長崎県長崎市といえば、出島や眼鏡橋などの観光名所、ちゃんぽんやカステラなどの名物がすぐに頭をよぎります。歴史情緒のある街として人気の観光地であり、2022年には西九州新幹線が開通してますます訪れやすくなりました。賑やかな観光地のイメージが強い長崎市。しかし、意外にも「まちなかを歩く人が減少している」という危機が進行しているようです。
その危機を打開すべく、長崎市では「まちなかエリア」の賑わいを取り戻し、新たなまちづくりをしようと「まちぶらプロジェクト」に取り組んでいます。特色の異なるエリアごとに、強みを生かしたまちづくり計画を立て、イベントからインフラ整備まで行うこのプロジェクト。特徴的なのは、行政と地域とが一緒に、むしろ地域の推進力を行政が後押しするように計画から実施までを行っていることです。行政の丁寧な伴走があるからこそ、地域も持続的にまちづくりに取り組んでいける。そんな当たり前な、しかし大切なことを感じられるプロジェクトです。今回は行政としてプロジェクトを牽引し、地域への支援を行っている長崎市まちづくり部まちなか事業推進室の宮田さんにお話を伺いました。
「まちぶらプロジェクト」開始の背景

 長崎のまちは今、100年に一度の変革の時期を迎えていると言われています。陸の玄関口である長崎駅周辺では西九州新幹線開業に伴う整備工事が、海の玄関口である松が枝周辺では二隻の国際船が同時に接岸できるような整備計画が動き出しています。
 まちぶらプロジェクト開始前の時期に、このように新たな賑わいの拠点づくりが計画されていましたが、その一方で、歴史的な文化や伝統に培われた長崎の「まちなかエリア」の衰退が懸念されていました。調査によると、まちなかでは平成13年から平成23年の約10年間で歩行者通行量が約3割減ってしまっていることがわかりました。それだけ賑わいが減少してきていたということですね。
 集約型の都市づくりを進め、都市の活力を高めていくには、都市機能が集中している都心部の魅力を高めていく必要があると市では考えました。そこで、歴史的な文化や伝統に培われたまちなかと陸の玄関口・海の玄関口の三つの拠点の連携を強化し、長崎市の都心部として求心力を高めようと「まちぶらプロジェクト」開始に向けて動き出したのです。
 まちぶらプロジェクトの始動にあたり、市では平成20年から平成24年にかけて「まちなか再生の行動に関する基本方針」、「まちなか再生ガイドライン」の策定、「歩いて楽しいまちづくり座談会」の開催から「歩いて楽しいまちづくり構想」のとりまとめ、「長崎まちなかデザイン会議」を通した公的空間のデザイン検討など、さまざまな意見交流や社会実験を行いました。そして平成25年、ついに「まちぶらプロジェクト」がスタートしました。




長崎駅前と西九州新幹線
三つの柱その①—エリアの魅力づくり
 まちぶらプロジェクトは、大きく三つの柱で構成されています。
 1つ目が「エリアの魅力づくり」、2つ目が「軸づくり」、3つ目が「地域力によるまちづくり」です。
 まず、「エリアの魅力づくり」についてご説明します。なぜエリアという視点を持ち出したのかと言いますと、長崎はその歴史的な理由から、和・華・蘭文化と呼ばれるように、エリアごとにかなり異なる特色を持っているからです。
 かつて長崎は、都市としての機能はなく静かな集落が広がっている街でした。ところが1570年頃に長崎港を開港したことから、まちなかの歴史が始まります。開港の翌年から「町建て」が行われ、以降も貿易都市として発展しながら街の造成整備が進み、市街が中島川沿いに広がっていきました。また、鎖国時代には西欧に開かれた唯一の窓として出島が築造され、中国貿易の管理のため唐人屋敷も造られました。出島や唐人屋敷は、西欧や中国の文化・学術の交流拠点とされ、多くの遊学者が長崎を訪れていました。
 幕末期にはオランダの学問や技術を学ぶために様々な伝習所が長崎に開設され、長崎は新しい学問や技術を習得する人たちで活気にあふれており、長崎のまちなかは日本の近代化に大きく貢献することとなるのです。そして、鎖国が終わると、山手エリアなどには外国人居留地が設けられ、西洋文化が急速に広まります。

 このようにまちなかは、歴史、文化、賑わい、游学、経済、観光、交流のまちとして、長崎を牽引するエンジンにあたる地域と言えます。
 「まちぶらプロジェクト」では、このまちなかのエリアごとにまちづくりの方向性を掲げています。各エリアの特色を生かしながら、エリアの魅力の向上に結びつくような取り組みを進めているのです。
 プロジェクトで定めているエリアは、新大工エリア、中島川・寺町・丸山エリア、浜町・銅座エリア、館内・新地エリア、東山手・南山手エリアの5エリアで、長崎固有の多様な魅力を実感できる5エリアを結ぶ道を「まちなか軸」として位置づけています。
 まず新大工エリアは、「商店街・市場を中心としたふだん着のまち」として、生活に密着した商店街の賑わいづくり、古くからのまちなみと調和した中高層住宅の建設の誘導をまちづくりの方針に掲げています。
 こちらでは「新大工まちゼミナール」といって、商店街の方が講師となり、プロならではの専門的な知識や情報、コツなどを無料でお客様にお伝えする少人数制のゼミを実施する取り組みをはじめ、地域の夏祭りやハロウィンイベントなどが活発に開催されています。今年の4月には、商店街を含むシーボルト通りの一部を歩行者利便増進道路(ほこみち)に指定し、今後イベントなどで道路空間の利活用を促進していくこととしているエリアでもあります。また、ハード面では令和4年に市街地再開発事業が完了し、長崎市で1番高いマンションも建設されました。




新大工エリア
 次に中島川・寺町・丸山エリアは、「和のたたずまいと賑わいの粋なまち」として、町人文化が息づくまちなみを守ること、歩行者が安全で楽しく歩ける空間をつくることなどをまちづくりの方針に掲げています。このエリアでは眼鏡橋が有名ですが、他にもお寺がずらっと10棟ほど並ぶ寺町通りや、長崎最古の商店街で今年400周年を迎える長崎市中通り商店街があります。また、丸山地区は日本三大花街の1つと数えられるほど栄えた地域で、日本国内はもちろん、世界各国にその名を轟かせていたと言われています。
 プロジェクトの取り組みとしては、8月に中島川周辺で開催される長崎夜市、栗名月(旧暦9月3日)に合わせて地域住民と一緒にお月見イベント(まちあかり)を実施するなど、歳時を顕在化しながら賑わいを創出する取り組みが行われています。
 また、このエリアは和のまちなみ保存・活用に力を入れています。幕末~明治の頃には、長崎には町家の建物がびっしりと建ち並んでいて、特有のまちなみを形成していました。昭和の初めまで市街地のほとんどは町家や商家で占められており、山裾に寺社群が並んでいたといいます。今では昔のように連続した町家の並びこそ少なくなっていますが、中島川・寺町・丸山エリアにはその名残が今も残されています。そこでまちなみを保存・活用しようと、既存の町家の維持保存や、町家以外の建物を町家風の外観へ変える工事、また町家風の建物の新築工事に対して助成金を出しており、徐々に和のまちなみが広がってきています。








中島川・寺町・丸山エリア
 次に、浜町・銅座エリアは「長崎文化を体感し、発信する賑わいのまち」ということで、商業・飲食や娯楽の魅力を高め、広域からの集客を図ること、若者が集まり新しい商品や文化を生み出すまちをつくることをまちづくりの方針に掲げています。このエリアはアーケードや飲み屋街があるエリアで、浜町アーケードでは金曜日の夜に定期的に音楽イベントを開催したり、大型ビジョンによる地域の情報発信をしたりと、様々な取組みが実施されています。
 銅座エリアでは、路地の魅力の向上と認知度を高める目的で、各自治会等と協力して、歴史にちなんだ通りの愛称を決めています。さらに、慢性的な交通渋滞や木造家屋の密集による延焼拡大の恐れなどがあったことから、「銅座川プロムナード」の整備計画が進められています。「銅座川プロムナード」は、車道と広い歩道を備えた道路を整備し、広い歩道を活かして銅座川沿いに散策やイベントが楽しめるような居心地のいい空間を造り出す事業です。整備にあたっては、交通環境の改善にとどまらず、地域の方やまちづくりの専門家との会議・ワークショップ・社会実験を通じて空間の利活用を検討し、地域の賑わいの創出につなげていく取組みも進めています。




中島川・寺町・丸山エリア
そして次が館内・新地エリアですが、こちらは「中国文化に触れ、食を楽しむまち」として、唐人屋敷跡を整備し、長崎市の中国文化を顕在化すること、中華街を中心として、食べ歩いて楽しいまちをつくることをまちづくりの方針に掲げています。このエリアは、長崎新地中華街や貿易のために長崎へ渡航した中国人が居住した唐人屋敷があった場所なので、中国の文化を感じられる地域なのです。江戸時代の絵図を見ると、中国人(唐人)が新地蔵(今の新地中華街)で荷物を降ろして、厳重なチェックを受けた後に手回り品のみ持って唐人屋敷に入る様子が見て取れます。唐人たちは中国に帰る日まで唐人屋敷内で滞在をするのですが、唐人屋敷は周辺を練塀で囲われており、外側には水堀や空掘、さらに外周に一定の空地があり、竹垣で囲われているという厳重なものでした。また、出島の約2~3倍程度の広さがあったとされており、2000人程の唐人が暮らしていたと言われています。ところが大火で一部を残して全焼してしまったんですね。
現在、唐人屋敷跡には復元や改築されたお堂、当時の石積みなどが残されています。そんな館内・新地エリアの取り組みとしては、お堂の顕在化のため、唐人屋敷跡をイメージしたオリジナル曲を中国の二胡奏者の方に提供していただいて、お堂の中でその曲を流したり、お堂で音声ガイドを聞くことが出来るようにしたりしています。また、唐人屋敷跡の存在を認知していただくことを目的として、大門や誘導門を整備しました。それから、跡地の四隅にモニュメントなどを設置して、唐人屋敷のスケールを実感できるような工夫をしています。加えて各お堂を巡る際に役立つリーフレットを設置したり、四堂を巡るルート上に中国にまつわるシャッターアートを高校生の方に描いていただいたりして、楽しく散策できるような工夫をしています。シャッターアートの中には隠れ猫が描かれていて、探しながら四堂を巡れるような楽しみもあるんですよ。
また、このエリアでは中国の旧正月を祝う行事であるランタンフェスティバルが有名ですが、フェスティバルに合わせて「ロウソク祈願四堂巡り」を開催しています。これは、当時の唐人の方たちの心のよりどころとして建てられたお堂を巡り、赤いろうそくを灯して祈るという体験型のイベントです。




館内・新地エリア
最後に、東山手・南山手エリアは「異国情緒あふれる国際交流のまち」として、長崎市が世界に誇る協会や洋館のまちなみを守ること、活発な地域コミュニティ活動を発展させ、他地域のモデルにすることなどをまちづくりの方針に掲げています。このエリアは、世界遺産の構成資産となった大浦天主堂や旧グラバー住宅をはじめとした数多くの洋館などの歴史的建造物が残されている、居留地時代の面影が色濃く残る地域です。
こちらのエリアでは、洋館などの歴史的建造物を保存活用する事業や居留地エリア全体でのお祭り、洋館を活用したイベントなどを行っています。また、ばらをエリアの花として設定していて、地域によるばらのおもてなし活動など、洋館とばらの空間を楽しめるような取り組みも行われています。さらに、地域主体の長崎居留地歴史まちづくり協議会が設立されていて、長崎市との協働により地域の将来像や対応方針などを「長崎居留地歴まちグランドデザイン」として定め、具体的な取組みを「長崎居留地歴まちアクションプラン」としてとりまとめています。協議会と長崎市が連携しながら歴史まちづくりに関する事業や情報発信等が積極的に行われています。




東山手・南山手エリア
三つの柱その②—軸づくり
 次に、まちぶらプロジェクト2つ目の柱の「軸づくり」についてお話します。軸づくりでは、まちなか軸を基軸として、各エリア間の回遊性を高める環境の整備や、陸や海の玄関口からまちなかへの人の誘導を図るため、回遊路の整備、トイレや休憩所の設置などを行っています。
 回遊路の整備は、陸や海の玄関口からまちなかへ、まちなかのエリア間での人の流れを作り、より散策しやすい環境を整えるための取り組みです。回遊路の整備を行う際も、エリアの特色に合わせて整備を行います。例えばアスファルトで舗装されてしまっていた小道を、従来の雰囲気を参考にしながら石畳風の道に舗装し直し、エリアのまちなみに揃えることでエリアの雰囲気を守る工夫をしています。この通りには新規店舗が出店するなど副次的な効果も見られました。
次にトイレや休憩所の設置についてお話しします。「まちなか軸」は約2.7kmと1日で十分歩ける程の範囲になっていますが、歩いてもらうためには、休憩所やトイレが必要だということで、誰もが使いやすい多目的トイレの整備や改修を行いました。また、お店を利用しなくてもトイレだけでも利用できる「おもてなしトイレ」として、店舗のトイレを貸出す活動をしてくださっている民間事業者さんもいらっしゃいます。さらにトイレだけではなく、中庭や軒先にベンチを設け、お店を利用されない方でも休憩所としてお店の中庭や軒先を利用いただけるようにしている事業者さんもおられます。
また、情報発信による人の誘導にも取り組んでいます。2週間ごとにまちなかでのイベント情報を更新して、庁舎の19階の展望スペースにあるデジタルサイネージや長崎市の公式LINEで発信しています。また、エリアの歴史や魅力を掲載した街歩きマップを作成して、ホームページに掲載したりまちなかの様々なスポットに置いたりしています。

三つの柱その③—地域力によるまちづくり
最後に、三本目の柱である「地域力によるまちづくり」ですが、やはり賑わいを創出するには、地域の方自らがまちづくりを行っていこうとする力を高めていく必要があります。決して「事業の主体が行政で、地域の方に協力をしていただく」という構図ではなく、主体はあくまで地域や企業さんであって、地域と行政が一緒になって計画を作り、プロジェクト自体が進化していく姿を目指さなければなりません。地域力によるまちづくりを行うために、私たちまちなか事業推進室は市役所内の関係所管と地域の方とを繋げたり、団体同士を繋げたりすることで、事業を円滑・効果的に進める支援をしています。
長崎市は、地域力によるまちづくりの一環として、「まちぶらプロジェクト認定制度」を行っています。これは、まちなかエリアの魅力を高める事業やまちなかに人が集い、まちなかを楽しむ事業、まちぶらプロジェクトに基づいて整備する施設の整備効果を高める事業などを対象に、まちぶらプロジェクトとして市が認定を行っています。認定をすることで、地域のまちづくりに対する当事者意識が醸成され、長崎市による広報などの様々な支援により、活動しやすい環境が整い、また他の認定事業者さんとの連携によって事業に取り組みやすくなります。さらに、既存の認定事業者さんからの良い口コミが広がることで、プロジェクトのさらなる発展につながる効果もあります。現時点は107事業を認定しているのですが、これからも増やしていきたいところですね。
 今回はその中から三つの事例をご紹介します。まずは「長崎を着物の町へ 長崎きものプロジェクト」です。これは「観光と着物の町」を目指して、着付け師、美容師、タクシー協会、通訳等が連携して、まちなかエリアにおいてレンタル着物を広める活動に取り組まれています。
 次に「長崎観光×アクティビティ 中島川・まちなかSUPツアー」というプロジェクトのご紹介です。こちらは中島川から長崎港までのコースを、観光ガイドトークを聞きながらSUPアクティビティを楽しめる事業です。
 そして三つ目は「路地文化に灯りを」プロジェクトといって、「もやい通り」を拠点に木版画ギャラリーを地域住民の交流の場として解放したり、「もやい通り」の路地名と店舗名が入った提灯を通りの店舗に配布し、掲示したりするなど、地域住民のコミュニティ強化、路地の魅力・認知度アップを目的に事業に取り組んでいただいています。

 他にも、まちなかでのスタートアップを応援する補助金事業も行っています。こちらは、まちなかの魅力を高める取り組みや、魅力を発信する取り組み、賑わいを創出する取り組み等を募集して、活動の初動時期を支援するための制度です。今年も11件応募があり、そのうち5件が採択されました。
 一人一人のまちづくりプレイヤーは増えてきているのですが、面としてそれぞれが連携して協力し、賑わいづくりができるようにしていきたいと考えています。そこで、プレイヤー間の交流や意見交換の場として、「まちぶらNEXT交流会」というイベントも年に1回程度開催しております。まちなかの5エリア全体で行ったり、エリアごとに行ったりしているのですが、ここでそれぞれの強みや、目指している内容の共有をし、新たな取り組みの創出やエリアマネジメントの推進を図るためには大事な場かなと考えています。

 また、長崎スタジアムシティとの連携も力を入れている事業の一つです。2024年、長崎駅から徒歩10分程度の場所に民間主体で建設された商業施設やサッカースタジアム、アリーナ、ホテル、オフィスなどが融合した複合型施設「長崎スタジアムシティ」が開業しました。
 この施設ができたことによる波及効果を市全体に広げて高めていくために、長崎スタジアムシティに訪れた方がまちなかエリアも存分に楽しむことができるような企画に官民連携しながら取り組んでいます。
たとえば、浜町アーケード内でサッカーのパブリックビューイングを実施することでスポーツファンを増やし、スタジアムシティに行く方のきっかけづくりを図ったイベントを開催しました。また、スタジアムシティと連携したスポットとして、まちなかのビル屋上にある銅座稲荷神社への必勝祈願フォトスポットの設置を行いました。その他にも浜町・銅座エリアの参加店舗を巡り、抽選でスタジアムシティの観戦チケットが当たるスタンプラリーを実施したり、「スタジアムシティ発!アディショナルタイムin思案橋」として、試合観戦後に銅座川プロムナード広場に集い、一斉乾杯や長崎くんちの演出などを楽しむイベントを開催したりしました。
さらに交流人口拡大を地域経への波及につなげるため、まちなかエリアと長崎スタジアムシティを直接つなぐ無料シャトルバスの運行もしています。県外からやってくるアウェイサポーターを中心としたサッカー観戦者のまちなか回遊を促し、まちの賑わい創出や、消費拡大につなげるために行われています。

プレイヤーが自走できるまちへ
最後に今後の課題ですが、市が支援しなくても地域で自走していけるような仕組み、体制づくりを行っていきたいと考えています。先ほども申し上げましたが、やはりまちづくりの主役は地域です。行政はあくまでそこを支援する立場でいなければなりません。また、プレイヤーや活動が育っていくことで、次の段階の活動にシフトすることができます。さらにまちづくりの輪が広がっていき、行政がプレイヤー間の連携に協力することで、個々のプレイヤーは強みを生かし、補い合うこともできます。市役所としてはプレイヤーの方々が活動していただく上での障害を軽減し、今後さらに活動の幅を広げてもらえればと考えています。


