平成11年以来、少子高齢化への対応や行財政基盤の確立を目的として全国的に市町村合併が推進されてきました。これにより、財政支出の減少や職員の能力向上といった効果がある程度報告されています。一方、さまざまな弊害も指摘されており、今後地域と行政がどのように関わっていくべきかが課題となっています。
今回は岩手県立大学 総合政策学部 役重眞喜子准教授に、そういった地域と自治体行政の関係性とその変化について、また、先生ご自身のご経歴についてお話を伺いました。
役重 眞喜子 先生
岩手県立大学 総合政策学部 准教授
東京大学法学部卒業後、農林水産省に勤務。農家研修で岩手県東和町(当時)へ。東和町の人と牛に魅せられ移住・定住。東和町役場及び市町合併後の花巻市役所で教育次長、地域づくり課長、総務課長等を務める。
2012年に早期退職後、岩手大学大学院連合農学研究科で平成の大合併と行政・地域コミュニティ関係を研究し、博士号取得(農学)。花巻市コミュニティアドバイザーを経て、2019年より現職。
長年の自治体職員としての経験を生かし、地方自治の現場における課題やあるべき方向性を研究。地域を支える人材の育成に貢献している。
農林水産省から町役場へ
私は元々農林水産省の官僚として、霞が関で働いていました。平成元年に就職をしたのですが、すぐに実際の農業や農村の現場とはあまりにもかけ離れていると感じ、現場で働きたい、暮らしたいという想いが芽生えました。
そこで2年目に岩手県の東和町(現花巻市)の農家に農家研修ということで1カ月ほど住み込みで働きました。その時に「ここで働いて暮らしたい」と強く感じ、その後仕事を辞めて移住したんです。そこから平成18年まで、人口1万人くらいの小さな東和町の役場で働いていました。移住した当初は自分で牛を飼って農業を志したのですが、当時の東和町長が「町に溶け込みたいなら、一人でいるよりまずは役場で働きなさい」って言ってくださって。働いてみると、小さな町ですから住民も職員も本当に近い存在で、すごく魅力的な仕事でした。何のために、誰のために仕事をしているのかということがはっきりしているんですよね。「今朝うちの畑の法面が崩れたから直してくれ」とか、そういう具体的なところから始まるのが楽しい。
農水省で法律事務官をやっていた時は、法律をつくったり要綱や通達を改正したりしていましたけど、それが実際現場に行ってどう役に立っているかさっぱりわかりませんでしたから。
平成の大合併で感じた弊害
平成18年に、東和町も平成の大合併で花巻市になりました。
3.11が来た時に、私は総務課長という立場で防災の担当課長だったんですよ。花巻は内陸ですから津波は無かったんですが、1〜2週間インフラが止まって帰れない状況になりまして。それもあっていろいろ考えるようになりました。
合併によって行政の職員と住民の距離感がすごく変わってしまったんです。住民は変わらずそこに住んでいるのに、職員の異動で東和町のことを全然知らない職員が来る。あるいは元々東和町の職員だったとしても、市全体の意思決定は花巻までお伺いを立てないとできない。以前であれば住民が役場に来ればなんでもその場で課長や町長が判断をできたのに、今では「ちょっとお待ちください」と言って3カ月くらい待たされる。あっという間でしたね、積み上げてきた信頼が崩れるのは。
合併して市が大きくなり官僚的になってしまったので、「だったら何で農水省を辞めてここに来たのかわからない」と思いました。やっぱり自分のルーツである東和町でもう一回やり直したいという気持ちがあり、平成24年に退職をしました。
辞めたあとは、地元の仲間たちのグループで地域づくりの活動を立ち上げようということになりました。「東和農旅」として今では一般社団法人化しているんですが、農泊や農業体験など地域の学びや体験を提供する活動を始めました。今年で7年目くらいになるんですが、仲間たちがコツコツと続けてくれています。
職員だったころに感じた合併による悪影響を研究として残したいという想いもあり、岩手大学の博士課程を履修して平成28年に論文を書きました。これがそれなりに共感を呼んだのか、単行本(『自治体行政と地域コミュニティの関係性の変容と再構築-「平成大合併」は地域に何をもたらしたのか』)として出版されることになり、次第に研究者としての仕事を続けたいと思うようになりました。
大学では行政学や地方自治論を研究しています。本学は県立大学なので、地元の企業や自治体に就職したい、あるいはしてほしいというニーズが結構ありますので、これまでお世話になってきた岩手の皆さんに恩返しというとちょっと格好は良すぎますけど、少しでもお役に立ちたいという想いで学生の教育に当たっています。
行政にはびこる欺瞞
以前本学のホームページに「ブルシット・ジョブと自治体職員」というコラムを書きました。ブルシット・ジョブというのは、世の中の役に立たず働く人自身もまったく無意味だと思っている仕事のことです。行政では伝統的に無駄な規則やルールが多いとずっと言われてきましたが、特に2000年代以降、市場原理や競争を最重視するNPM(※1)が導入されてきた中で、評価や補助金を得るために膨大な数字集めや見てくれのいいスライド資料の作成が求められるようになり、無意味を有意味に見せかけるだけの仕事が増えたのです。みんなが「これは嘘っぱちだ」とわかっていることを、さもそうでもないように粛々とやる構図ができていて。そういった欺瞞性が人の心を蝕むのだと、ブルシット・ジョブを提唱したグレーバーは言っています。
たとえば日本では地方分権社会が2000年以降ずっと謳われ続けていて、制度上ではそれなりに進んでいます。しかしご存知の通り、実態はどんどん中央集権化が進んでいる。そうした中で、地方分権を進めているんですよという建前を作るために膨大なアリバイ作りのための書類を生む。
NPMの特徴として、成果を数値で出さなければならないという点があります。そうすると、できていないことをできたことにするための数字集めが、職員の仕事の大半を占めることになってくるんですね。まさにブルシット・ジョブですよね。
※1 ニューパブリックマネジメント(NPM)とは、「経営理念」や「経営手法」といった民間経営手法を公共部門に導入して公共サービスの質の向上を図る行政改革手法のこと。 (引用元:ボランティアプラットフォーム)
そもそも自治体職員の喜びややりがいというのは、やっぱり住民の中に出ていって、失敗したら怒られるけど、成功したらみんなで喜び合い感謝されることにあると思うんです。これが欺瞞に埋め尽くされていくと、みんな病んで休職する、あるいは離職するというような状況を作ってしまうわけです。
日本のようにもともと近代化が遅れた国が諸列強に追い付き、そして追い越すために作られた強固な体制、それが中央集権です。特に日本の場合、民間の新規一括採用や年功序列、終身雇用といった特殊な労働慣行がそこに結びつき、国家と企業のタテ型の依存関係がハードに構造化してしまっている。だから、ジェンダー格差もなくならず、若い職員も自由に物が言えない、新しい発想が柔軟に生まれ出るような組織風土になりにくいのです。
でも今の若い世代がその構造を変えていってくれるのではないかというのが私の期待ですし、そのことをせっせと学生に伝えて「ブルシット・ジョブに呑まれるんじゃないよ」と言って卒業させていますよ。
若い世代への期待
雇用や経済の状況も影響してか、最近は地元志向の学生が増えているように感じます。安定重視で公務員になりたいという場合もありますけど、ITによるソーシャルビジネスや官民協働などが進んできていますので、必ずしも公務員にならなくても公共政策にコミットしていくことが可能になってきています。それによって若い人たちの可能性も広がっているのかなと思いますね。あとは我々の世代と比べると、やっぱり現実として彼らが感じている人口減少やグローバルな諸課題の切迫感、ミッション感といったものが高まっているのではないでしょうか。そのことはすごく素晴らしいと思うのですが、そのミッション感にふさわしい社会を我々上の世代が用意できてないのではないかという思いもありますね。
この縦型社会から発想を転換するということは、本当に難しいことなんだと思います。
でもフラットな繋がりや対話、隣り合う人とのコミュニケーションを大事にしようという考え方や価値観は、若い人の中ではもはや当たり前に浸透していると思います。その中でいろいろな動きが地方には出てきていますから、それをコツコツ応援していくことが重要かなと思っていますね。
統計や理屈で現場は動かない
私の研究室の学生にはやりたい研究はなんでもやらせるようにしているんですけれども、やっぱり私の関心を反映した研究が多いかな。社会の中で弱い立場に置かれる人のケアや支援をどうするかとか、自治体と地域がどう縦割りから脱出して繋がりをつくっていくかとか。今の4年生では不登校児の支援について研究している子がいますし、過疎集落を支援する関係人口(※2)をどうネットワーク化していくかを考えている子もいます。あとは高齢者を中心とした買い物弱者対策をテーマに、移動販売車に保健師や栄養士が見守りを兼ねて乗る仕組みを提案しようとか、いろいろな研究をしていますね。
※2 定住人口でも観光に来る交流人口でもない、地域と多様に関わる人たち。 (引用元:総務省)
うちの学部は量的研究を専門にされている先生もいますが、私にはそういうスキルはあまりないので、ひたすらケーススタディで仮説を立てて現地に行って…というフィールド調査ですね。学生本人が活動に携わりながら生きたデータを取る、いわゆるアクションリサーチもさせます。これが実際に自治体に入った時に大事なんです。統計や理屈で現場は動きませんから。
うちは公立大学だからか学生たちは良くも悪くも真面目なので、経験させればもうスポンジが水を吸うように吸収します。私のゼミは卒論も真剣に書くしフィールドワークも行くので、志望してくれる学生には楽ではないよって伝えています。
この週末も学生20人を連れて岩手町の豊岡地区という超高齢化している開拓集落に行ってきました。行く前は学生たちは「買い物をする場所が無いから不便じゃないか」とか「バスが無いから不便じゃないか」とか、いろいろな仮説を立てるんですけどそんな話じゃないんですよね。80歳以上の方々が40人程で山の上に肩を寄せ合うように暮らしていて、明日畑に出てそこで倒れたら誰が見つけてくれるんだろうって、そういう世界なんですよね。
でもとにかく現場を見て、住民と話していると楽しそうに生きているわけですよ。「今年はじゃがいもがよくできた」「孫が来たら食わせてやるんだ」とか、浄水場も自分たちで管理しているので年間6000円でおいしい水が飲み放題だとか、そんな話をする。そうやって人と人とが話をする中で、「こういうものか」って腑に落ちるんですよね。肌で吸収する。そこをどう支援するか、その政策をどうするかっていうのはその次の話なんです。
「何かやってあげる」目線だとどうしようもないんですよ。地域の人たちは実際にそこで生き抜いてきた人たちだから。だからまずは謙虚に素直にお話を聞きましょうというところからなんですけど、そういう中からそれなりに学生たちは問題意識を見つけて、自分なりにテーマを立てて学び始めます。
自分が学生の時にこれをしたかったですね。これができていたら、ぼんやり官僚になったりせずに最初からいろいろ志していたんじゃないかなと思ったりしますけど。だから、若い人たちにこういう経験をたくさんさせてあげたい。そうしたら希望は大いにありますよ。