「HSP」という言葉を聞いたことがある、という方はここ数年増えているのではないでしょうか。SNSを中心にブームが巻き起こり、「HSP診断」や「HSPあるある」といった投稿がよく見られるようになっています。しかし実はそういった情報の多くが学術的根拠のないものだと、HSPを研究している創価大学教育学部の飯村周平講師は言います。
HSP(Highly Sensitive Person)とは「生きづらさ」や「繊細さ」の指標のように言われることが多いですが、学術的には「良い環境と悪い環境から、良くも悪くも影響を受けやすい人」として理解されているそうです。また、程度の差にはばらつきがありHSPと非HSPを明確に分ける基準は存在しません。
飯村先生はブームの中で誤った理解が広まっていることに危機感を覚え、学術的立場からHSPについての本を出版されています。今回は出版の背景を中心に、HSPブームの問題点についてお話を伺いました。
飯村 周平 先生
創価大学 教育学部 教育学科 講師
2019年、中央大学大学院博士後期課程修了。博士(心理学)。日本学術振興会特別研究員PD(東京大学)を経て、2022年より創価大学教育学部専任講師。
専門は発達心理学。研究テーマは、思春期・青年期の環境感受性。日本心理学会研究教育委員会(博物館小委員会)委員、日本青年心理学会国際研究交流委員、『Humanities & Social Sciences Communications』編集委員。
主著に『HSPブームの功罪を問う』(岩波書店、単著)、『HSPの心理学:科学的根拠から理解する「繊細さ」と「生きづらさ」』(金子書房、単著)、『HSP研究への招待:発達、性格、臨床心理学の領域から』(花伝社、編著)、『高校進学でつまずいたら:「高1クライシス」をのりこえる』(筑摩書房、単著)など。
日本で初めてHSPについての学術書を出版
――飯村先生は2022年に『HSPの心理学 科学的根拠から理解する「繊細さ」と「生きづらさ」』、2023年に『HSPブームの功罪を問う』、2024年に『HSP研究への招待 発達、性格、臨床心理学の領域から』と、毎年HSPに関する本を出版されています。それぞれの出版の背景についてお聞かせ願えますか。
はい。まずはこれまでHSPについての学術的な専門書が無かったので、ブームになっている中で根拠のある情報を理解してもらうためには一般書と専門書の間としての本が必要だと感じました。そこで、一般の方でも学術的な関心のある専門家でも読んでいただけるように執筆したのが『HSPの心理学』です。
続いて、ブームの問題を整理し注意喚起する本の必要性を感じて『HSPブームの功罪を問う』を書きました。こちらは岩波ブックレットシリーズから出ていまして、高校生でも読めるように書いております。 そして最後にHSPに関する日本で初めての学術書として『HSP研究への招待』を出版しました。実はブームに伴って研究者や学生にもHSPに関心を示す人が多くなってきたのですが、そのニーズの高さに対して学術書が無かったのです。そこで執筆したのがこちらの本です。
HSPブームに警笛
――『HSP研究への招待』は飯村先生の他、数人の先生の共著となっていますが、飯村先生はこの本の「あとがき」で、HSPという言葉を冠した本を他の先生方にも書いていただくことに危惧があったと書かれています。それはなぜですか?
HSPブームが巻き起こっている中で、やはりさまざまな誤った情報が世の中に出回ってしまっています。「HSP」と聞くとエセ科学的なイメージを持たれることも多く、実際に私も発信によって批判的な言葉を投げかけられたことがあります。ですから、そうした印象のある言葉がタイトルになっている本の著者として他の先生方に参加いただくにあたって、不当な批判が先生方に向かないだろうかということに懸念がありました。
――一般に出回っているHSPに関する情報には、根拠のないものが多いのでしょうか。
そうですね。専門家から見ると根拠のない情報がたくさんありますし、専門家以外の方から見ても怪しいなと思われるような発信が出回っています。本当に血液型診断や心理テストと同レベルのものになってしまっている気がします。
HSPという言葉を知った方々の中には、「自分のこれまでの生きづらさが腑に落ちた、知ることができてよかった」というふうに感じられる方がいます。ただその一方でどの情報がより適切で、どの情報がでたらめなのかという判別が難しくなってしまっているのが現状です。でたらめな情報を見て「自分ってこういう特性があるんだ」と信じてしまったり、「医者に話を聴いてみたい」と思って誤った情報を発信しているクリニックに行って搾取されてしまったりするケースがあります。
例えば、「HSP 検査 精神科」といったワードでネット検索をすると、HSPを脳波で検査することを謳う精神科クリニックが上位にヒットするのですが、現在のところ、HSPを脳波で診断できるという学術的研究はされていません。つまり科学的根拠がないのです。
このように、信頼できる情報にたどり着くことがかなり難しくなっていますので、なんとかできないかと思い、発信を行っています。本の出版の他にも、研究に基づくHSP等の考え方を共有するためのサイトの制作運営を行っていますので、HSPを適切に理解するためにぜひ参考にしていただきたいです。
――ブームの中でHSPを自称する人の中には、例えば職場で叱られたときに「私はHSPなので注意しないでください」と楯のように利用する人もいると聞きます。
HSPを自認される方の中には、周りに問題を生じさせてしまう方もやはりいるという話を聞きますね。HSPが混沌としたラベルとして利用されてしまっているような印象を持っています。
そうやってトラブルを起こす方がいると、HSPだからと言ってひとまとめに疎まれてしまうという問題も生じてきます。ですから、同じようにHSPを自認している人たちの中でも、その特徴にはかなりばらつきがあることもこのブームで見えてきたことの一つだと思います。
――HSPという言葉がブームになったことにはどのような背景があるとお考えになりますか。
これは難しい質問で一言では答えられないですが、そもそもの問題としてどんな言葉であれ人々に刺さる言葉でないとブームにならないと思われます。そういう意味でHSPという考え方がこの時代の人々に何らかの形で刺さったという点があると考えています。
研究知見が得られているわけではないのですが、私の想像の範囲で考えているのは新型コロナのパンデミックによってブームが起こりやすくなったのではないかということです。ちょうどHSPがはやり始めた時期が新型コロナが広がっていった時期でした。今後どうなっていくのだろうと人々の不安が高まっていく時期に、HSPの特徴としていろいろなことが気になったり過剰に反応したりするということが紹介されたので「私もHSPなんじゃないかな」と感じられる方が多かったのではないかと考えています。
もう一つには近年は経済的な事情や政治的な事情で先行きの見えない時代と言われ、価値が多様化していて何が良くて何が悪いのかの基準が曖昧になっています。そんな中で、やはり生きづらさを抱える方が潜在的にとても多いと思うのです。その生きづらさをHSPという言葉がうまく言い表してくれて、結果その人々の生きづらさがブームという形で可視化されたような気がしています。
加えてHSPが単に悪い特性ではなく良い側面もあると、ポジティブな要素を含む言葉として広まったこともブームの要因の一つではないでしょうか。自分の生きづらさをある種肯定してくれる言葉ですから、受け入れられやすかったのではないかと。
また、HSPは非常に広範囲の問題を扱いますので、どこかしら特徴が自分に当てはまることが多いのです。対人的な敏感さや五感の敏感さなど、いろいろな問題や困りごとがHSPの特徴として挙げられているのを見ると、心理テストと同じように少しは自分に当てはまるところがあるように思われます。こういったいわゆる「バーナム効果」が含まれる説明が広まったので、「私もHSPだ」と感じられる方が多かったのではないかと思います。
このようにブームの背景は非常に入り組んでいますので、HSPはなかなか簡潔に整理ができない言葉になっていると感じています。
研究のきっかけは自身の悩み
――『HSPの心理学』の冒頭に、先生ご自身が「小さいころからお母さんに神経質だと言われていた」と書かれていました。そのご経験がHSP研究につながっているのでしょうか。
そうですね。特性をいわゆる「悪い」ものとして扱われると、基本的には特性は自分で変えられない部分ですので、なかなかきついところがあったと思います。同じような経験をした方には「自分ってなんかおかしいのかな」と思ってしまって悩む人が多いかもしれませんね。私は小さいときから神経質だと言われていて、高校生になる頃には自覚があり「なんでこんなに人よりいろいろなことが気になってしまうんだろう」と思っていました。
そんな中、大学に入ってHSPという概念に出会いました。今まで神経質だと言われてきた特徴が、実は良い刺激、良い環境からの影響も受けやすいであるとか、そういった別の見方を知ることができました。HSPという言葉に出会って楽になった経験をした方の多くがそうかもしれませんが、自分のそれまでのアイデンティティや性格をよりフラットな目線で見られることに衝撃を受けたのです。
その点に魅力を感じて、10年間研究を続けています。
――やはりまだ日本でHSPを研究して発信をされている方というのはかなり少ないのでしょうか。
そうですね、研究している方は多少いらっしゃるのですが、それを広く発信する方はほとんどいないです。先ほども述べたところではありますが、HSPという言葉で発信をするとやはり叩かれてしまうことが多いです。エセ科学的な印象を持たれてしまうので、叩かれてまで発信するメリットが研究者にはあまりないのです。
ですからそういう意味で自分しか発信する研究者がいないのではという責任感をもって出版をしたのですが、結果として私だけが目立ってしまい出版や講演会の機会が増えてしまっています。細かな依頼から大きな依頼までたくさん来てしまって、発信のあり方についても悩んでいるところです。
しかしもし私が本を書かなかったらどうなっていたかと考えると、やはり心理学者がHSPを整理する機会を作ったことについては良かったと思っています。
HSPに囚われすぎずに付き合っていく
――飯村先生が学術的な立場から本を出してくださったことは、本当にHSPとして生き方に悩んでいる方々にとって、後ろ盾を得たような心強いことだと思います。ブームに乗ってHSPを自認して周囲に迷惑をかけている人たちと一緒にされたくないという想いを持っている人にとって、大きな助け舟になったのではないでしょうか。
ブームの中でHSPを自認されている方は、ネットのHSP診断テストであるとか、誰かしらが発信した「HSPあるある」のようなものをきっかけに自認した方が多いようです。そういった情報には根拠がないものも多いので、もしきちんとHSPがどういうものなのか知りたい方は学術的な研究で使用される項目などを参考にして、自分の感受性の程度を把握することをおすすめします。また、結局感受性の尺度は内省によるものですので、そこを考慮しておかなければなりません。
HSPというラベルを自分に貼って救われる部分はあるかとは思うのですが、一部のHSPと言われる人たちを見ているとそのうちHSPという言葉に固執しなくなっていくような感じが見受けられます。あまりHSPかどうかに囚われず、良い距離感を保って自分を捉えるようになるのです。そう捉えた方が健全なのではないかと思いますね。HSPという言葉を全面に出して職場などのコミュニティの中で主張したい気持ちはわかるのですが、トラブルの原因になることが多いですから、HSPという言葉を出さなくてもうまく自分を説明できるようになることが良い付き合い方だと思います。
ブームの弊害もたくさんありますが、人それぞれ環境感受性が異なるということが広く知られたことは良かったと考えています。心理学の世界では当たり前すぎてあまり触れられないことですが、性格や感受性はグラデーションのようにばらつきがあります。世間ではHSPか非HSPかというように極端な理解になってしまいがちなので、こういった学術書などを通してより適切な見方が広まればと願っています。