半島地震からの創造的復興を果たすためにも、志(こころざし)を持って集った多様な人々が相互の学びあいを通じて、①地域の課題を客観的に分析し、②新たな視点から価値を創造し、③試行・実践を通じたプランの具体化への支援に取り組みます。

引用元金沢大学能登里山里海SDGsマイスタープログラム

地域の維持を目指して

――地域と連携して社会人向け人材育成プログラム「能登里山里海SDGsマイスタープログラム」を展開されていますが、どのようなきっかけで始められたのですか?

マイスタープログラムは、2007年に開始しました。当時から能登は今後人口が減少して地域の衰退が進み、高齢化も進行していくことが予見されており、このような状況の中で地域を維持する人材が必要でした。最近は、中間支援組織などもありますが、当時は人材育成を大学教育機関が担うべきだという風潮があり、国の補助金も得られたためマイスタープログラムを始めました。

能登は自然が豊かな地域で、プログラムを立ち上げた先生が里山や里海、生物多様性を専門としていたこともあり、最初は自然学校のような形でスタートしました。

――2007年にスタートされて、コロナや能登半島地震も経験しながら中断することなく継続されているのが素晴らしいなと感じました。

大学で開講しても受講生が来ないのではないかという心配もありましたし、発災直後は中断せざるを得ないのではないかと考えたこともあります。

しかしマイスタープログラムを共同で運営している珠洲市の首長と話し合った際に、「建物等は壊れてしまったけど、これまで取り組んできた活動は壊れていない。ここでやめてしまうと本当に全てが止まってしまうので続けてほしい」との要望がありました。我々も決してネガティブな気持ちで中断を考えていたわけではなかったので、話し合いを経て継続を決めました。

大きな災害直後で被災者の方にとっては生活環境も不安定ななかでは、活動に対して賛否はあると思います。しかしマイスタープログラムの修了生が地域に移住したり、プログラム修了後も能登で活動を続けていたり、今回の震災時には活動拠点である本学の能登学舎が避難所にもなっていることもあり、住民の方から活動に対して一定の理解は得られていると考えています。今年度の活動もすでに始まっていますが、「なぜこんな時にやるのか」といった声はありません。2007年からマイスタープログラムをスタートし、17年間の活動が積み重なり信頼につながっているのだと思います。

復興に重点を置きプログラムを大きく変更

――今年は能登半島地震もありましたが、震災前後でカリキュラムは変更されたのですか?

抜本的に変えました。17年間の中でさまざまなフェーズがあり、初期の頃は生物多様性や里山里海から地域の維持にアプローチしていましたが、最近はさらに突っ込んで地域を維持するための人材育成や創業、起業、移住を含めた関係人口の創出につながるようなテーマで取り組みを進めていました。

今年度は能登半島地震もあり、復興に重きを置いています。マイスタープログラムを通じて復興を考え、活動しながら地域の維持について学べる形にしています。

――プログラムを変更したことで、受講生の顔ぶれにも変化はありましたか?

大きな変化がありました。震災の影響で受講生が集まるか不安でしたが、今年は前年の約3倍に増えました。このような状況なので、今年はオンラインでも参加可能なハイブリッド開催にし、東京、京都、福井、長野、富山、神奈川、岡山など、全国各地からご参加いただいています。

マイスタープログラムは定員を設けていますが、今回は枠を超えて応募者全員にご参加いただくことにしました。事前の面接を通じて皆さんの熱意を感じることができましたし、全員を受け入れることで復興のきっかけにもなるのではないかと考えて今回の決断に至りました。

地域で何かしたいという思いを持った方は、大都市圏にも潜在的に数多くいます。ただ、自分のふるさとではない地域にどのように入り込めばいいのか分からない方や、地域おこし協力隊は少しハードルが高いと感じている方もいらっしゃるんです。そういう方々にとって、マイスタープログラムは前段階の知識を得るためのプラットフォームとして機能しているのだと思います。

――今年はどのようなフィールドワークを行うのですか?

今年は「復興」を大きなテーマにしています。また、珠洲市ではもともと奥能登国際芸術祭を開催しており、アートに一定の理解があるんです。マイスタープログラムは社会人の向けのプログラムで、さまざまなバックグラウンドを持つ参加者がおり、共通項を見出すのも簡単ではありません。そのなかで、アートは誰にでも共通するテーマであり、被災者や子供たちとも一緒に取り組めます。ですから、今回は「地域とアート」をテーマに、アーティストの方にもご協力いただきながら、復興に資するプロジェクトをゼミ形式で行っていきます。

その一環として、朝顔の育成を通じて人とコミュニティ、地域をつなごうと、能登学舎と珠洲市内の避難所では全国から受け継がれてきた朝顔の育成を地域の方々と一緒に行っています。朝顔が育つ姿を見て、日々大変な思いをしている被災地の方の心が少しでも心が和らげば嬉しいです。

また、無機質なプレハブの仮設住宅での生活は、どうしても気分が落ち込みがちなので、少しでも楽しく生活できるように彩りを加えていきたいと考えています。個人的には、仮設住宅入居者の方が引きこもりにならず少しでも外に出たくなるように、ベンチの製作などもできたら良いなと考えています。被災者の方々に寄り添い、少しでも日常生活を明るくできるような活動を目指しています。

起業も伴走支援

――プログラム修了後も能登に定住して活動を続けている方もいらっしゃるとのお話でしたが、どのような活動をされているのですか?

農業を始めたり、炭焼きをしたりと様々な活動をされています。また、当プログラムは地元の信用金庫とタイアップしており、起業を希望する人には金融機関が伴走して支援も行っています。

まだ人口の大幅な増加には至っていませんが、発災前は転出よりも転入の方が多い状態が続いていました。珠洲市は石川県の先端に位置しており、金沢から新幹線で東京に行くよりも、車で珠洲に行く方が時間がかかるような立地にあります。

それでも17年間続けてきたことで、マイスタープログラムを通じて地域の魅力を感じてくれる人が増え、人口増加にも貢献できているのではないかと思います。

復興を原点としたまちづくりを

――人口の社会増もしてきていた中で震災が起きてしまったわけですが、一部では「過疎地の復興に税金をつぎ込む必要はない」といった意見もあります。このような意見に対して先生はどのようにお考えですか?

そうした意見があるのは重々承知しています。ただ、石川県が新しい未来を作るために創造的復興プランを打ち出している中で、こうした発言は少し軽薄に思えます。例えば、東日本大震災の際には都会の方々は震災が起きて初めて、電力など自分たちの生活がどれだけ東北の方々のおかげで成り立っているのか気づいたはずです。しかしその実感は今となっては忘れ去られてしまっています。首都圏の方々は能登半島地震による直接的な被害を受けていないため、そのような発言が出てくるのだと思います。

金沢がこれだけ観光地化している中で、金沢が能登の存在によって成り立っていることや、文化的・歴史的背景を踏まえた上でそのような意見を持っているのであれば、議論をしたいと思います。しかし表面的な経済的価値しか見ていないのであれば、議論をする意味はないと思います。文化を大事にしていかなければ、そのしわ寄せや歪みが必ずどこかで出るはずです。

――一方で、マイスタープログラムには例年以上の応募があったということで、復興の力になりたいと考えている方もたくさんいらっしゃいます。

受講生が集まるかどうかは死活問題でしたが、おかげさまで多くの方に応募いただき、復興の力になりたいという思いを持つ方がたくさんいることを実感しました。

――今年は復興に重きを置いて活動されるとのことですが、来年度以降も同様の活動を続けていくのでしょうか?

今年だけ復興をテーマにして、来年度以降は元に戻すということは今は考えていません。さまざまな声がある中で、地域をどのように維持して守っていくのかという観点では、復興はある意味原点だと思います。復興を学びながら今後のまちづくりも学習できるモデルを作ることで、新たな展開や全国の他の地域とのつながりを作っていくことができればと考えています。