秋田県男鹿市 地域おこし協力隊_佐々木里保さんに訊く:東京から男鹿市へ移住。さらに転職、妊娠、出産を経て人生の新たな道へ

働き方や生活スタイルが多様化するなか、都市部から地方に移住することへの関心も高まっています。
地方の生活への憧れに、東京から逃げ出したい思いも相まって、ご主人の地元である男鹿市への移住を決めた佐々木さん。

移住4年目を迎え、「実はきつかった」と話す移住1年目からは一転、「今は本当に幸せで、この生活が続いてほしい」と話します。

今回は、東京から男鹿市へ移住し、現在は地域おこし協力隊として活躍されている佐々木里保さんに、移住に至る経緯や男鹿市での生活についてお話を伺いました。

仕事に疲れ、東京での生活が苦痛に

――佐々木さんは東京都で生まれ育ったということですが、男鹿市に移住する前は、どのようなお仕事をされていたんですか?

転職を繰り返しながら、7年間アパレル系の雑貨デザインの仕事をしていました。

――東京での生活はいかがでしたか?

東京での生活というよりも、仕事が大変でした。幼少期からの夢を叶えてデザイナーになったものの、実際に働いてみると大変なことがたくさんありました。

夜遅くまで働かなければならず、モノが売れる時代ではない中で売れないことを責められる苦しみ、新しいものを作り出す苦しみがありました。モノを作っては売れ残って捨てるのがアパレル業界では当たり前なんですが、こうした世界で働き続けることが自分の幸せにつながるのか疑問を抱いていました。

――そのように東京で生活を続けてきた中で、最初に秋田県を訪れたときはどのような印象を持たれましたか?

夫が男鹿市の出身で、結婚前に夫のご両親に挨拶するために20代の頃に初めて男鹿市を訪れました。夜行バスで秋田に来たんですが、秋田駅に着いた時は「秋田で一番栄えている駅なのに、こんなに何もないんだ」と正直思いました。

当時は、秋田県で生活することは考えていなかったので、特にネガティブな印象は受けなかったんですけれど、意外でしたね。ただ、郊外へ向かっていくと広い空に海や山、田んぼと、私にとっては非日常の景色が広がっていて、すべてが新鮮でリフレッシュできたのを覚えています。元々、都会よりも自然の方が好きだったんです。

コロナを機に急展して移住へ

――当時は移住について全く考えていなかったとのお話でしたが、どのような経緯で男鹿市に移住することになったんですか?

実は最近思い出したんですが、夫と付き合う前から地方移住への憧れがあったんです。友人の実家が長崎にあって何度か訪れる機会があったんですが、海も山もあり空が広い感じが好きで、長崎への移住を考えたこともあります。友達のお母さんもノリノリで資料も送ってくれていたんですが、その矢先に夫と出会って付き合うことになり、結局長崎への移住は実現しませんでした。ただ、漠然と東京以外の場所で暮らしてみたいという気持ちは、おそらくどこかにあったと思います。

当時は仕事が本当にきつくて、今思えば全く違うキャリアに転職すれば良かったというだけの話だったのかもしれないんですけど、東京自体が嫌になっちゃいました。東京が悪いわけではないはずなのに、東京自体が嫌になって逃げたくなったんです。

夫の実家が農家をやっていて、おじいちゃんの代までが専業農家でお父さんは兼業農家なんですが、夫に継がせる気もないので田んぼも他の人に譲って縮小していくと聞いていました。その話を母にしたら、「もったいないから、あなたが継ぎなさい」と言われ、その道もありだなと思いました。でも、夫にその話をしたところ、その時点では「秋田には帰りたくない」と言われました。

ただ、「確かに東京は人が多すぎるから仙台ぐらいならいい」とは提案してくれました。でも、私はまた縁がない地方都市で生活するよりは、ビルもないような土地で今と全く違う暮らしがしてみたいというマインドになっちゃって。その思いを夫に伝え続けていましたが、今すぐには考えられないと言われて、押し問答が続く状態でした。

そんな中で、コロナ禍になってお互いリモートワークをするようになったんです。夫婦で一緒に過ごす時間が増えたことをお互いプラスに感じていた中で、夫が突如「リモートで仕事ができるなら秋田に行ってもいいかも」と言い始めたんです。私は「え?マジ!?」となって、そこから急展開で移住へと動き出しました。

理想と現実

――地域おこし協力隊のお仕事は、移住の準備を進めている中で見つけられたんですか?

どうせ移住するなら、その地域でしかできない、デザインとは丸っきり違う仕事がしたいと思っていました。それで、東京の移住相談窓口で男鹿市の地域おこし協力隊の募集があると担当者から教えてもらって、「めっちゃ楽しそう」と思い応募しました。

――そして無事に採用されたわけですね。移住されて、1年目の生活はいかがでしたか?

1年目は精神的にきつかったです。東京から逃げたい一心で男鹿市に移住してきましたが、こちらにはこちらの現実があると感じました。

特にしんどかったのは、地元の方との人付き合いです。移住担当という職業柄、地元の方に地域のことを紹介してもらったり、作業を手伝ったりする機会が多くありました。今思うと、地元の方は私のことを可愛がってくれて色々教えてやろうと接してくれていたんですが、「今までの人生と比べて地域の人との距離感が近すぎる」「関わるのが面倒」と思ってしまいました。また、方言が怒っているように聞こえてしまって、全然相手は怒っていないのに私が勝手に逆ギレしてしまうこともありました。

芽生えた心境の変化

――新天地での生活は大変なことも多いですよね。慣れるまでにどのぐらいかかりましたか?

妊娠、出産を経てだいぶ変わりました。2020年の10月に男鹿市に移住してきたんですが、翌年の6月には妊娠がわかり、2022年は丸々1年産休・育休でお休みしていました。

――お休みされている間に、どのような心境の変化があったんですか?

初めての育児で自分の家族も近くにいなかったので、とても大変でした。そんな状況で娘を連れてお散歩していると、町の方が娘を宝物のように扱ってくれることが本当にありがたかったです。皆さんに助けていただいたことで、地域の良さに気づき、本当に地域が大好きになりました。最初は嫌だと感じていた人との距離の近さが、すごく助けになったんです。

あと、地域の子育て支援センターに行くようになってから、意外と移住者のママが多いことを知りました。男鹿市には友達がいないママがたくさんいて、すぐに皆仲良くなりました。ママ友というコミュニティが新しくできたことも、本当に支えになりました。

今、子供は2歳で保育園に通っているんですが、園庭も広くて本当にのびのびできる環境が整っています。子供は少ないですが、その分手厚く面倒を見てもらえるのが良いなと感じています。

移住して大正解

――東京からの移住、転職、そして妊娠・出産という目まぐるしいキャリアチェンジをほぼ同時にされたことについて、今はどう感じていますか?

まず、デザイナーから地域おこし協力隊へキャリアチェンジして、本当に良かったと思っています。幼稚園の頃からデザイナーになるのが夢で、夢を叶えることができ、デザイナーの道だけを歩んで生きてきたので、地域おこし協力隊の仕事を通じて違う世界を見ることができたし、国の制度を利用して働いてるので行政のことも知られて勉強になることもたくさんあります。

全く違う世界に来たんですけど、今まで培ってきた技術やスキルを活かすこともできていて。例えば、デザイナーやイラストレーターとしての経験を活かして、ノベルティのデザインやポスター作成、一部広報の編集なども担当しています。
デザイナーという職種以外でも自分ができることを活かして誰かの役に立てるんだと自信になりました。あと、今は17時には帰ることができ、働き方が改善されたことで生活の質も上がりました。

――移住して充実した生活を送れているんですね。

地方に来たことで本当に世界が広がりました。私は自然の方が好きですし、通勤しているだけで癒されることは東京ではありえません。

また、この仕事だからというのもあると思うんですが、 ママたちと市役所の橋渡しとして意見交換する場に呼んでもらえたり、ママだからこそ舞い込んでくる仕事もあります。移住者ママが増えてきたこともあり、こうした意見交換の場を作りたいと言って設けてくれる方がいるんです。

あとは、休んでいる間にママ目線で見て男鹿市の子育て情報の発信について、もっとこうしたら良いんじゃないかと思うことがあったので、復帰してから広報のページをリニューアルしたりSNSを始めたりといったこともさせてもらっています。こうした経験ができるのは、この仕事や地域ならではだと思います。

――東京にいた方が世界が広いかと思いきや、逆に東京から地方に来たことで世界が広がるというのが面白いですね。今後はどのような暮らしをしていきたいとお考えですか?

今が幸せすぎて、特に何も変化は望んでいないんです。強いて言えば、もっと大きい家を買ったり建てたりできたらいいなと思うくらいで、本当に何も望んでいません。この生活が続けばいいなと思っています。

ただ、今は地域おこし協力隊の仕事があって収入が安定しているからそう思える部分もあるんですよね。地域おこし協力隊の仕事は退任がつきものなんですが、その後のことは全く考えられていなくて、そこが課題ですね。

夫のようにリモートで東京の仕事をする道もありますが、それでは自分が移住した本来の目的とは違うなとも思うんです。悩んでいますね。
私には今の仕事がマッチしているだけで、他の仕事に就いたら結局東京にいた時みたいな死んだ顔になっちゃうんじゃないかっていう恐怖はありますね。

――仕事と収入は、移住者が地方で暮らす上での大きな壁ですよね。

ですね。完全に自給自足できるんだったらまだいいんですけどね。

――ただ、仕事は少なくても食べ物を生産できるのは地方の良さだと思います。東京は消費に偏っていますからね。佐々木さんはせっかく生産できる所にいらっしゃるので、旦那さんのご先祖の田畑で農産物を育てて、東京ではできない自給自足を目指すのも良いかもしれませんね。

確かにそうですね。良いキーワードをいただきました。ありがとうございます。