「ホスピタル・プレイ・スペシャリスト」という職業をご存知でしょうか?
主に病院やホスピス、診療所などに勤め、遊びを利用して子供や若者が病院での生活に慣れるように手伝い、医療処置を落ち着いて受けられるように助けます。医療チームとのやり取りにおいては、子供や若者の代弁者として行動します。また、ストレス下にある家族をサポートし、診断や治療に対処する為にはどのように子供と遊んだら良いかといったことを助言します。
ホスピタル・プレイ・スペシャリストの概念はイギリスで生まれ、現在は国家資格となっています。日本へは静岡県立大学短期大学部の教授である松平千佳先生がその概念を輸入し、同短期大学の履修証明プログラムとして「ホスピタル・プレイ・スペシャリスト養成講座」が開かれています。
今回のインタビューでは、松平先生にホスピタル・プレイ・スペシャリストとの出会いや、日本での普及への思い、「病院と子供と遊び」などについてお話を伺いました。
松平千佳先生
静岡県立大学短期大学部社会福祉学科教授
佛教大学大学院社会学研究科博士課程後期満期退学(社会学修士、1990)、専門は対人援助技術。ホスピタル・プレイの方法論・養成を専門分野として活動。2011 年1 月、英国Hospital Play Staff Education Trust より、ホスピタル・プレイ・スペシャリストに認定。
ホスピタル・プレイ・スペシャリストが生まれた背景
私は「ソーシャルワーク」という福祉の対人援助技術が専門なんですが、ソーシャルワークというものは凄く学際的で、色々な学問を取り込みながら発展してきたんです。元々は経済学から始まり、心理学や社会学も取り込んでいます。
私は大学院にいた時にメディカルソーシャルワーカーのアルバイトをしていたんですが、当時、「医療と福祉を融合させて一本化する」といった話があったんですね。でも、現場では全くそんなことが実現できる気配がなくて、むしろ「医療が上で、福祉は下」というヒエラルキーを感じました。なので、私は「こんなのは融合といえない」と思って、そこを離れたんですよ。
その後、2006年にソーシャルワークの研究でイギリスへ行った際に、初めてホスピタル・プレイ・スペシャリスト(以下「HPS」と表記)の活動を見て、「この人達がいたら本当に医療と福祉を融合できる」と実感して、凄く興味を持ちました。
HPSはイギリスが発祥なんですが、イギリスでは産業革命が起こったことに伴い貧困が生まれて、貧しい人が生きることの大変さや不平等が社会問題化しました。そんな中で、「ゆりかごから墓場まで人がちゃんと生きられる様にする責任が国にはあるのではないか」という社会福祉の考え方が生まれたんです。
さらに第2次世界大戦があって、親が戦争に従事している間に預けられる子供達もたくさんいましたし、戦争孤児も生まれました。そして、そういった子供達の中から、非行に走ったりギャングになったりする子も出てきて、メンタルヘルスの問題が大きくクローズアップされたんです。
病院に行く子供達がどんどんと増えていく中で、「病院は子供がいるにふさわしい場所ですか?」という問いが親達から出てきました。というのも、病院に行って名目上の病気は治ったけれど、新たに精神に支障をきたして帰って来るというケースが多かったんですね。
医療社会学者が言うには、「病態としての病と経験としての病は全く別物だから、病態としての病だけを治癒しようとしても、経験としての病が取り残されて結局病気は治らない」。病院に行ったことで、逆に一生引きずる様な病にかかってしまうこともあるわけです。
そうした背景で生まれたのがHPSで、具体的に病院ではどういうことをしているかというと、例えば、ある子供が入院する際に採血を受けるとします。その際に、HPSは「ディストラクション」といって、「採血の場面ではこういうことが起きますよ」と子供に説明します。そして対話をしながら、その子供にとって恐いこととそうでないことを整理して、「恐い部分を軽減する為にはこんなことができますよ」と提案します。
そして一緒に採血の場面に臨むわけですね。「君の右腕から採血をするけれども、左手は使えるから左手でゲームをして私と遊びましょう」と。そういうことです。
ゲームだけではなく色々なことができるので、時に日本の医療現場で行われるような、嫌がる子供をぐるぐる巻きにして抑え込むといったことはしなくて良いわけです。子供も早く家に帰りたいし、病気が治った方が良いということはわかっていますからね。
イギリスでは、その様に子供も1人の人間として、大人と同等に扱うんです。やっぱり公平性はとても大事ですね。
それに対して日本は、子供を見くびっているんですよね。言葉がわかる、わからないではなくて、こちらの姿勢を理解するかどうか。こちらが子供に対しても敬意を持って接していることが伝わると、子供側もこちらに敬意を持ってくれるんですよ。
子供にとって遊びとは真面目なもの
病院という所は物凄くお金が動くし、最新のテクニックを導入することが好まれる場所なんです。でも、人間には普遍性があるんです。
例えば、子供の遊び道具や遊び方は変われども、その本質は江戸時代の頃から変わっていないんです。そして子供が何故遊ぶかというと、遊びたいから遊ぶんです。そこに発達やら何やらと、大人が勝手に理屈をつけますけど、子供達はただ真面目に遊んでいるだけなんです。
仕事と比較して遊びは不真面目なものだと思っている大人は沢山いますが、私は不真面目に遊んでいる子供を見たことがありません。大人が不真面目に仕事をすることはできるけれども、子供は不真面目に遊べないんですよ。不真面目になると、遊びから逸脱してしまう。だから、子供が遊ぶ時はとてつもなく真剣なんです。はっきり言って、大人が仕事をする時よりも真剣度は高いでしょうね。
そして、その真剣に遊んだ経験が、大人になってからも好きなことを仕事にするとか、あるいは仕事は貨幣価値の追求と割り切って別に趣味の世界を持つとか、そういったことに繋がるわけですね。芸術家などは、おそらく遊びと仕事とを一本化していると思うんです。
病院の話に戻りますが、病院は最先端の物と大きなお金が動く産業だけれども、そこに子供という存在がいる時には、やっぱり遊びがないと。でないと、子供達は産業に振り回されてしまうんですよ。
病院という場所だからこそ、子供の遊びをいかに保証するか。それが、この日本社会を評価する1つのバロメーターだと私は見ています。これが達成されないと、日本は本当に子供が幸せにならない国になります。
実際に、ユニセフの調査だと、日本の子供の精神的幸福度は滅茶苦茶低いんですよ(2020年の調査で38ヶ国中37位)。でも、肉体的な健康度は凄く高くて、乳幼児死亡率も低いし、予防接種も受けているし、虫歯もないんです。普通は健康であれば幸福度が上がるはずなのに、日本ではそうならない。それは凄くわかりやすい事実ですね。
イギリスの素晴らしき共有の精神
やっぱり子供には遊びが必要なので、私達はHPSの普及に力を尽くしています。最初の4、5年はHPSを紹介する為に全国行脚しました。でも、医療分野であれ福祉分野であれ、どうしても日本って小さな集団に分かれてしまって連携しないんですよね。そういった所にHPSを紹介しに行ったら凄く嫌われました。
それと好対照な話を1つ挙げると、私達がHPSをイギリスから持って来る際に、あちらの団体の理事会に行ってプレゼンをしたんですね。やっぱりHPSという概念はイギリスから生まれたものだから。
そしたら、理事の人から「我々が守りたいのはクオリティーであって、名前じゃない」と言われたんですよ。「日本はイギリスとは教育のシステムも文化も全く違うんだから、あなたが日本という国に合ったカリキュラムを作ってホスピタル・プレイを普及すれば、我々の目的はそれで達成される。だから、その為の協力は惜しまないよ」と。この共有する精神。これがなかったら、私達はここまでやってこられなかったんです。
それを私達は子供達に教えたいじゃないですか。HPSのテクニックではなく、思想や価値を。
HPSの普及に尽力
今は静岡県立大学短期大学部の履修証明プログラムとして「ホスピタル・プレイ・スペシャリスト(HPS) 養成講座」を行っていますが、受講しに来るのは、看護師、保育士、特別支援学級の先生などが多くて、薬剤師や医師もいます。
私がHPS養成講座として日本向けにアレンジした一例としては、チーム医療に関することですね。イギリスだと、医療従事者の関係性がフラットなんですよ。医師がリードしなければいけない場面では医師がリードするし、そのバトンが看護師に渡ることもある。また、処置室の中ではHPSがリードする場面がとても多い。そのように、場面場面でリーダーが変わるんです。
ところが、日本では医師がずっとヒエラルキーのトップにいる。だから、養成講座ではその日本式ヒエラルキーの中でHPSとしてどう泳いでいくかという戦略の立て方を伝えています。
これまで、HPSを日本で普及する為に努力をしてきた中で、応援してくれる医師の方も少しずつ増えてきました。その方達の話を聞くと、やっぱり医師は滅茶苦茶忙しいから、「医療には他のやり方もある」と立ち止まって考えるゆとりがないそうです。
そして、医師同士もヒエラルキーの世界で、先輩が「やれ」と言ったことは基本的にやるんだそうです。看護師の世界でもやはり同じで、他の選択肢がないんです。
おまけに、医師・看護師になる為のトレーニングの中で、子供の人権とか権利を学ぶ機会がほとんどないんですよ。
そのような現実があるので、私達は非常に高い壁を乗り越えようとしているわけですね。
現在、日本にはHPSが大体250人程いるんですが、数としては全然足りていなくて、もっと増やさなくてはいけません。現状、社会人を対象とした養成講座は静岡県立大学短期大学部にしかないので、西と北の方にも拠点を増やしたいですね。
というのも、北海道や沖縄からも受講生が来るんですよ。そうすると、静岡までの交通費は馬鹿になりませんからね。そして、察しがつくかもしれませんが、こういった講座を受講する人の中にはお金持ちは少ないですから…