福井県の南西部に位置する小浜市。新幹線の延伸ルートとして昨今話題に上がっている人口27,000人余りの小さなまちだが、実は世界的な「食のまちづくり」の先進地であることをご存知だろうか。
「小浜市食のまちづくり条例」は、食のまちづくりに関する基本理念や基本原則を明らかにするとともに、市民協働で取り組む食のまちづくり推進によって、個性豊かで活力ある小浜市を形成することを目的に、2001年に制定された。日本で初めての食をテーマとした条例である。それから、小浜市は食を核とした観光の振興、環境保全、食の安全の確保、福祉及び健康づくり、そして食育の推進など、食に関する取り組みを幅広く行ってきた。今や誰もが知っている「食育」という言葉が広がる前から、全国に先駆けて食育に取り組んできたまちなのだ。
なぜ小浜市では食に関する取り組みが盛んなのだろうか。また、どういった取り組みを行ってきたのだろうか。
今回お話いただくのはこれまで20余年、「食のまちづくり」の立役者として活躍してきた小浜市御食国ブランド戦略課・中田典子さん。小浜市の食文化の背景や食に関する画期的な取り組み、食育に対する熱い想いを伺った。

歴史ある食文化が小浜市の宝

小浜市を中心とする若狭地方は、古来より「御食国(みけつくに)」と呼ばれてきた。「御食(みけ)」とは神や天皇に献上する食材のことであり、「御食国」は古代、朝廷に食材を納めていた地域のことを指す。
「平城京跡からは、若狭国から塩や海産物が納められていたことを示す木簡が出土しているんですよ」と中田さん。
「小浜市は2000年に『食のまちづくり』を始めたんですが、私はその取り組みに惹かれて、2003年に食育の政策専門員として職員になりました。
当時の市長が元々農業の専門家で、歴史と伝統ある食こそが小浜市の宝だと考え、独特のまちづくり構想を固めたのが始まりでした。2001年には全国初となる食をテーマにした条例『小浜市食のまちづくり条例』が制定されたんですが、ちょうどその頃は鳥インフルエンザや食品産地偽装問題など、日本全国で食の安全安心を脅かすような出来事が次々と起こっていた時期で。数年後に国では食育基本法が施行されましたが、『既に条例を作って食育を推進している自治体があるぞ』と注目され、全国から多くの方が視察に来られましたね。」
着任後一度も異動することなく、23年間「食のまちづくり」専門員として取り組みを行っているという中田さん。食育はもちろん、食に関する経済活動や食の安全にかかわる業務に携わってきた。
地形と立地が小浜市の食文化を醸成した
そもそもなぜ、小浜市では豊かな食文化が形成されてきたのか。
「若狭湾はリアス式海岸になっており、北陸にしては穏やかな気候です。また沖合では暖流と寒流が交差しているということもあって、魚種が豊富なんですよね。そうしたことから食文化が豊かな土地なんです。
古代からその豊かな食材を御食国として天皇家に献上してきました。時代が変っても、小浜は鯖をはじめとした海の幸を運ぶ『鯖街道』の起点としてずっと京都の食文化を支えてきたんですね。現在も小浜の海産物は京都の料理人さんの間で『若狭もの』と珍重され、『京都の海は若狭や』と言ってくださるほどです。
さらに、若狭湾は大陸文化の玄関口としても重要でした。日本で初めて象が足を下したのは若狭だと言われていますが、そんなに大きい動物が若狭から入ってきたということは、本当にモノだけではなくてさまざまな文化の入り口にもなっていたということだと思います。」
江戸時代には北前船が若狭湾に寄港していた。北から来た海産物もここで荷下ろしされ、より若狭の食文化は豊かになっていったのだという。
「こうした豊富な食材をどうやって保存し、おいしく食べるか。京都の料理人さんとの交流の中で優れた加工技術が生まれて、若狭小浜小鯛ささ漬や鯖寿司などの郷土料理が出来上がっていきました。」
地の利によって海の幸や文化が集まり、それが都に運ばれることで唯一無二の食文化が出来上がっていった。豊かな食の都としての歴史は、長い時間をかけて作られたのだ。

展示・体験が行える食文化館を市が運営

小浜市ではこうした豊かな食材やそれらを活用した食文化を保護・継承すべく、この食環境の中でこそ成立する食育事業を行ってきたという。
「その拠点として2003年に設置されたのが『御食国若狭おばま食文化館』です。「全国のお雑煮」や「寿司のルーツ」についてのブースなど、1000点近いの料理のレプリカをご覧いただけます。若狭の代表的な伝統工芸である『若狭塗箸』の研ぎ出し体験もできるんですよ。」
若狭塗箸は貝殻や卵殻などを色漆で塗り重ね、磨くことで生まれる独特の模様が特徴的な美しいお箸だ。食文化とは切っても切り離せないこうした工芸を楽しむことができるのは、食文化館の大きな魅力だろう。他にも若狭和紙や若狭めのう細工など、各種伝統工芸品の体験も行うことができる。

そして、「御食国若狭おばま食文化館」の最大の特徴は、なんといってもキッチンスタジオの存在。ここでは小浜の豊富な食材を使った調理体験ができる(要予約)のはもちろんだが、小浜市内の年長児が調理体験を行う「キッズ・キッチン」の取り組みが特に注目されている。
「キッズ・キッチンでは、市の費用負担で市内の全ての年長児が調理体験をします。『義務食育』と称して、保育園も幼稚園も子ども園も、小浜で生まれて小浜で育つ子どもは無料で食の学びと体験ができるようにしているんです。休日には市外の子どもたちが参加できるキッズ・キッチン拡大編もあります。開業時の2003年から行っていますので、もう1万人以上の子どもたちがキッズキッチンを体験していますね。」と微笑む中田さん。
なんと年長児であってもよく切れる包丁を持たせ、火の管理も任せるという。調理内容も小学校5・6年生の家庭科で作るようなもの。キッチンスタジオにはかまどもあるそうで、「今日も午前中にキッズ・キッチンがありましたので、かまどでごはんを炊いていて、館内にごはんの匂いがただよっていましたよ。」とのこと。本格的な調理を幼い頃に体験する、そのことはどれほど子どもたちにとって貴重な経験となるだろう。
「小学校や中学校に上がっても授業内において、料理教室や食育教室がありますので、他の自治体で育つ子たちと比べると経験値は圧倒的です。子どもの時はみんな当たり前だと思って体験していますが、大きくなって他の地域の人と話すと、例えば、子どもの頃に魚をさばいたことがない人が多いことに驚くようです。」
このような食文化館が自治体によって運営されている。その事実からも、小浜市の食育に対する並々ならぬ想いが伝わってくる。

食育が子どもたちの自信に繋がる
このような取り組みを20年以上続けていると、嬉しいことがあるそうだ。
「キッズ・キッチンに参加していた子が大人になり『今度は自分が食のまちづくりに関わりたい』と、市の職員として今一緒に仕事をしているんです。年長さんだった時に私と一緒に料理をしている写真を持ってきてくれて。」
今ではその方がキッズ・キッチンの担当をしているという。
また、中田さんはある時から、キッズ・キッチンに参加した子たちがその後どう変容していくのかに興味を抱くようになった。
「データを取っているんですが、キッズ・キッチンに一度参加しただけでも子どもに変化が見られるんですよ。好き嫌いが無くなるなど食べ物に関わる変化だけではなく、自分に自信が持てて色々なことに関心が出てきたり、家族や友達とよくお喋りするようになったりしていきます。
料理はチャレンジの連続です。『危ないから触っちゃダメ』と言われるのではなく、『あなたならきっとできる』『やってごらん』と大人に信じてもらえる環境に身を置くことで、どんな子でも自信がつくんですね。そして出来上がった料理を保護者や保育園の先生に食べてもらうと、やっぱり大人は感激して、本当においしいって心から褒めてくれる。そうやって受け入れてもらうことが、子どもたちの自己肯定感に繋がっていくんです。」
料理を作ることが子どもたちの自信になり、成長させる。そう分かっていても、家庭だとつい「危ないから触っちゃだめ」と、子どもが料理をするのを阻んでしまうこともあるだろう。「義務食育」の取り組みを、行政が行う意味は大きい。

地場産学校給食
小浜市では学校現場でも食育を大切にしている。すべての小中学校には校内に給食調理室があり、ある小学校ではガラス張りになっているという。そこで子どもたちは、誰がどんなふうに給食を作っているのかを見て育つ。また、どこで誰が作った野菜が使われているのかも普段から共有されているそうだ。
「食べるということは色々な人と繋がっていて、大勢の人のおかげでいただくことができること。食材には命があって、それをいただくということ。そのことに対しての感謝の気持ちが自然に芽生えるので、給食の食べ残しも少ないです。」
中田さんは、小浜で育った子どもが20歳になった頃、もう一度調査を行っている。
「キッズ・キッチンやジュニア・キッチンのことを覚えていますかとか、その時の体験が今の暮らしで役に立っていますかとか、自分は地域に大事にされて育った感覚はありますかといったことを聞いています。その結果から、間違いなく小さい頃の食育体験が大人になっても自己肯定感や郷土への愛着や誇りに繋がっているということがわかります。
だから食育って面白いんです。食育というと栄養学的な部分が想起されがちですが、私の関心は社会心理学的な側面にあり、食体験と人の心理面との関係は興味深いなと思っています。」
現在公務員として働きながら、研究者としても活動している中田さん。「食環境とメンタルウェルビーイングが現在の研究テーマです」と話す。


料理はメンタルウェルビーイングを作る

子どもたちだけではない。大人にとっても食育体験の力は大きい。中田さんは2024年から大人の食育として小浜地域内外の企業人向け体験型セミナーも行っているが、1泊2日のプログラムの中でも内面の成長が見られるという。
「別に魚のさばき方を覚えたからとか、食に対する知識関心が高まったから成長するのではないんです。命ある食材や大自然を相手とした食の体験を通して、『自分が何に心を揺さぶられるのか』『自分が手放せるもの、手放せないものは何なのか』を考えること。それによって自分自身をもう一度見つめ直すから、成長するんですよね。」
経済的には豊かに見える日本。だが世界的に見ると幸福度は低い。中田さんはこんなに豊かな社会でなぜ人々には元気がないのか、ずっと疑問に感じていた。
「小浜市の取り組みを通じて、食の体験、食のプロセスに身を置くことで、子どもも大人もメンタルを育てることができると思うようになりました。料理は心と密接に関わる行為で、病気の予防や周囲の人の幸せにも繋がっていくと考えています。」
中田さんの活動は小浜市に留まらず、2015年に開催されたミラノ万博ではキッズキッチンを披露し、和食がユネスコ無形文化遺産に登録された際にも情報提供やシンポジウム登壇などで貢献してきた。これからも食に関する活動を広く行っていきたいという。
「食は身体の健康を作るだけではなく、メンタルウェルビーイングも作っていくものだと考えています。そのことをもっとたくさんの方に知っていただきたい。その想いで今後も研究や事業展開をしていきたいと思っています。」
今秋にも、企業人向け体験型セミナーなどを企画しているそう。興味のある方はぜひ御食国若狭おばま食文化館のホームページをチェックされたい。
日本海沿いの小さなまち、小浜市。そこには比類なき豊かな食文化があり、そこから生まれた最先端の食育が行われている。お話を通して、物質的な豊かさを手に入れた現代に、今一度食に対して考えるきっかけをもらった。
