近年、離島の豊かな自然環境や文化の中で、親元を離れて学校へ通う「離島留学」の取り組みが全国に広まっています。離島では都会に比べ小規模な学校が多く、地域との深いつながりの中で、のびのびと学ぶことができます。また、児童生徒の減少に悩む離島に本土からの留学生が入学することで、学校の存続や地域振興にも一役買っていると言えます。
今回お話しいただいたのは、2022年に離島留学「サンゴ留学」を始めた鹿児島県喜界島(喜界町)で、留学コーディネーターとして活動する地域おこし協力隊の市川萌笑さんです。実は彼女自身も、離島留学で全国的に知られる隠岐島前高校を卒業しています。離島留学での学びがどのように現在の活動に活きているのか、またもうすぐ迎える任期後の展望についてお話を伺いました。
隠岐島前高校へ離島留学
――市川さんは離島留学で有名な隠岐島前高校で高校時代を過ごされたとのことですが、どうして離島留学をされたのですか。
生まれ育ちは神奈川県の相模原市なのですが、中学3年生の6月頃にたまたま地域みらい留学(国内留学)のチラシを見たのがきっかけでした。当時の私は「留学」というと海外留学しか知らなかったので、国内で留学というものがあると知った時のワクワクは、今でもよく覚えています。
元々小さい頃から豊かな自然のあるところに出かけていくのが好きで、そういった意味では様々な地域の選択肢がある中で隠岐諸島に惹かれました。その中でも、海士町にある隠岐島前高校は全国各地から沢山の留学生が来ていることを知ったんです。それって、色々な子たちが全国から集まってくるってことじゃないですか。実際オープンスクールに行ってみたら、お笑い芸人になりたくて面白い高校生活を送りたいからという人や、島民の方と沢山交流をしてここでしかできない経験をしたくてという人など、入学前から目的を持った人が沢山いて。私自身は将来のことをあまり考えていなかったんですけど、「そんな人たちと一緒に高校生活を過ごすなんて、すごく楽しそうだな」と思いました。また、オープンスクールでスタッフの方がおっしゃっていた言葉がすごく印象に残っていました。それは、「3年後あなたはどうなっていたいですか?」という問いです。その時私は、「どこへ行くか」という進路選択ではなくて「3年間を通してどうなっていたいか」が重要なんだと思い、それを気づかせてくれた島前高校で3年間を過ごしたいと思い、受験しました。
――島前高校での生活や島での暮らしはどのようなものでしたか。
先輩後輩や同級生、支えて下さるスタッフの方や大人の方々のおかげでとても楽しかったです。何事も面白がってやってみよう、できないことに目を向けるんじゃなく、まずはできる方法を見つけてやってみようという雰囲気がある島前地域の皆さんの姿が印象的でした。私はそんな皆さんに影響され、自分がリーダーとなって、高校3年生の秋に島内のレストランの方と同級生と一緒に、イベントを開催しました。その時期はコロナ禍で開催を延期するのか中止にするのか決断しなければいけなかったのですが、ここまで頑張ってきたことを諦めたくないという気持ちで、メンバーが受験期に入ってしまっている高校3年生になっても開催に向けて一緒に準備をしていきました。そして無事開催することができ、当日は色んな感情が入り混じり涙が溢れてしまいました。快くイベント開催の提案を受け入れてくださったレストランの方、何度も壁打ちや相談に乗ってくださったスタッフの方、最後まで一緒に頑張ってくれたチームメンバーのおかげで、中学生の自分じゃ到底できなかった経験を高校生になってさせていただきました。本当に感謝しています。
また、年に3回、夏、冬、春と帰省をしていたんですが、本土から島へ戻る船に乗る時にはいつも「ここからまた新しい学期が始まるんだな」とワクワクしていました。海士町は都会に比べれば何もない町で、スーパーやコンビニもありません。お店といえば小さな個人商店があるだけですが、お菓子を買って海で喋ったり遊んだり、そんな放課後がすごく楽しかったですね。海士町には「ないものはない」というスローガンがあるのですが、島の人たちやそこで過ごす高校生たちはみんな島にあるもので暮らしを楽しんでいて、3年間で私にもそういった姿勢が自然と身に付きました。
喜界島との出会い
――島前高校を卒業してすぐに喜界島の地域おこし協力隊となった市川さんですが、どのように喜界島を知り、就職に至ったのですか。
最初はInstagramで見た写真がきっかけでした。私にとって初めて暮らした島は海士町のある中ノ島ですが、「他の島での暮らしってどんな感じなんだろう」と興味をもって「#島暮らし」と検索してみたんです。そうしたら写真に目が留まって、それが初めて見た喜界島でした。
その頃は高校3年生の夏前で、進路に悩んでいました。最初は大学進学を検討していたんですが、将来なりたい大人像がまだ定まっておらず、どの大学の情報を見てもピンと来ませんでした。そんな状態で大学に進学をしたとしても、もし途中で興味関心が他に移ってしまって辞めてしまったら多額のお金がもったいないし、両親に申し訳ないなという気持ちがありました。何より自分自身が大学進学することに全然納得感が無くて。
そこで、まだ何も将来が自分の中で決まっていないのなら、自分より先を生きている先輩方の背中を近くで見て勉強できる「就職」をしようと思い、隠岐國学習センター(島前高校と連携している公立塾)の担当スタッフに相談したところ、
地域おこし協力隊という仕事を教えてもらったんです。全国各地で募集があるし、業務内容もそれぞれだから調べてみたらって言ってもらって。それで色々な自治体を見ていたら、喜界島で地域おこし協力隊の募集があるのを見つけました。「あ、Instagramで見た写真の島だ」と思って募集情報を見てみたら、「サンゴ留学」という喜界島への離島留学制度が始まるので、そのコーディネーターとして協力隊を募集しますという内容でした。それを見た時にビビビッと来てしまったんです(笑)。
自分自身に自信があったわけではなかったのですが、キャリアの無い高卒の私にできることって、これまで歩んできた道で得たものだけだと思っていました。離島留学の経験があるからこそ、微力ながらでも自分の力を最大限に発揮できるかもしれないと、応募をすることに決めました。そして無事採用していただき、喜界島にやって来たんです。
喜界島での暮らし
――中ノ島と喜界島、同じ離島ではありますが、かなり環境は異なるのでしょうか。
そうですね、まず初めて来た時に「空が広いな」と思いました。隠岐諸島は山の島なので視界に必ず山があるんですが、喜界島の場合は隆起サンゴ礁の島なので山といっても丘のような平らなものしかないんですね。そこにサトウキビがバーッと生えていて、「ああ南国の島なんだな」と感じました。
夜空も海ももちろんすごく綺麗です。隠岐も海が綺麗でしたが、喜界島は南の島なので海の色がまた隠岐と異なっていてとてもきれいなエメラルドグリーンをしているんですよ。
また、喜界島では地元の人が島の楽しみ方をよく知っていることも印象的でしたね。役場に赴任した日、「今日は晴れてるから、多分夕陽がきれいだよ」って言われました。そこで夕方にビーチに行ってみたら、夕陽を見るために来た地元の人の車がズラーっと並んでいてびっくり。隠岐では、島外から来た高校生たちが島暮らしっぽいことを求めて楽しもうとしている姿をよく見かけていたのですが、島の人はもう慣れちゃってわざわざ島の環境を楽しむようなことをしていない印象だったので、違いを感じました。喜界島の人たちは地元の人も島暮らしを楽しんでいる空気感が強くて、そういうところがすごく好きになりました。
役場で一緒に働いている方も「太陽に当たるのはやっぱりいいね」って休日は農業をしたり。他にもサップボードで遊ぼうと誘ってくれる人がいたり、なんだかいいなぁって思っています。
サンゴ留学コーディネーターとして
――サンゴ留学は始まったばかりの制度だったということですが、どのように進めていかれたのですか。
実は私が赴任した2022年の4月には、サンゴ留学の1期生が入学するはずでした。しかし、初年度の留学希望者が0だったんです。そこで、私の仕事は募集活動や制度設計の見直しから始まりました。まず私自身が高校を卒業したばかりで右も左もわからない状態でしたが、役場の課長さんとサンゴ留学担当の上司の方のお二人が支えて下さって。「島前高校で過ごしてきた萌笑ちゃんとして、留学生が住む寮のルールについてどう思う?」とか、すごく意見を引き出してくださったので、私としてはとても発言しやすい環境でした。最初の応募が0人だったことで、逆に離島留学の経験のある私が参加して、もう一度ルールや寮の暮らしを一緒に見直すことができたことも、今では良かったのではないかなと思っています。
私は応募が0人だと知った時「こんなに素敵なところがある喜界島になぜ留学生が来ないんだろう」とびっくりして、周知がうまくいっていなかったことが原因かなと思いました。そこで中学生に伝わりやすい言葉遣いで説明会を開いたり、「こんなところで高校生活を過ごしたいな」と思えるイメージが湧くように写真を沢山見てもらったりと、小さなところから少しずつ変えていきました。
そうしたら2年目には16名の応募があったんです。寮のキャパシティー的に3人を想定していたのですが、調整をして6人に定員を増やし、6人を受け入れる運びとなりました。その後3年目、4年目にも13名ずつ応募があり、順調に軌道に乗ってきてホッとしています。
1期生2期生が入ってきてからは、留学生の生活のサポートもしています。そこで留学生の日常を見ながら留学の新しい魅力を見つけて吸収したり、留学生に説明会へ生出演してもらったりと、留学生と一緒に募集活動を出来るようになったのも嬉しいです。
自分が納得した道だから頑張れる
――もうすぐ3年の任期を終えられると思うのですが、任期終了後はどんな活動をしていくご予定ですか。
まずは、協力隊という形ではなくてもサンゴ留学コーディネーターを続けていきたいと考えています。実は今年(2025年)の3月に新しい寮が完成するんですよ。今は12人の留学生がいるんですが、寮に入りきらないので空き家を活用して3カ所に分かれて生活してもらっている状態で。ですが、新しい寮が完成してやっとこの4月から18人が1カ所で過ごせるようになるので、ここからがまた再スタートで、頑張り時だなと思っています。だから、コーディネーターを続けたいんですよね。このサンゴ留学コーディネーターの仕事は自分でもすごくやりがいを持ってやっているので、これからも続けたいと思っています。
一方で、自分の好きなことを仕事にしていきたい気持ちもあります。私は喜界島がとても好きで、それからモノづくりも好きなので、喜界島の植物を使ってアクセサリーを作ろうと考えています。喜界島は、まだまだお土産のバリエーションが少なく、食べ物のお土産が多い印象でした。とっても美味しいものばかりなんですけどね!でも、食べ物だと食べたら形が無くなってしまうので、何か喜界島での思い出として形に残るものをお土産として販売できたらなと思って。そこでエレクトロフォーミングジュエリーという銅メッキのアクセサリーを作る資格を取得しました。溶液の中に素材を入れるとメッキコーティングされるというものなんですが、島の植物をリングやネックレスにできないかなと考えています。
サンゴ留学コーディネーターとアクセサリー作家、この二本柱で任期後は活動できたらなと思っています。留学生を支えながら自分がワクワクできるような仕事をしていたら、留学生たちも「こんな道もあるんだ」って思ってくれるかなって。それに、いつまでも自分自身がワクワクとしていたいなという気持ちがあるので、やりたいことを妥協せずやっていければいいなと思っています。
喜界島のことはすごく好きでずっとここにいたいなぁと思っています。ですが、過ごしていく中で、更にやりたいことや行ってみたい場所が出来たら、そこへも行ってみたいですね。サンゴ留学も軌道に乗って、やりきった!と思えた時には、そこから離れて自分がより納得できる道を選んでいくこともありなのかなと。結局やりきった!なんて思える日は来ず、ずっとこのお仕事をしているような気もしていますが(笑)。
常に自分の中で腑に落ちたことを選びたいんです。納得できる道じゃないと、挫折した時や失敗した時に誰かのせいにしちゃうから。私も最初は漠然とした不安感や寂しさから「この進路選択、間違っていたかな」と思う時もありました。だけどやっぱり「自分で選んだのだから、自分でいい方向に持っていって、正解にしていこう」と思い直すようにしてました。「ちょっときついかも…」と思っても「自分で決めたんだから!」と言い聞かせてこれまで頑張れました。
そうやって、これからも自分で自分の道を切り開いていきたいと思っています。