長野県北安曇郡松川村【昭和にも平成にも市町村合併をしていない】

長野県北安曇郡松川村は北アルプスの東麓に広がる美しい農村で、食味の良い米とリンゴの名産地です。また、画家で絵本作家だった「いわさきちひろ」と縁があり、「安曇野ちひろ美術館」のある村としても有名です。

今回は、東京から移住し、村役場の総務課 噂の田舎へ案内係で地域おこし協力隊を務めながら(2024年6月末に任期満了で卒業予定)、ご自身で事業も興している西村耕平さんにお話を伺いました。

地図上の橙色が松川村(画像引用元:Map-It マップイット(c)

薬剤師から協力隊、東京から松川村へ

僕は前職では、東京の製薬会社で薬剤師として医薬品開発支援・治験を担当していました。開発した薬を世の中に出す前に、治験ボランティアの方に飲んでもらって、その結果を集めて国に申請するというところで8年間働き、そこから松川村の地域おこし協力隊にキャリアチェンジしました。

そのきっかけは、母方のおじいちゃんの死に際の一言でした。

おじいちゃんが死ぬ直前、ギリギリ動けるような状態の時に「人生後悔してない?何もやり残したことはない?」って聞いたんですよ。そしたら、「人生一つもやり残したことはない。後悔はない」とおじいちゃんが言ったんです。その言葉に胸を打たれて、「あれ、自分はこのまま生きてったら後悔あるな。じゃあ後悔しない生き方をしようかな」と思ったんです。

そこから、東京で働きつつ自分と向き合って情報収集もして。「自分のやりたいことの見つけ方」みたいな本があったんですよ。それを毎日の隙間時間の中で、30分、1時間かけて読んで、書いてあることを実践して。

それで、自分のやりたいこと、楽しいと感じることを考えてみたんですよ。そしたら、自分の好きなことを人に伝えている時が一番ワクワクするし、楽しいなと気付いて。で、僕が好きなのは田舎暮らしとか登山なので、そういったことを伝えられるお仕事がしたいと思って、ネットで検索したんですよね。「自然 暮らし 登山 他の人に伝える」って。

そしたら、移住・定住担当の「地域おこし協力隊」という求人がヒットしました。せっかくだから自分の好きな場所で好きなことを伝えたかったので、趣味で登山をする中で特に好きだった北アルプスの麓、松川村地域おこし協力隊を選びました。

東京ではビルの21階、レインボーブリッジが見えるオフィスで働いていたので、そこと松川村は全然違う環境なんですが、その変化に不安はありませんでした。むしろ、都会に留まっていることに不安を感じていたくらいです。

反省からの方針転換

松川村役場

仕事の内容としては、治験担当の薬剤師も移住定住担当の協力隊も、人と人を繋ぐという点は共通していました。薬から行政にジャンルが変わったというイメージです。

とはいえ、行政は民間とは仕組みが全く違うので、そこを理解して馴染むのには一苦労しました。

というのも、やっぱり税金を扱うので、すごくかっちりしているんですよね。例えば、翌年度に使う予算については、その前年度の11月か12月頃には考えなければならないんです。つまり、翌年度に自分の仕事でやりたい企画なんかも、その時期にアイデアを出して通さなければならなくて。

しかも、協力隊は基本的に最長3年間しか働けないという制度なので、僕は初年度から結構突っ走りました。予算を取らせてもらって、イベントを企画させてもらって。

でも、今振り返ってみると、やっぱり最初から突っ走っちゃいけないんですよね。僕はよそから来たばかりで、全然信頼を得ていない状態。元々村に住んでいる人からしたら、そんな僕に「地域にはこんなことが必要です」って言われても「何をわかっとんじゃ」という気持ちになると思うんですよね。

僕はそこを汲み取れず、色んなことをやってみたら、やっぱり反応がなく。なので、途中からは信頼を勝ち取るために、誰かのお手伝いをしたり、地域のイベントに参加したりして、顔を売るようにしました。

あとは、松川村の協力隊の同期6~7人とも横のつながりを持って活動しました。みんなで積極的に地域に溶け込もうと頑張りましたね。そしたら段々と村の中で「お、地域で何かしてる人だね」と認知されるようになっていきました。

子どもは村の宝

村の中心部にある「リンリンパーク

松川村は農村なんですが、ちょっと周りの自治体とは雰囲気が違うんですよね。

開発について条例で縛っているので、工場も少ないですし、商店街もありません。家を建てる時も「土地は最低100坪」という決まりがあって家々の間隔が広いんです。

それに、昭和にも平成にも市町村合併をしていないので、村の中に仲間意識があります。なので、ちょっと行き会っても挨拶したり会話が生まれたりするのかなと思います。

あと「子どもは村の宝」というスローガンを掲げていて、公園は18個ありますし、最近は給食費も無償化されました。

また、令和元年に「子ども未来センターかがやき」という、子どもたちが自由に運動したり学んだりできる施設ができました。かがやきは小学校の近くにあって、さらに公民館や図書館、公園も集まっているので、親御さんからすると、子どもが朝小学校に登校してしまえば、夕方その辺りに迎えに来るだけで良いんです。放課後に車でいちいち離れた施設に連れて行く必要がありません。

それに、学校の通学路もとても安全なんですよ。歩道が充実していますし、田んぼと田んぼの間の、車が通れない道が通学路になっています。基本的に、子どもたちが車が通る道に接さず登校できるようになっているんです。

人と繋がってから移住できるように

移住定住担当の仕事についてですが、僕は結構、移住希望者さんたちとは仲良くなるようにしているんですよ。というのも、松川村に元々住んでいる人たちと繋がってから移住してほしいと思っているので。

移住希望者さんは、どこに住むのかということにも不安はあると思うんですが、どんな人と繋がれるのかという不安も大きいと思うんですよね。そこは事前に解消してから移住してもらいたいので、「地域にはこんな人がいますよ」と紹介して、それでも良ければ是非来て下さいという対応をしています。

だから、移住希望者さんたちが移住した後も連絡を取り合ったり、会ったら立ち話をしたりできる関係性を僕は作っています。おこがましいかもしれませんが、自分が人と人を繋ぐハブになれれば良いなと思って。

シェアキッチンと不動産屋を開業予定

シェアキッチン開業に向け改装中の物件

協力隊卒業後のビジョンとしては、やっぱり「人と人を繋ぐ」ということは継続したいです。

僕は沢山の移住者に来てほしいとは考えていなくて、少しでも良いので「地域を盛り上げたい」という気持ちのある人に来てもらいたいんです。そして、そういった人が活躍できる場を作りたいと思っているので、今、シェアキッチンを造っています。

シャアキッチンというのは、将来、飲食関係の仕事をしたいと考えている人が、「毎週月曜日の11時~15時」といった枠でキッチンをレンタルしてレストラン営業ができるような、お試しで飲食業の体験ができる施設のことです。

僕のシェアキッチンでは、村で採れた物を使って、食で人の繋がりを作れればと思っています。例えば、「生活改善グループ」という農家のおばちゃんたちと一緒に、松川村の野菜をシェアキッチンで調理して惣菜にして、保育園に子どもを迎えに来るお母さんたちに買ってもらう、というイメージを持っています。高齢者と子育て世代が繋がるような企画ですね。シェアキッチンの場所が丁度保育園の前なので、立地としては凄く良いんですよ。

そして、宅建の資格も取って、不動産屋もやりたいんです。実は、移住希望者さんたちが「松川村に住みたい」と思っても、なかなか物件が出てこないし、先ほど言ったように新しく開発するのも難しいんですね。ただ、空き家は沢山あるので、掘り起こしてバトンを渡したいんです。

それに、シェアキッチンをレンタルしてくれた人が、将来はそのまま村内に出店できるようにする為にも、物件を取得していきたいです。シェアキッチンへの出店から実際の出店に向かって、僕が最後まで伴走できるようになりたいと思っています。

福祉事業も運営

あと、仲間と一緒に「一般社団法人Ori絲」という会社を作って運営しています。

その会社の事業の一つとして「まごサポ」というものがあるんですが、そちらも高齢者と子育て世代を繋ぎたいという思いで始めたんです。高齢者の困りごとを子育て世代が解決するという事業で、例えば、おしゃべりの相手がほしいとか、病院に付き添ってほしい、掃除、草刈り、電球の交換をしてほしいといった要望を高齢者の方からもらって、子育て中のママがそれを解決しにお宅に行くんです。たまに子どもを連れて行くと、高齢者の方に凄く喜ばれるんですよ。そこで3世代の交流が生まれます。

それに、Ori絲のメンバーには大工がいるので、「玄関の鍵が開かなくなった」とか「家に手すりをつけてほしい」といった、高齢者の方がどこに依頼したら良いのかわからないような困りごとも、とりあえずうちに連絡してもらう流れになっています。

おかげさまで、まごサポは去年74件の利用がありました。

僕は松川村が大好きなので、これからも色んな事業をやって貢献していきたいと思っています。

■関連リンク

松川村移住定住ガイド「いつかはまつかわ」

松川村地域おこし協力隊インスタグラム