叡啓大学_保井俊之教授に訊く:幸せな人生を創る「ウェルビーイングデザイン」個人と社会の幸せを実現する力

現代社会における「幸せ(ウェルビーイング)」は、どのようにデザインできるのでしょうか?

「幸せな働き方」と「社会をより良くするためのデザイン」の実現を目指し、長年にわたり研究に取り組んでいる叡啓大学の保井俊之教授は、システム思考やデザイン思考を通じて、自己成長と自己決定のスキルを身につける重要さを伝え、これらのスキルがより豊かで幸せな人生を築くカギとなると言います。ウェルビーイングを自らの手でデザインする方法や、その考えが社会全体にどのように好循環をもたらすのか、まずは知識を身につけ、自分事として考えてみることが大切です。

本記事では、保井教授が実施するウェルビーイングに関する公開講座や実践活動を紹介し、個人と社会全体がどのように幸せを感じながら成長できるかを紐解いていきます。新たな視点を求める方やシステム思考やデザイン思考に関心がある方は、ぜひ保井教授の研究と活動に触れてみてください。

保井俊之 先生
ソーシャルシステムデザイン学部長 教授

博士(学術)(国際基督教大学)


1985年東京大学卒、財務省および金融庁等の主要ポストやパリ、インド並びにワシントンDCの国際機関や在外公館等に勤務したのち、地域経済活性化支援機構常務取締役、国際開発金融機関IDBの日本ほか5か国代表理事等を歴任。
慶應義塾大学大学院SDM特別招聘教授

人々の幸せで、より良い社会の実現を目指す「ウェルビーイングデザイン」

私は、長年にわたって社会のつながりや仕組みをデザインする研究に取り組んでいます。 具体的には、公共政策やテクノロジー、地域やコミュニティやお金の流れ(財政金融)がウェルビーイングとどう関わるかといった、社会全体に関わるウェルビーイングのテーマが研究対象です。

この研究は、「システムエンジニアリング」という考え方を使います。 システムエンジニアリングとは、複雑な問題を解決するために様々な要素を組み合わせ、より良いシステムを作り出すための考え方です。

その中でも私の専門は、人々のつながりを創出し、より良い社会を作り出す「社会システムデザイン」と呼ばれる分野です。「無縁社会」に陥りがちな現代社会では、人々のつながりが見えにくくなっています。そこで私は、コミュニティをデザインし、より良い人々のつながりの創出をはじめとする解決策を模索しています。

私が所属する叡啓大学は、世の中を前向きに変えていく人材、いわゆる「チェンジリーダー」や「チェンジメーカー」を育成する日本初の大学です。2021年4月に開学し、今年で4年目を迎えたばかりですが、すでに社会人を含む多くの人々がより良い社会づくりを目指して学びを深めています。

従来、チェンジリーダーやチェンジメーカーになりたいという意欲を持つ人は、経済学や政治学といった必ずしも直接的な学びではない分野を学ぶことが多く、遠回りをしていました。叡啓大学では、そのような遠回りをすることなく、社会を前向きに変えるために必要なスキルを直接的に学べる環境を提供しています。

私が担当している「ウェルビーイングデザイン」の叡啓大学公開講座も、その一環です。2022年の開講以来、人々の幸せをデザインし、より良い社会の実現を目指すための学びを提供しています。

現在は社会人だけでなく、高校生や学生、キャリアチェンジを考えている方や自分自身を変えたい方など、非常に幅広い層の方々が受講しています。

また、変わりたいと願う人には、周囲も変えたいというモチベーションを持つ方も多い印象です。受講生の中にも、自身だけでなく所属する組織を変えたいという意欲の高い方が多くいらっしゃいます。

この講座をきっかけにして、受講生たちは起業やNPO設立、新しいコミュニティづくりに挑戦するなど、さまざまなかたちで社会にインパクトを与えています。新たな一歩を踏み出したい方々の後押しができているのではないでしょうか。

「未来は自分で変えられる」公開講座を通じて得られる視点とスキル

「ウェルビーイングデザイン」の公開講座では、受講生自身が自分の幸せを設計できるようになることを目指しています。例えば全3回の講座の場合、どのような学びが得られるのかを具体的にご紹介しましょう。

 第1回目の講座では、まず、ウェルビーイングとは何かを深く理解し、自分にとってのウェルビーイングを具体的に考えます。その後、グループワークを通じて、自分とは異なる価値観を持つ受講者と対話し、ウェルビーイングの多様性に触れます。最後に、会社や社会全体など、大きなコミュニティにおいて、誰も犠牲にすることなく全員が幸せに暮らすためのアイデアを出し合います。

2回目の講座では、まずは「システム思考」という考え方を学びます。これは、物事の全体を捉え、それぞれの要素の相互関係を分析する思考法です。「木を見て森を見ず」ということのないよう、全体と部分の両方を捉え、物事を多角的に考えることが大切です。

なぜシステム思考が重要なのかと言うと、ウェルビーイングは孤立して実現できるものではなく、周囲の人々や環境とのつながりの中で育まれるものだからです。社会という大きなシステムの中で、自分がどのように周囲とつながっているかを考えてみましょう。

さらにこの過程では「デザイン思考」を取り入れ、受講生が自分自身の未来をデザインできるよう支援します。デザイン思考とは、自身が理想とする未来を描き、それを実現するための方法を考え出すプロセスです。段階的に幸せの実現方法を考えることで、自分ごととして理解を深めることを目的としています。

「デザイン思考」とは、自らの理想の未来をデザインする手法です。例えば「どんな社会で暮らしたいのか」「どんな学校を創りたいのか」といった問いに対する具体的なイメージを描き、実現するためのアイデアを考えます。このプロセスを通じて、「未来は自分で変えることができる」という感覚が芽生えるはずです。

3回目の講座では、新たな事業を立ち上げる際に役立つ「エフェクチュエーション」という最新の起業理論を取り上げます。この考え方を用いて、受講生一人ひとりが自分の幸せを実現するための具体的なプロジェクトを設計していきます。

自分のアイデアを形にしていく中で、受講生は「自分にもできる」という自信をさらに深めます。この講座で生まれたアイデアを基に、実際に新しい活動を始めたり起業したりする人も少なくありません。

「やりたいことがあるけど、どうすればいいかわからない」という方は、たくさんいらっしゃると思います。この講座では、具体的なステップを踏んで、自分のアイデアを現実のものにする方法を学ぶことができます。この感覚を掴むことで、自然と「やってみよう」という気持ちが湧き上がってくるはずです。

なぜ日本の労働生産性は低いのか?幸福度と生産性の密接なつながり

誤解を恐れずに言えば、長年会社勤めをしていると、ルーティンに慣れてしまい、「自分で何かを生み出そう」「変化を起こそう」「新しいことに挑戦しよう」という気持ちが薄れてしまうことは、珍しくはないと思います。

専門家の研究によると、幸せを感じながら働いている人は、そうでない人に比べてよりクリエイティブで、積極的に行動できるということがわかっています。つまり、労働生産性とウェルビーイングは密接に結びついていると言えるのです。

そして残念ながら、日本は労働生産性や国民の幸福度が低い一方で、北欧の国々は高い水準にあります。

なぜ日本の労働生産性は低いのでしょうか? その一因として、多くの日本の職場では、社員が幸せに働けていないという現状が考えられます。

文部科学省による比較調査によると、日本の若者は世界と比べて幸福度が低いわけでは決してありません。しかし社会に出た後、特に20代後半から40代にかけて幸福度が急激に低下し、そのまま上がらないという特徴的な傾向が見られました。

これは、多くの国で見られる「U字カーブ」と呼ばれる年齢別の幸福度の変化に比べて特徴的で、日本特有の社会問題だと言えるでしょう。だからこそ、若手社員の幸福度を高めることは、企業の生産性向上につながり、ひいては日本全体の経済活性化にも繋がると考えられます。

ウェルビーイングは単なる理想論ではなく、企業の持続的な成長を支えるための重要な要素です。 本学は、のびしろの大きい日本の幸福度を高めていくために、ウェルビーイングデザインに関する公開講座を提供し、日本社会全体の幸福度向上に少しでも貢献したいと考えています。

グロースマインドセットで人生を豊かに リスキリングで拓かれる新たな可能性

社会人になると幸福度が下がる大きな理由の一つは、多くの人が「自分で未来をデザインすることはできない」と思い込んでしまうことです。しかし本来、自分の人生はいつでも変えることができるはずです。

ウェルビーイングを高める鍵は「自己成長」と「自己決定」の2つです。

心理学における自己成長の考え方として、「グロースマインドセット」と「フィックスドマインドセット」があります。

「グロースマインドセット」は、翻訳すると「しなやかマインドセット」。つまり人間は何歳になっても学び続け、成長できるという柔軟な思考です。

一方、「フィックスドマインドセット」は、翻訳すると「こちこちマインドセット」。つまり「私はこれ以上成長できないから頑張る必要はない」という固定観念を持つ思考です。

私たちは誰もがこれらのマインドセットを持っていますが、ウェルビーイングが高い人は一般的にグロースマインドセットが強いです。常に新しいことに挑戦し、学び続け、自分を成長させることで、人生を豊かにしています。

ちなみに「リスキリング(人生の学び直し)」は、まさにグロースマインドセットを育むための取り組みです。仕事やスキルを学び直し、自分をアップデートすることで新たな可能性を拓きます。

2つ目の鍵である自己決定は、「主体性」とも解釈されます。自分で決断し、行動することで、ウェルビーイングは高まります。しかし、社会人になって自分の意思決定の機会が少ないと感じると、幸福感が低下してしまうことがあります。だからこそ主体的に行動し、自己決定のスキルを身につけることが大切です。

つまり、自己成長と自己決定のスキルはまさに「自分のウェルビーイングを選び取る力」だと言えるのです。

そして「どのような未来を実現したいか」を考え、それを形にするためのスキルが、システム思考、デザイン思考、エフェクチュエーションです。これらを組み合わせることで、自己成長と自己決定の能力はさらに高まります。

これらのスキルを多くの人が身につければ、個人の意欲が高まり、ウェルビーイングも向上します。結果として、日本の労働生産性も上がり、経済全体が好循環へと変わるでしょう。

幸福の対極は不幸であり、時には自殺や鬱につながることがあります。金額に換算することは適切ではないかもしれませんが、過去の調査によると、自殺や鬱による社会的損失は日本全体で約2兆8000億円もあると推計されています。これは、日本のGDP約500兆円の0.5%に相当します。つまり、皆が幸せに働ける環境を作ることで、0.5%の経済成長が見込めるのです。

わたくしは叡啓大学でのみならず、様々な場でウェルビーイングに関する様々な活動を行っています。日本における幸福学の権威と言われる前野隆司先生らと共に「ウェルビーイングデザイン研究会」をこの4年間、全国をオンラインでむすんで実施してきているなど、全国的に活動の幅を広げています。

ウェルビーイングな未来を創るために

私がウェルビーイングをテーマとして活動している理由は、かつて財務省で働きながら、土日や夜間に慶應義塾大学大学院のSDM(システムデザイン・マネジメント)研究科で特別招聘教員等を13年間務めていた経験に基づいています。

霞が関で働く方々は、非常に優秀でクリエイティブな人材が多いにもかかわらず、幸せそうに見えない人が多かったことがずっと気がかりでした。当時の長時間労働の環境下では、自己成長や自己決定の機会を諦めている人が多く、それが幸福感の低さに繋がっているのではないか、という考えに行き着いたのです。

システム思考やデザイン思考を用いてウェルビーイングを追求し、研究と実践を重ねていく中で、自己成長と自己決定のスキルは自分自身を成長させ、幸せを実感することに繋がると確信しました。

そしてもう一つ、私の人生には大きな転機がありました。それは、「死」を非常に間近に体験したことです。実は、2001年のアメリカ同時多発テロに遭遇し、私は奇跡的に生き残りました。「なぜ自分は生き残ったのか」という思いに苦しんだ時期を経て、「残りの人生を人々の幸福のために役立てたい」という強い思いを抱くようになったのです。

その後は「なぜこのような悲劇が起きたのか」を深く考え、アメリカ議会に提出された9-11テロに関する国家調査委員会報告書を読み込む中で、テロの背景には複雑な歴史的・社会的要因が絡み合っていることを知り、憎しみや貧困が悲劇を連鎖させることに気づきました。

9-11テロに関する国家調査委員会の報告書によると、旧ソ連がアフガニスタンに侵攻した際のアメリカ政府のムジャヒディンと呼ばれる反ソ連ゲリラの支援が、かえって旧ソ連軍の撤退後に故国に戻った彼らの失望につながり、湾岸戦争時にサウジアラビアに駐留したアメリカ軍への反発もあり、アメリカへの報復行動へと繋がり、同時多発テロを引き起こしたことを知りました。

その悪循環は愛と幸せの良循環を生み出すことで逆回しにできるのではないかと考えた私は、さらにシステム思考とデザイン思考に目を向け、学びを深めていきました。

2008年に慶應義塾大学にSDM研究科が設立されたことを機に、平日には財務省で働き、土日や夜間は慶應でシステム思考を無給で教え、研究する生活を長年続けました。その後2020年に財務省を退職し、叡啓大学でソーシャルシステムデザイン、その中でも特にウェルビーイングデザインに関する研究教育活動を始めました。

現在は、叡啓大学での公開講座をはじめとするウェルビーイングデザインに関する活動を通じて、全国で「自らウェルビーイングをデザインするスキルセット」を広めています。このスキルセットを学ぶことで、誰もが自分の人生を変えることができることを伝えていきたいです。

そしてその先に私が目指しているのは、多くの人々が「ウェルビーイングな状態」を実現できる社会です。「幸せになりたければ、幸せな人の隣に座りなさい」という言葉の通り、周囲の人々との良好なつながりは幸福度に大きな影響を与えます。

仏教の「自利利他円満」という言葉も大切です。まず自分が幸せになることで、周りの人を幸せにしたくなり、周り人の幸せがぐるっとまわって自分の幸せになる、というより大きな幸福を生み出す考え方です。

私は日頃から、ウェルビーイングファーストつまり「まずは自分がウェルビーイングな状態になること」を強調しています。自己犠牲で誰かを幸せにしようとしても、決して良い方向には進みません。まずは自分を大切にして、自身が幸せを感じることが重要です。

このようなスキルセットを持つ人が増えれば、より多くの人がウェルビーイングを実感できる社会が築けると信じています。