現代は旧来の価値観や社会規範が変化し、女性の働き方も多様化しています。
今回は、会社員や宿の料理人を経て菜食料理家として独立した野本弥生さんにお話を伺いました。
忙しかった会社員時代
私は、バブルの終わる頃に新卒で東京の小さな人材派遣会社に入りまして、そこで営業として16年程働きました。本当に小さな会社で人手が足りていなかったので、営業ではあったんですが、経理以外の業務は全て経験しました。
正直な話、今で言うところの「ブラック企業」で、労働基準法に従っていたとは言い難い状況でした。
当時は人材派遣の法律も出来て、業界として広がり始めた頃だったので、とても勢いがあって、良く言うならば忙しくてやり甲斐はありました。でもやっぱり、今思うと異常な働き方をしていましたね。
ただ、20代の私としては初めて入った会社でしたし、それが異常とは気付かず、むしろ「もっと売り上げなきゃ、周りの人のように頑張らなきゃ」と思っていました。
まあ…年中疲れていましたね。
新たな世界を知る
画像引用元:ホリスティックリトリート 穂高養生園 Holistic Retreat Hotaka Yojoen
そんな中で、見かねた知り合いが「そんなに疲れているのなら、こういう宿があるよ」と教えてくれたのが、後に私の職場となる「穂高養生園」でした。
当初、どういう宿なのかよく知らなかったんですが、実際に泊まってみると、夕食時に見たことのない茶色いご飯が出されて面食らいました。
それは玄米だったんですが、私は玄米を食べたことがなかったので、「ここは禅寺なのか?とんでもない所に来ちゃったな」と思いました。
そして、翌朝は宿のプログラムとして、皆で森の中を1時間くらい散歩したんです。
その散歩は、普段都会で働き詰めで運動不足の私にとってはただの散歩ではなくて、傾斜のある森の中だし皆は早足だしで、「置いて行かれたら家に帰れないよ」と思うくらい大変で、付いて行くのがやっとでした。
ところが、その散歩が終わってみると、気持ち良かったんですよね。何も考えずに歩くという単純な行為が、私の心身に響いたんです。
さらに、散歩後の食事で再び出された玄米が…なんと美味しいことか。最初はとんでもない所だと思っていたのに、宿泊が終わる頃には次の予約をしていました。
自然の中に身を置くことと、質素で滋養のある食事に、都会で疲れた私は嵌ってしまったんですね。それで、会社で働きながら、まとまった休暇には穂高養生園で癒しを得るということを何年か続けました。
心身の不調という転機
画像引用元:ホリスティックリトリート 穂高養生園 Holistic Retreat Hotaka Yojoen
ところが、やはり無理な働き方がたたりまして、30代の後半になって心身の調子を崩してしまったんですね。
頭は動くけれど、体が上手く働かないという状態で。病院にかかったら、軽度の躁鬱病と自律神経失調症という診断をされました。ドクターストップがかかり、私は1年間休職することになりました。
会社に通わない生活になり、体の調子の良い日は家の周りを散歩などしてみたんですが、どうも気分転換にならないんです。日常の生活圏ですからね。
そこで思い浮かんだのが、穂高養生園です。オーナーに連絡を取ってみたら、丁度ボランティアスタッフを募集しているということだったので、すぐに行きました。
私としては、働きに行くというよりも、「日常を離れた自然の中で過ごしたいなあ」という気持ちだったんですが…行ってみると、まあ朝から夕方まであらゆる業務でこき使われまして。
まるでゆっくり過ごせなかったんですが、忙しく働いていたら、病気のことなど忘れてしまいました。
そこでの忙しさは、体を使う人間らしい忙しさだったんですね。会社にいる時のような数字のプレッシャーも人間関係のストレスもありませんでしたし、空気も東京、埼玉より美味しいし。
3日くらい滞在するつもりだったのが、会社を辞めて穂高養生園に15年務めることになりました。
ものづくりの道へ
宿では次第に厨房を任されるようになりまして、その現場で段々と腕を磨いたという感じです。
会社員時代から料理は好きで、料理教室に通ったり料理本を見て勉強したりはしていたんですが、現場ではそういったものがまるで役には立ちませんでした。
大事なのは知識ではなくて、畑からやって来る野菜の状況、季節の変化を見ること。そして、連泊するお客様を飽きさせない為には、例えば、連日同じ野菜を使うにしても切り方や火の入れ方を変えて、見た目や食感を違ったものにする。
そういった創意工夫をしながら料理を提供するという「ものづくり」が、私にはとても合っていました。
宿では厨房と食堂の間に壁がなくて、毎日お客様の反応を見ながら料理ができたのも、とても良い経験になりました。
コロナ禍を機にフリーに
新型コロナウイルスの流行が始まってからは宿の営業が止まってしまい、それを機にフリーランスに転身しました。「菜食料理家」という肩書きで、料理教室や出張料理をしています。
自分で企画することもありますし、呼ばれて行くこともありますが、どちらにせよ、お客様と同じ空間で美味しい料理を囲んで、幸せを共有したいという気持ちでやっています。
ただ、雇われない生活になってつくづく思ったんですが、働かなければ収入が得られないんですね。当たり前のことですよね。ブラックな会社に勤めていた時でも、ブラックなりにお給料は出ていて、風邪をひいて休んだり、代休を取ったりすることもありました。それでも家賃を払えるだけの収入は得ていたんですね。
今は、風邪をひいて横になっている時に、ふと、「私はこのまま寝てたらお金が入らなくて家賃が払えなくなるな」と思うこともあります。独立して働くことには、そういった厳しさがありますね。
今を生きる女性達へ
私くらいの年齢(50代)の女性だと、一昔前であれば「子供が大きくなり、孫がいて、夫は定年退職し、これから2人でどう過ごそう」といったステレオタイプがありました。
今はライフスタイルの変化が進み、女性の生き方は多様化しているし、せざるを得ないのだと感じます。
私は現在独身で子供もいませんが、「いい年した女性が独り身で子供もいなくて、料理の仕事なんかで食べていけるの?」といったことを言われることもあります。
でも、大事なのは他人からどう見られるかではなく、自分が今の状態に満たされているかどうかなんですよね。「こういう時に嬉しい気持ちになるな」「これが好きだな」といったことを素直にキャッチできるか。
あと、生きていく上で大事なのは、「何事も自分で選べるということを知る」ことだと思います。例えば、私はかつてブラック企業で働いていましたが、それを選んだのは自分だし、辞めることを選んだのもやはり自分です。
そういった選択をすることができたのだから、これからも自分自身で選べるし、選んで良いんです。