幼児教育・保育を学ぶ4年制の単科大学である「こども教育宝仙大学」(東京都)では毎年、富山県南砺市利賀村で、5日間にわたって伝統文化や自然の中での保育に触れる地域文化体験「利賀村研修」を授業として実施しています。
50年間続く伝統ある研修で、学生たちはどんなことを学んでいるのでしょうか。捧公志朗教授にお聞きしました。
捧 公志朗 先生
こども教育宝仙大学 教授
【社会的活動・学会活動】
(研究に関連する社会的活動)
1)社会福祉法人青柳保育会七海保育園「子育て講演会」講師担当
(2023年11月/青柳保育会七海保育園)
2)社会福祉法人青柳保育会青柳保育園「子育て講演会」講師担当
(2023年11月/青柳保育会青柳保育園)
3)中野区「子どもの権利の日フォーラムなかの2023」造形ワークショップ担当
(2023年11月/中野区教育センター分室)
4)中野区立中央図書館講演会「「アートのある場所」との出会い方」講師担当
(2023年1月/中野区立中央図書館)
5)「造形ワークショップ講座」講師担当(2022年3月/中野区立中野東図書館)
6)「中野区保育実践研修」講師担当(2023年9月,12月/中野区子ども教育部)
7)「中野区保育実践研修」講師担当(2022年9月,12月/中野区子ども教育部)
8)「中野区保育実践研修」講師担当(2021年9月,12月/中野区子ども教育部)
【その他】
1)美術展覧会のキュレーション、及び、アートディレクション担当
「髙橋圀夫展—偶景—」(2023年11月/アートスペースnohako)
「庭と窓展」(2023年7月/アートスペースnohako)
「向井三郎展—水面—」(2022年11月/アートスペースnohako)
「伊藤史展—発光—」(2022年9月/アートスペースnohako)
「祐成政徳展—余白—」(2021年9月/アートスペースnohako)
「周豪展—相としての層—」(2021年6月/アートスペースnohako)
2)髙橋圀夫作品集『偶景 画集2004-2021』編集、及び、アートディレクション担当
(髙橋圀夫 著/髙橋圀夫 発行/ 2023年12月)
3)ちくま学芸文庫『民俗地名語彙事典』表紙デザイン、及び、装画担当
(松永美吉 著/日本地名研究所 編/筑摩書房 発行/2021年4月)
ブラッシュアップしながら50年間継続
――利賀村研修が、利賀村移動授業と呼ばれていたころからも含め、今年50周年を迎えたと伺っています。始まったきっかけを教えてください。
本学が短期大学だった50年前、清水俊夫名誉教授という主に人形劇などを指導していた先生がおりまして、その清水先生と懇意にしていた水田外史氏が、ご自身の主宰する人形劇の劇団公演で全国を回っている中で、利賀村とご縁ができたそうです。そして、「利賀村の中村地区に残っている合掌造りの建物を使って文化活動をやりたい」という相談が、村側から水田さんにあったそうです。
そこで水田さんが「合掌造りの建物を活用して、大学教育も絡めた文化活動を実験的にできるのではないか」と清水先生に提案し、清水先生が利賀村を視察することになったのがきっかけでした。
この当時、日本は高度経済成長期にあり、東京に高速道路がどんどんでき、新しいビルも乱立していく中で、公害などの問題も出ていました。本学は東京・中野区という都心に位置していることもあり、都会とは違って自然環境が残っている利賀村で、教育の一環として学生たちに自然体験をさせたいという思いが学内に出てきていました。それと、合掌造りを生かした文化活動をしたいという利賀村の文化村構想が合致して、当時の「利賀村移動授業」が始まりました。
――時代も含め、複合的な背景があった訳ですね
そうですね。どちらかが一方的にお願いをして始まったわけではなくて、双方の思いが出会ったと言えると思います。
――1回やってみて、お互いの反応が良かったから、来年もやろうということになったのですか。
今年、利賀村で本学との教育交流の50周年記念式典をしたのですが、それに合わせて記念の冊子を作った際に、当時の先生方にもインタビューしました。それによると、やはり教育活動ですから1回やって大成功ということではなく、もっとこうした方が良いという点も出てきたようです。例えば、50年前は7月に利賀村移動授業を行ったのですが、その時期は梅雨明け前で天候に恵まれなかったので、「来年からは5月に行おう」という具合に、少しずつ改良して継続するようになっていったようです。
――改良を重ねながら、やはり学生さんが学べるもの、村のためになることがあるという感触があったのでしょうか。
50年前は、参加した学生は1年生全員だったのですが、入学直後の5月、まだ仲良くならないうちにいきなり利賀村に行って活動することで、仲間作りやコミュニティを学ぶという目的もあったようです。ただ、私が思うに学生たちの興味関心よりも、教員側が面白がったという面が大きかったのではないでしょうか。今もそういう側面はありますが、教員の教育熱があって、利賀村の中でできることや、利賀村でしかできないことを楽しみながら模索してきたのだと思います。だからこそここまで続いているのだと想像します。
5日間、村の住民と密に交流
――当時も今も、貴学の学生さんは、首都圏出身の方が多いのでしょうか。
現在は東京を中心に首都圏出身者が多く、9割ほどを占めています。もちろん新潟や岩手、福島といった首都圏以外から来ている学生も少数ながらいます。
私たちの大学は仏教系で、短大時代も含めると来年で開学90周年になりますが、開学当時は、関東で初めて保育者を養成する仏教系の短大ができたということで、首都圏以外からも比較的多くの学生が入学してきたようです。
――首都圏で育った人が利賀村に行くと全然環境が違うと思いますが、そうした中で共に生活することに意味がありそうですね。
そうですね。そうしたカルチャーショックやギャップは、50年間続いてきたこの研修の1つのポイントになっています。都市と山村、人工と自然の違いを感じ、いろんな環境の中での子育て、地域文化を見て学ぶということは、授業の大きな狙いですね。
――利賀村研修では、どんな経験が学生のためになると思いますか。
5日間にわたって子どもたち、村の住民の皆さんと交流していく研修の中で、人と人が出会っていく、人と触れ合うという人間関係の基本的なことを改めて体感してもらえる場になっていると思います。東京だと同じマンションでも隣の人と挨拶しない、隣の人の名前すら知らないということもありますから。学生たちには利賀村研修を通じて、地域の中で人々が生まれ、暮らしていく中で人間関係や文化が育まれるのだということを感じ取ってほしいです。
村の園児との交流から、そば打ち、民謡の体験まで
――昔は学生さんたちで「隠れ家」を一緒に造ったこともあったそうですね。
間伐材や、製材した丸太を角材にしたときに余った廃材を地元の林業の業者さんから分けていただいて、掘っ立て小屋のようなものを建てていました。小屋を作るのは、建築を学んでいる学生ではありません。デザインや造形を重視するわけではなく、グループで一つのものを建ててみようという活動でした。家は一人では造れないし、皆でアイデアを出して協力しないと進まないということを、「隠れ家」のようなプライベート空間を造ることを通じて学ぶという活動が、短大の時のカリキュラムでした。
当時は利賀村での研修は1年生向けに実施していましたが、昨年までは2年生、そして今年からは全学年の選択制にして、希望者を連れて行くようになりました。ちなみに、今年は31名が参加しました。
――今年はどんな活動をしたのですか。
今年は、村に一つだけある保育園の園児たちと遊ぶ活動や、そば打ち体験、おやき作り、民宿の人たちと一緒にご飯を作るといった食体験もしました。自分たちで作って食べる体験は、分かりやすいですからね。他にも、里山を利用して森を維持する活動をしている「TOGA森の大学校」、「moribio」さんとタイアップして、森の中にある樹木について学習するなど、利賀村の自然環境について知るプログラムも行いました。また、「むぎや節」という伝統的な民謡も民謡保存会の方から教わりました。
学生たちは、利賀村の中にある自然と文化資源に触れながら、村の方々と交流する5日間を過ごしました。
――普段とは全く違う環境に行って、あまり親しくない人とも一緒になって作業するのですね。
そうですね。ただ、村のお宅に分かれて宿泊する際のグループ作りだけは、仲の良い友達同士で分けています。短大時代はランダムに、友達でない人同士でグループを組ませていましたが、今は配慮しています。
学生それぞれに学びがあり、リピーターの参加者も
――参加者は、どういう動機をもって参加しているのですか。
学生のモチベーションはあまりわからないのが正直なところです。授業を選択する前の説明会で、「この研修は4泊5で、交通費、宿泊費、食費、研修費といった費用を1人あたり6万5000円負担してもらう」ということを説明してはいます。
学生としては「なんか楽しそう」とか「一緒に行ってみよう」という気軽な気持ちで選んでいるのではないでしょうか。入口はそれぐらいでいいのかな、とは感じます。実際に行ってみると学生それぞれに感じることはあるようで、「行ってよかった」「また行きたい」という声を聞きます。
リピーターもいます。ただ、リピーターの学生に単位をもう1回出すわけにはいきません。そういう意味では、最初は「楽しそうだから」と気軽に履修したものの、強烈な何かが自分の中に残り、また行ってみたいと思ってくれているのではないでしょうか。利賀村はなかなか一人で行けるようなところでもないから、大学の研修だと入りやすいという理由もあるかもしれません。
――リピートする学生さんは、どんな気づきや発見を得ているのでしょうか。
2年生の時に利賀村に行って、4年生のときにもう1回参加した学生がいましたが、1回目がとても楽しかったのだと思いますし、4年生になると自分の興味関心が深まり、さらに掘り下げたいという気持ちになったのではないかと感じます。
――4年生になると進路のことも考えるでしょうしね。
そうですね。自然環境を活用しながらの保育は、地方都市や利賀村のような山間部では昔から実践されています。「都市の保育園、幼稚園ではなく、自然環境の中で保育がしたい」「また利賀村に行きたい」「保育実習を利賀村でしたい」と言う学生もいます。
――そういう学生さんたちにとっては、印象深く、ためになる研修なのでしょうね。
そうですね。職業保育のためというより、色んなところで色んな文化や人と出会って、学生自身が経験の幅を広げ、それを栄養として取りこんでいくような人間形成の機会としてもらえることを期待しています。
子どもの表現から大人が学ぶことも多い
――先生は大学でどのような授業を担当していらっしゃいますか。
私の専門は美術です。学生たちは子どもたちと一緒に絵を描いたり物を作ったりするのですが、そういった表現活動のための造形の授業を担当しています。
――美術的な表現分野がご専門の先生にとって、保育というものはどう映っていますか。
本学は、0~6歳の子どもたちへの保育や教育をするために必要な資格・免許をとっていく保育者養成校ですが、乳幼児の子どもたちは、長い人生の中でも根っこになる部分の人間形成をしていきますよね。色んなものを触ったり、表現したりすることは、子どもたちにとってすごく重要です。様々な色の素材を使って様々な形を作り遊ぶ中で、子どもたちの感性ややる気、面白いと思う気持ちを引き出していける造形は、保育の中で大切な分野だと思っています。
――子どもって、生まれながらに創造性を持っているような気がしますよね。教えられなくても勝手に何かしますし。
そうですね。子どもは本当に自由ですよね。だから、逆に保育をする大人は、子どもたちのそういった姿から学ぶことも多いです。大人が一方的に教えるということではなく、子どもたちを支援したり、手助けしたりする中で、大人も色んなことに気づかされて成長できるという、子どもと大人の関係性が存在していると思います。
私はもともと現代美術の作家として活動してきましたし、今も学外で展覧会の企画やキュレーションもしていますが、広い意味で、日本にはなかなか芸術を教養として取り入れて生活を豊かにしていくという文化が根付きません。なので、身近に小さな子どもがいる方や保育者たちが、子育てに関わりながら子どもと一緒にそういった文化的教養を取り戻していくことはとても大事だと思います。何も美術館や博物館に行かなくても、身近な子育てからも芸術や創造性を取り戻すことは十分にできますからね。