福井県大野市で、2024年の8月にオープンしたカフェが話題を呼んでいます。土曜日限定で市の交流施設の中に現れる「星空案内カフェ ほしのいと」は、大野市地域おこし協力隊の望月詩織さんが中心となって運営しているカフェです。なぜ地域おこし協力隊である望月さんがカフェをオープンすることになったのか、お話を伺う中で望月さん自身の生き方や考え方の変化など様々な話題に触れました。
(記事公開日:2025年2月11日)
大野市に移住するまで
出身は山梨県甲府市です。進学を機に東京に出て、Webデザインの専門学校に通っていました。3年生になるタイミングで退学し、4年ほどWebマーケティングの会社でアルバイトをしてから、独立し、フリーランスとして働いていました。
25〜26歳の頃、東京を出て国内の地方を転々とする生活をし、自然豊かな環境で暮らしたくなり、地方移住を考えました。その後、2020年末に福井県大野市に移住し、地域おこし協力隊として市の星空のPR活動をはじめ、今に至ります。
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不安定だった子供時代
子供の頃は、自分を殺して生きていました。
父親が躁鬱を患っており、薬物の乱用やアルコール依存もあって、よく暴れていました。今も子供の頃のトラウマが残っていて、男性が少し怖いです。また大きな音や怒鳴り声を聞くと、フラッシュバックを起こすことがあります。
小学3年生の時に両親が離婚し、父は精神病棟に入院して、祖父母の家で暮らせるようになったのですが、恐怖心や諦め、過度な気遣い癖から、本心を出せなくなり、自分のなかの感情を抑圧したり、捻じ曲げたりするようになりました。出せなかった苦しさをどう解消して良いのか分からなくて、自分の身体を刃物で傷つけたりしていました。
その後、中学2年生の時にパニック障害と全般性不安障害を発症し、高校は進学校に進んだものの、発作への不安や不安定さから2年次で退学してしまいました。母親が通信校に転学させてくれたのですが、何度も、精神科でもらった薬を一度に大量に飲んだり、自傷を繰り返しているうちに、頭がぼーっとして、引きこもるようになりました。
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上京して、少し生きやすくなった
1年後、このままではダメだと思ったので、弱い部分や解決できない問題を自分から切り離して忘れ、引きこもりから脱しました。
少しずつ外に出られるようになり、将来や進路についても考えられるようになりました。母から「進学は、女性一人でも生ていけるように、良い大学に行くか、手に職をつけるかどちらかに」との助言を受けて、当時独学していたWebデザインの専門学校を選択し、東京へ行くことにしました。
東京での生活は、自分には合っていたみたいで、地元で感じていた閉塞感がなくなり、生きやすくなりました。また自分と似た経験をしている人にもたくさん出会えて、「辛かったよね」「生きるのって難しいよね」と分かり合えて、気が楽になりました。みんな何かを抱えていて、間違った選択をすることや人に迷惑をかけしてしまうこともあるけれど、今をできる限り一生懸命生きているんだなと感じて、私も前向きに生きようと思いました。
また高校に通っていた頃、放送部に入っていたのですが、自分が脚本を書き、制作を務めたドラマが、コンクールで何度も入賞できた経験がありました。普段出せない感情や考えを創作に落とし込み昇華できたこと、また部員の仲間やドラマを見た他校の人から温かい言葉をいただけたこともあって、その分野に進みたい気持ちもありました。なので専門学校に通いながら、演劇などの表現に関われる環境に飛び込みました。引きこもっていた反動もあって、学校・バイト・活動と、休みなく動き続けました。
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変わろうと決めた
20歳の時に父が亡くなり、また心のバランスを崩しはじめました。父はアルコールと抗鬱剤を一緒に飲み、吐瀉物を喉に詰まらせて亡くなったそうです。ちょうど亡くなる前に、傷つけるようなことを言ってしまったので、自分のせいだと思いました。発見が遅れ、夏だったこともあり、顔や体が損傷していました。携帯の待ち受け画面が私だったことから、離れていても愛されていたことに気づき、罪悪感と、それから私もずっと寂しかったことに気づきました。
その後、支えてくれる人たちがいたおかげで「生きなきゃ」と思えたのですが、心がついていかず、そのまま生きている自分と、立ち止まったままの自分が分離し、両者を行き来するようになりました。後に「解離性障害」という、アイデンティティ(自我同一性)の感覚が失われる精神障害の状態だったと分かったのですが、元々不安定な面を持っていたので自分の異変に気付けず、悪化し、自分の感情が分からなくなっていき、生きている実感がなくなり、自暴自棄な行動をとるようになりました。
数年経ち、高熱で1週間入院する機会があったのですが、心身ともに落ちきった情けない自分を改めて直視して「変わらなきゃ」と思いました。
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毎日自分と向き合い続けた
そこから、自分と向き合う時間をたくさん取り、カウンセリングも受けるようになりました。
父が亡くなったことだけでなく、幼少期からのトラウマやストレスも複雑に絡まった状態だったので、すぐに治すのは難しい状態でした。また過去に遡って向き合おうとすると、大事なところで意識が途切れたり、忘れてしまったりして、なかなか前に進めませんでした。それでも1年以上、毎日自分と向き合い続け、また自分の環境を整理していったら、切り離されていた自分の感情と少しずつ繋がれるようになりました。
25歳になり、絵を描くようになりました。言葉にできない自分の感情や想いを絵に描き出すことで、より向き合いやすくなりました。また、絵を描いたり創作したりして、何かを表現することが、私らしさだと気づくことができました。
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それからたくさん絵を描き、同年の12月に、絵と物語の個展をひらきました。クラウドファンディングで資金調達を行なったのですが、寄付してくださった人たちがいたおかげで、好きだった都内のギャラリーで開くことができました。
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少しずつ私らしさを掴めていたのですが、それでも変われない部分がありました。
相手が自分に対して望んでいることや期待に、私の感情を無視して応えようとしてしまう癖がついていました。それは優しさからではなく、子供の頃に染みついた、感情をそのまま出したら酷く怒られるのではないかという不安や、どうせ受け止めてもらえないという諦め、相手がいなくなってしまうのではないかという恐怖心が心の奥にあったからでした。
またそれを無意識で行なっていたので、自我の混乱も起こっていたのだと思います。相手の態度に左右されず、自分の感情や意思を外に出せるようになる「精神的な自立」が必要だと思いました。
ただ、頭では分かっていても癖が抜けず、一度全てと距離をとらないと変われないと感じたので、仕事を辞めて、東京の住まいを解約し、部屋の荷物を捨てて、また実家にあった荷物も全部捨てて、家族や周囲の人に断りを入れてスマホを解約し、持ち物をキャリーバッグ1つにまとめて東京を出ました。
荷物も連絡先も捨てて放浪の旅へ
東京を出て、国内の行きたいところを転々とする生活をはじめました。
放浪している間は主にゲストハウスで寝泊まりをしていました。清掃などの業務をするかわりに、無料で宿泊させてもらえる、フリーアコモデーションという仕組みを利用したり、絵を描く代わりに泊まらせてもらったりしました。
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感情に耳を傾けながらゆっくりと過ごし、また滞在先で人と関わる際には、感情や意思を素直に出すよう意識して過ごしました。そうしていくちに、少しずつ自分を確立していけるようになりました。多少混乱してしまっても、すぐに移動して自分の中をリセットできたのも良かったのかなと思います。
旅の中で、自然や生き物、それから、田舎の景色や静けさ、食が好きなことに気づきました。好きなものに囲まれて暮らせたら幸せだなと思い、放浪しながら定住先も探し始めました。
1年半ほどかけて40都道府県ほど地方を回ったのですが、どこも良い地域だったものの「絶対にここ」という場所が見つけられず…。自分も落ち着き、仕事も復帰したくなってきたので、一度、山梨県の富士吉田市という場所に定住し、Webの仕事も再開しました。
暮らしたいと思う場所を見つけた
富士吉田市に定住してから半年経った頃、放浪していた時に仲良くなった友達が福井市に移住したと聞いて、遊びにいく機会がありました。その時に「星空が綺麗な場所 福井」と検索して、大野市を知りました。初めて福井に訪れた時は、交通や宿泊の面でハードルを感じ、大野市に行くことができなかったのですが、帰ってからも大野市のことが気になってしまい、市のことを調べるようになりました。
大野市は星空も水も綺麗で、また自然を守り、大切にする取り組みも盛んだったので、優しい場所なんだろうなと思いました。野鳥などの可愛い生き物も多く生息しており、また、食文化も豊かだったので、調べていくうち、どんどん「ここで暮らしたい」と思うようになりました。翌月、もう一度福井県に行き、大野市に訪れてみたら、街も人も素敵だったので移住を決めました。
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住み始めてから4年経ったのですが、日々、大野の自然や景色、食、生き物に癒されています。また穏やかな地域性から、とても安心して暮らせるようになりました。不安を感じやすい私にとって、安心できる場所ができたことは、とてもありがたいことでした。移住して本当に良かったです。
地域の中で私らしく働く
移住を機に、地域おこし協力隊にも就任しました。
活動を経て、程よい社会や人との繋がりができたらという気持ちがありました。また、大野の星や水などの自然に惹かれて移住したので、それらに関わりたい気持ちもあり、タイミング良く星空に携われる業務で募集がかかったので、迷わず応募しました。
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大野市は星空がとても綺麗な地域です。過去には日本一美しい星空に選ばれた(※1)こともあり、また令和5年度には星空の世界遺産と呼ばれる「星空保護区」の認定を、南六呂師というエリアで受けています。市では、星空を観光資源として活用するため、また今後も守っていくために、地域住民と共に様々な取り組みを行っています。
活動は、行政の方が施策を進める中で、手が届きにくそうな部分のサポートや、地域住民が感じている問題意識やニーズを汲み取り対応していくところから始めました。具体的には、情報紙の発行や情報サイトの制作、公式サイトの立ち上げ、学校への出前授業、そのほか、依頼があれば、とりあえず何でもやりました。詳しい活動内容は、ホームページを見ていただけたら嬉しいです。
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また私らしく働きたい気持ちもあったので、多くの活動では「大野市の星空を、可愛く楽しく盛り上げる」をコンセプトに、手書きのイラストを用いるようにしています。星のグッズ制作も行なっているのですが、観光で訪れた方だけでなく、地元の方にもご購入していただけており、市内でグッズを身につけた人にばったり出会えた時には、とても嬉しくなります。
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最近は、市内の事業者さんとコラボしたり、商品のパッケージデザインを依頼していただいたりもしています。移住者だからと言って邪険にせず、むしろ「一緒にやろう」と受け入れてくださっている地域の方々には、いつも本当に感謝の気持ちです。
※1 日本一美しい星空に選ばれた
過去に環境省が行っていた「全国星空継続観察」という調査において、市内の地域である大矢戸区(平成16年)と南六呂師区(平成17年)が、日本一美しい星空が見える場所に選ばれました。
誰かの心を癒せる場所に
2024年8月には「星空案内カフェ ほしのいと」をオープンしました。
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大野市は、晴れたら星空がとても綺麗なのですが、曇天・雨天が多く、せっかくお客様が来てくださっても、星空を見られないことが多くあります。なので、どんな天候であっても星空を楽しめて、癒されることができる場所があればと考え、ほしのいとを創りました。
店内には150インチの大きなスクリーンがあり、大野市の美しい星空や、世界の絶景の星空映像を楽しむことができます。また、夜空の下にいるような気持ちになれるよう照明を暗くしており、灯りが必要な方にはランタンをご用意してあります。ぼーっとできると好評です。
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店名の「ほしのいと」には2つの想いを込めています。大野市の星空と人を結べるようにという想いと、それから、誰もが持っている、星のようにキラキラした感情と心を結ぶ、糸のような場所にできたらという想いです。
好き、嬉しい、楽しいなど、キラキラした感情には、その人らしさや、「生きていきたい」と思える勇気が詰まっていると思うのですが、悲しいことや疲れてしまうことがあると、心から切り離れてしまいやすいのかなと思っています。日々の心の負荷を癒して、いつでもキラキラした感情と心を結んでおける。そんな風に、ほしのいとが誰かにとっての心を癒せる場所になれたら嬉しいです。
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弱さとも一緒に生きていく
東京を出てから6年、自分と向き合い始めてからは8年以上経ったのですが、今でも生きているのがふと苦しくなる瞬間がありますし、パニック障害の発作や、フラッシュバックを起こすこともあります。
でも、自分を変えようと歩み続けたことで、弱さや不安定な私をそのまま抱えて生きていこうとする強さを持てるようになりました。
もし、同じような過去や性質で悩んでいる方がいたら、気軽にほしのいとに遊びにきてください。ぼーっとするお手伝いができたら嬉しいです。美しい星空と共に、ご来店をお待ちしています。
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