教えず見守ることの大切さ。河内長野の豊かな森から教育を変えていく:大阪千代田短期大学_石井雅彦学長

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 大阪府の南東、自然豊かな河内長野市にキャンパスを構える大阪千代田短期大学では、裏手に広がる森を「ちよたんの森」と名付け、附属幼稚園や市内の幼稚園・保育園の子ども達を主な対象として開放しています。そこでは子ども達が木登りをしたり落ち葉の広がる斜面を滑ったりと、自由に遊びまわることで自然を感じ、体験を深めています。
 そして、先生達はそれを見守るだけ。最低限の安全確保はしつつ、基本的に子ども達がやりたいことをやりたいようにする、教え込まない幼児教育を実践しています。

 このように、子ども達の自主性を大切にして自然の中で遊ばせる幼児教育は「森のようちえん」と呼ばれ、今全国に広がっています。大阪千代田短期大学は、2024年に大学として初めて特定非営利活動法人「森のようちえん全国ネットワーク連盟」に加盟し、その活動が注目されています。
 今回は、どうして大学で森のようちえんを始めたのか、そしてそこにはどのような想いが込められているのか、学長の石井雅彦先生にお話を伺いました。

石井学長

成果が見えやすい教育ではなく、生きる力を養う保育を

――まず、貴学で森のようちえんを始められた経緯について教えてください。

 学校法人千代田学園では大阪千代田短期大学の他、高校と幼稚園を運営しています。私は2019年から本法人に勤め始めたのですが、特に附属幼稚園の様子を見ていて、園舎の中だけでは本来の幼児教育が展開できないのではないかと考えていました。
 当時の附属幼稚園では、サッカー教室など、目に見えて成果がわかりやすく、保護者に人気のある教育を取り入れることを検討していました。でも、それではいけないと私は思っていました。近年の幼児教育では、大人が子ども達に干渉しすぎています。大人が「あれをしなさい」「これをしてはダメ」「よくできたね」と指導や評価をしすぎる。
 本当に養うべきは子ども達の生きる力なのです。自分のことは自分で決める、自分でやる。そのことがこの時期の子どもたちの脳の発達にとても大切で、生きる力のベースになります。自分でやってみて、成功や失敗から学ぶ、そんな体験を幼児期にこそたくさんやらせたい。そしてこの力は遊びの中でしか培うことができないと私は考えていました。

 大学の敷地内には広い森があるので、自然環境を活かした幼児教育を行う「森のようちえん」を取り入れることにして、2021年から整備を始めました。週に一度、金曜日に職員やボランティアの方と木を切ったり遊具を作ったりして、徐々に森を遊び場へと変えていきました。森林組合のNPO法人「トモロス」の皆さんや高野山大学の学生など、多くの人の助けを借りることができました。
 そうして2022年にできたのが「ちよたんの森」です。2024年には「森のようちえん全国ネットワーク連盟」に加盟しました。現在のところ、大学としては現在全国で唯一の加盟校です。

附属幼稚園以外の子ども達にも広く開放

――実際に「ちよたんの森」ではどのような活動が行われているのですか。

 基本的には附属幼稚園の2歳児~5歳児までの子ども達がやってきて遊んでいます。少し離れた場所に園舎があるので幼稚園バスで10分くらいかけてやって来ます。子ども達は、斜面を滑ったり、木登りをしたり、落ち葉のプールで葉っぱのかけあいをしたり、整備したロープやブランコなどの遊具で遊んだりしています。畑で野菜も育てています。一生懸命育てたトウモロコシやスイカをアナグマに食べられたときには、子ども達はすごく残念がりました。そこから野生動物との関係や自然の仕組みについて学ぶことができます。
 ちよたんの森では、禁止事項はありません。枝を折ってもいいし、穴を掘ってもいい。先生は安全管理だけをして、あとは子ども達がやりたい遊びを自由にやらせます。自由に遊ぶことで、生きるための土台となる非認知能力を養うことができると考えているからです。「教えないで見守る」、「子ども達が自分で決める」。これらのことを大切にしようと、附属幼稚園の先生方と話し合いながら活動しています。

 附属幼稚園以外の河内長野市内の保育園・幼稚園にも森を開放しています。河内長野は和歌山との県境で非常に自然が豊かですが、ほとんどの森が私有地なので勝手に木を折ったり登ったりすることができないんです。いくら自然に囲まれていても、自由に触れ合うことができず、人工的な公園でしか遊ぶことができない。もったいないことです。だから、ちよたんの森をどんどん使ってほしいし、森のようちえんの知名度も上げていきたいということで、開放しています。焼き芋や流しそうめんなど、普段の園舎ではやりにくい活動を行うために使っている園もあります。

 保護者の皆さんにも森を開放する日を設けています。保護者は、子どもが楽器を上手に演奏できた、上手に絵が描けたとか、劇がうまかっただとか、大人の指導によって目に見えていい結果が出る教育を重視しがちです。英語を話せるようになれば将来もうまくいくだろうとか、そんな風に考えてしまう。そういった保護者自身にも自然の中で遊んだ体験がないのだろうから、責めることはできませんけどね。
 ただ、附属幼稚園では目に見える成果の重視から森のようちえんに方針を切り替えて、保護者の方も教え込まない教育への理解を示してくれるようになってきました。子ども達が森で生き生きと遊ぶ様子を見ていただくことによって、その理解をさらに広げていきたいですね。

 今年に入ってからは、小学校の学童保育や公民館活動での子ども達の遊び場として使わせてもらえないかとの申し出が増えています。土日中心にはなりますが、これからは幼児だけではなく、小学校、特に低学年の子ども達の遊び場としても開放していくことも検討しています。

保育者・教育者として「教えないことの大切さ」を学ぶ

――大阪千代田短期大学の学生さんも、「ちよたんの森」で子ども達と関わることはあるのでしょうか。

 もちろん学生も、ゼミや授業の一環で子ども達を見守ったり一緒に遊んだりします。1年生の前期には全員が子ども達と関わるようにしています。後期からは音楽保育コースやアート保育コースなどに分かれるんですが、新設した「森のようちえんコース」を希望する学生が多いです。やはり子ども達と触れ合う体験的な学びを楽しいと感じて、興味を持ってくれる学生が多いようです。園児より学生の方が多くなってしまうくらいなので調整が大変ですが、森のようちえんの考え方を学生に広げることは狙いの一つだったので、嬉しい悲鳴です。
 最近の学生は昆虫採集をしたこともない子達が多いので、子ども達と一緒に虫取りをすると、虫を怖がる者もいます。ただ、大人が虫を怖がったら、子ども達にもそれが伝わってしまいます。だから「怖がる様子は絶対見せるな」と指導するんですが、そうは言ってもなかなか触れない学生もいますね。
 それでも子ども達と一緒にいろいろな活動をすると楽しいようです。教えないで見守るこの大切さを、保育者・教育者を志す者としてしっかり学んでほしいと思っています。

――「ちよたんの森」で自由に過ごす子ども達には、どのような変化が見られますか。

 1年間子ども達を見ていると、最初はおそるおそる遊びはじめますが、どんどん自分達の考えで行動できるようになっていきます。遊具で遊ぶだけでなくて、いろいろな遊びを作り出します。たとえば少しくぼんだところを川に見立てて、「橋を作ろう」と言って何人かで丸太や枝を集めてきたり。そうやって、自分達でこんなものを作りたいとか、こんな風にしたらもっと遊びやすいな、といった自発的な動きが少しずつ出てきますね。

 ただ、利用してくれる他の園を見ていると、子ども達を黙って見守る園だけではないんですよね。子ども達の安全最重視の園もあります。何メートルもある斜面を子ども達が滑るのを見て、「どんどんやりなさい」と言って子ども達が服をドロドロにする園と、「危ないからやめなさい」という園、両方ありますね。
 本来、幼稚園教育要領には「自発的な活動としての遊びを通して教育を行う」ということが書かれています。園の方針はそれぞれなので私たちから口を出すことはしませんが、「ちよたんの森」での活動が、幼児教育を行う側にとっても何かヒントになればいいですね。

森のようちえんが大学の魅力に

 森のようちえんを始めてから、子ども達だけでなく学生の保護者層にも変化がありました。奈良県で自然保育関連の活動をしているお母さんが「娘を大阪千代田短期大学に通わせたい」と言ってくださるなど、森のようちえんに関心のある保護者がお子さんに本学を勧め、実際に本学を選んでくれる高校生が少しずつ増えています。
 教員志望者や保育士志望者が減っている中、本学も入学希望者が減少傾向にあります。経営側としても、森のようちえんが本学の魅力として機能してくれれば、と期待している部分もありますね。

 森のようちえんの開始当初は、実は学生と子ども達の関わりはあまりありませんでした。2年ほど前から関わるようになったので、次に卒業する学生はしっかり森のようちえんで学んだ子達です。ただ、なかなか就職先として森のようちえんや自然保育を実践している園を選べないのが現状です。もっと森のようちえんの活動が広がり、知名度が上がればそうした就職先も増えるのではないかと思っています。

自ら経験してこそ人は育つ

――「ちよたんの森」での活動が、子ども達だけでなく保護者や教育者にも良い影響を与えていくと良いですね。ところで、そもそも石井先生はどうして幼児教育に関心を寄せていらっしゃったのでしょうか。

 私は元々小学校の教員でした。40代半ばから堺市の教育委員会へ出向して、様々な立場を経験しました。その十数年の中で印象的だったのが、幼児教育に関わる問題だったんです。
 ある時、民間の園から「少子化が進んでいるので、私立への入園者数を確保するため、公立の園を減らしてほしい」と要望がありました。しかしそれに対し、一部の保護者からは強い反対意見が挙がりました。中には「動物の調教のような幼児教育をうちの子には受けさせたくない」と言われる方もいました。どうしても私立では、音楽や英語教育、水泳などに力を入れる傾向にあります。そして今の保護者の多くは、早期教育に熱心です。
 ただ、数は少ないけれども、幼児期の詰め込み教育を憂えている家庭もあるということに気づきました。その経験が本法人に来てから森のようちえんを始めるきっかけにもなりましたね。

――早期からの詰め込み教育の傾向が強まっている一方で、森のようちえんや自然保育、オルタナティブ教育なども確実に広がっていると思います。今、子ども達の引きこもりや自殺の問題は深刻ですし、日本の教育界は過渡期なのかもしれませんね。

 不登校の子ども達が一気に増えていますね。小中学校で35万人。対人関係についてとてもセンシティブで、ものすごく気にする子達が多いんです。私はその根底には、幼児期や小学校低学年の時期の経験不足があると思っています。本来は、その時期に友達と喧嘩をしたり言い合いをしたりして、そこでうまく仲直りをする方法を体験的に学ぶものです。ところが、今は子ども達が喧嘩をしたら、先生がすぐに「喧嘩はやめなさい、謝りなさい」と言ってその場を収めてしまう傾向があります。子どもたちの本当の対人関係能力、人の気持ちを推し量ったり、自分と人の感じ方の違いを知ったりする機会が減らされてしまった。そういった根底の部分が今の日本では揺らいでいるんじゃないかと。
 子ども達には、もっと自由にしていいんだよと言ってあげたい。もちろん自由には責任がつきものなので、周りを傷つけたときにどうすればいいのかといったことは自分なりに体験して学ぶしかない。でも、これこそが大事ですね。

 私が教育委員会にいたころ、最も取り組むべき問題とされていたのは学力低下問題でした。議会で「学力テストの点数が全国平均に比べて低い」と指摘されると、対応せざるを得なかった。今思うと、「テストの点数を上げることが、その子の人生にとってどんな意味があるのかな」という問いが、私の中で十分にできていなかった。
 ペーパーテストの成果というのは言語を通した認知能力であって、現在社会問題になっている不登校や人との接し方などは、非認知能力が関係します。教育委員会としてもっとそちらに力を入れた教育ができなかったのか。学力、学力と言いすぎたのではないか。その反省が私の中にあって、今の活動の根っこになっている部分でもありますね。

――日本の義務教育はすごくレベルが高いと思いますが、自分の頭で考えたり、判断したり、自分の興味・関心に素直に従ったりできる人が日本には少ない気がしますね。私自身が過去に受けてきた教育を振り返ると、その弊害なのではないかなと思い当たります。

 そうですね。ある研究では、幼児教育でたくさん教え込まれた子は、小学校中学年くらいまでは他の子より勉強ができますが、高学年になると自分の興味関心に基づいて学ぶ習慣を身につけた子に抜かされるというような結果が報告されています。先日目にした新聞記事には、ノーベル賞を受賞した方の出身高校は、大都市圏の進学校よりも地方の公立校が多いという話題が載っていました。非常に示唆に富んだ傾向ですね。
 このままペーパーテストの学力を重視し続け、子どもの主体性を生かさない教育を続けていたら、土台がしっかりしない頭でっかちな人間を作ってしまうのではと懸念しています。知識や理解は大切ですが、それを教え込むのではなく、子どもひとりひとりが学びたいことを追求し学ぶ力や、問いを立てる力を養う教育が必要です。人との協力や粘り強く取り組むことを大切にする今の教育のよさは受け継ぎつつ、教え込まない教育を広げていかないと。

どんな人が子どもと接するか

 大事なのは子ども達への教育だけではなくて、子ども達を指導する教員に対しても同じですね。
 堺市教育委員会で毎年200人くらい新しい先生を採用してきましたが、勉強はできても、教師としては課題のある人がいました。たとえば有名中高一貫私立校の出身者は、家が裕福で勉強ばかりしている同級生に囲まれています。そういった人が教員になって公立校に赴任しても、発達に問題を抱えていたり、親の介護をしていたりする多様な子ども達に対応することが難しい。逆に、ものすごく荒れた学校でしんどい思いをしてきた人達は、さほど偏差値の高い大学を出ていなくても教員として指導力を発揮するケースがあります。

 人を育てるには、論理的思考力などの学力も大事ですが、教育者や保育者となる者自身が多様性の中で育ち、様々な体験をしていることこそが大切なのではないかと思います。森のようちえんは、そういった点においても意義があります。自らの手で自然に触れて、興味のあることを自由に追求しながら遊ぶことができる。その中で他者との関わり方も学んでいけます。
 森のようちえんに関わる学生や大人にとっても、大きな学びになります。どんな人が子どもと接するかというのは、とても大事なことです。本学の学生達には、森のようちえんを通してよい教育者になってもらいたい。今の教育界はとても狭い世界なので、色んな人と関わって幅広く勉強せなあかんぞ、と。そんな想いもあって、大学で森のようちえんを実践しています。

 多分、一生の中で幼児期が成長著しくて、そのころの教育がとても大事なんですよ。にも拘わらず、日本では中・高・大学と給料が高くなり、幼稚園・保育園の先生の給料が安い。人を育てることを真剣に考えるなら、それはすごく問題です。その部分も改善して、幼稚園・保育園の先生になりたい人を増やしていけたらとも考えています。

――ちよたんの森は、子どもから学生、大人まで、色々な人の視野を広く、懐を深くすることができそうですね。学校の経営者として、また一教育者としての熱い想いをお話しいただき、ありがとうございました。