少子化や人口減少、ジェンダー不平等といった問題を抱え、さらに人生100年時代を迎える現代社会では、一人一人が自分のキャリアや生き方を見つめ直すことが求められています。
共働き世帯が増えている現代において、女性に求められがちな家庭と仕事の両立やキャリア形成の課題は依然として大きく、これを乗り越える支援は社会全体の変革にもつながると期待されています。
こうした社会課題に応えるべく、椙山女学園大学はリカレント教育を通じた支援に力を注いでいます。同大学が展開するライフデザインカレッジは、トータルライフデザインを理念に、自分自身を価値ある資源として捉え直し、社会と対話しながら新たなキャリアを創り出す場を提供しています。
本記事では、ライフデザインカレッジを担当する加藤教授のお話をもとに、ライフデザインカレッジを通じた多様な学びと社会的意義について掘り下げ、これからの時代に必要なキャリア形成と社会貢献の在り方に迫ります。
加藤 容子 先生
椙山女学園大学 人間関係学部 心理学科 教授
トータルライフデザインセンター リカレント教育ユニット長
専門分野
産業・組織心理学、臨床心理学。
研究テーマ
ワーク・ファミリー・コンフリクト、女性のキャリア、組織心理コンサルテーション。
公認心理師・臨床心理士としての役割、研究者としての役割を組み合わせ、ハイブリッドな形で実践と研究に取り組む。
「働く環境で心の健康を維持し、生き生きと働くにはどうすれば良いか」というテーマを広い視点で研究。最近は、仕事役割と家庭役割の経験が相互に促進し合うという「ワーク・ファミリー・ファシリテーション(仕事と家庭の両立促進)」にも注目されている。
メンタルヘルス支援がもたらす適切なワークライフバランスの追求
私の専門は「産業・組織心理学」と「臨床心理学」です。「働く環境で心の健康を維持し、生き生きと働くにはどうすれば良いか」というテーマを広い視点で研究しています。大学院時代、私が最初に取り組んだ研究テーマは「ワーク・ファミリー・コンフリクトの対処」でした。このテーマは、現在も重要な研究分野として取り組み続けています。
「ワーク・ファミリー・コンフリクト(仕事と家庭の両立葛藤)」とは、仕事での役割と家庭での役割が矛盾する時に生じる葛藤を指します。
ワーク・ファミリー・コンフリクトは2種類に分けられ、1つ目は“仕事があるので家庭での役割が十分に果たせない”というような「仕事から家庭への葛藤」、2つ目は、“家事・育児のために仕事で力を発揮しきれない”といった「家庭から仕事への葛藤」となります。このようなワーク・ファミリー・コンフリクトに対して、いかに対処していくのかに注目して検討してきました。
研究の結果、問題解決をもたらす対処としては、職場や家庭で役割分担を調整すること、仕事や家事の内容を効率化すること、他者にサポートを求めたり職場や地域の支援制度を利用することが効果を持つことが明らかになりました。みなさんに覚えてもらいやすいように「手わけ・手がるに・手をかりる」という「3つの手」と紹介しています。
また情緒的な対処としても、リフレッシュなどの気ばらしをすること、両立生活の大変な面だけでなく良い面を意識化すること、職場や家庭で“お互いさま”というように理解や気持ちを共有することがまとめられます。こちらは「気ばらし・気づき・気もちの共有」という「3つの気」とお伝えしています。
最近は、仕事役割と家庭役割の経験が相互に促進し合うという「ワーク・ファミリー・ファシリテーション(仕事と家庭の両立促進)」にも注目しています。
ワーク・ファミリー・ファシリテーションも2種類に分けられ、“仕事をすることによって家庭でも充実して過ごせる”というような「仕事から家庭への促進」と、“家庭でリラックスできるので仕事でも意欲的に働ける”といった「家庭から仕事への促進」があります。
これらから、ワーク・ファミリー・バランスのためには、仕事と家庭をほどほどにして釣り合いをとるということではなく、ワーク・ファミリー・コンフリクトには効果的に対処すること、またワーク・ファミリー・ファシリテーションを意識してそれを高めることがより重要だと言えるでしょう。
特に、ワーク・ファミリー・コンフリクトへの対処には個人でできるものだけではなく、周りの人々との協力や調整が含まれることに注目しています。他者と交流しながら課題解決を進めることで、ワーク・ライフ・バランスを社会的に実現していくことにつながることも期待されます。
もう一つの専門分野は、「組織のメンタルヘルス支援」です。この分野では、個々の労働者の心の健康やキャリア開発を支援するだけでなく、組織の労働環境の改善や組織運営の変革にも取り組んでいます。
私が行っているカウンセリングでは、個人が単独で対処できる課題だけでなく、組織全体での対応が必要な課題にも直面します。
たとえば職場の構造や業務フローに課題がある場合、それが現場の疲弊を引き起こすことがあります。このようなケースでは、個人へのサポートに加え、管理職や経営層へのフィードバックを通じて組織全体の改善を目指します。
管理職の方々が現場の実情を十分に把握していないケースも少なくありません。そのため、フィードバックを行う際は、労働者のプライバシーに配慮しつつ丁寧に問題点を伝え、職場環境の改善と生産性向上を支援しています。
上記のような支援は、女性のキャリアに関する場合もあります。例えば、経営層が女性活躍推進を実現したいと思っていても、現場ではそのような考え方が浸透しておらず、当事者である女性労働者が板挟みで苦しんでいるようなことがあります。
そのような時には、女性労働者の話を丁寧に聴き個々の支援を行うとともに、そこで見出された全体的な課題を上層部に伝えて、組織運営に活かしていただくようにしています。
このように、私は公認心理師・臨床心理士としての役割と研究者としての役割を組み合わせ、ハイブリッドな形で実践と研究に取り組んでいます。
社会の変化が促す 女性キャリア教育の重要性
現在、女性のキャリア教育が特に注目されている背景には、社会の大きな変化があります。私が研究を始めた2000年頃、日本はちょうど共働き世帯と専業主婦世帯の割合が半々程度になった時代でした。
しかし、当時の日本では共働きと言っても、男性は正規労働者として働き、女性は非正規労働をしながら家事や育児を担うという性別役割分業が一般的でした。こうした前時代的な価値観が根強く残る中で、私は「女性はどのように生き抜いていくのか」という観点から研究を始めたのです。
それから20年以上が経過し、共働き世帯はさらに増加しました。女性労働者の数も大幅に増え、表面的には男女平等が進んでいるように見えます。しかし、管理職に占める男性の割合が依然として高いことや、家事や育児の負担が主に女性に偏っている現状を考えると、真の男女平等にはまだ課題が多いと感じます。
性別役割分業やその意識が根強く残る一方で、仕事と家庭を両立させることに対する社会からの期待は高まり続けています。このような環境下では、女性がキャリア意識を高め、自立した立場を確立することがますます重要になってくるはずです。
ただ、女性自身にも社会のジェンダー役割を無意識に内面化している部分があると感じます。現状への反応は人それぞれで、強い反発を抱く人もいれば、適応的に受け入れて全力で取り組む人もいます。この問題に「正解」はありませんが、多様な視点で考えることが必要です。まずは従来の枠組みを超えて新たな可能性に目を向け、自分らしい生き方を模索することも必要ではないでしょうか。
女性が仕事をする場合、「家庭に支障を出さない範囲で」「扶養の範囲内で」「この時間、この場所で」といった条件が優先されがちです。しかし、それが本当に自分の望む働き方なのかを問い直すことも大切です。もし特定の条件がなければ自分はどのように働きたいのか、自身の価値観や選択肢を見直す機会を持つこと必要があります。
私たちは今、人生100年時代を生きています。長い人生の中のいくつかの節目において、それまで背負ってきた役割や責任を見直し、自分らしい生き方を追求することがより大切になるはずです。そのためにも、教育や学び直しの機会は非常に価値のあるものだと考えています。
女性が先駆ける「人生100年時代」のライフスタイルとは
「人生100年時代」と言われる今、従来の「教育→仕事→引退」という直線的なモデルに代わり、「マルチステージモデル(Gratton)」が注目されています。この新しいモデルは、人生を複数の役割や活動で構成し、柔軟に変化させながら生きる考え方です。
特に女性の場合、ライフイベントによってキャリアが一時中断したり、縮小せざるを得ない場面がしばしばあります。しかし、それをやりくりしながらキャリアを築いていく姿勢は、現在の新たな時代に適したモデルと言えるかもしれません。
実際に女性は、これまでも家事や育児をこなしながら多様な働き方や学び直し、時には起業といった活動を通じて、自分らしい生き方を模索してきました。このような柔軟性に富んだアプローチは、従来の直線的なキャリアモデルを歩んできた多くの男性と比べ、より多様で適応力のあるマルチステージモデルを体現しています。
過去からこうした試行錯誤を重ねてきた女性は、これからの時代における新しい生き方の「先駆者」として、多くの示唆を提供していると言えるのではないでしょうか。
一方で、私がカウンセリングを行う中で感じるのは、従来のスタンダードモデルを一直線に進んできた男性が予期せぬ挫折に直面した際、心が折れやすい傾向にあることです。このような状況では、精神的健康でのリスクが高まるケースも少なくありません。
そのため、男性にとってもマルチステージモデルの実現は重要です。このモデルは、男性がこれまでの固定観念や社会的期待から解放され、より自由で創造的なキャリアやライフスタイルを築くきっかけを与えてくれると考えています。
仕事や生活の多様な選択肢を模索することで、男性も柔軟に適応し、持続可能な生き方を見つけられるはずです。マルチステージモデルは性別を問わず、すべての人が豊かで意義のある人生を送るための新しい道を示しているのです。
他者との協働と社会参画を重視した椙山女学園大学の社会人向けライフデザインカレッジ
このような社会状況において、社会人の学び直しであるリカレント教育に着目した本学は、ライフデザインカレッジを展開しています。生涯にわたって人生をデザインし、転機を前向きに乗り越える力を養うことを目的としている取り組みです。
「トータルライフデザイン」とは、柔軟に人生の転機に対応し、それを前向きに乗り越える力をデザインすることを示しています。同時に、仕事、家庭、趣味などを調和させ、人生全体をバランスよく構築する視点を重視しています。
また、本学独自の考え方として、他者との協働や社会への参画という視点を取り入れています。個人だけで完結するのではなく、社会との相互作用を通じて新しい価値を創造する姿勢も核となっているのです。
ライフデザインカレッジでは、さまざまな講座を通じて新たなスキルや知識を得るだけでなく、人生の新たな可能性を見つける場を提供しています。
キャリアアップを目指す講座では、ITスキルや語学力を高めるものから、宅地建物取引士や秘書検定などの資格取得を目指す講座まで、多彩な内容が用意されています。これらの講座は、スキルアップやキャリアチェンジ、さらには収入向上を目指す方々にも役立っています。
また、本学の現役教員や名誉教授が指導するオープンアカデミー講座では、学問的な充実や生活の質の向上を図っています。例えば源氏物語を読んだり、仏像を鑑賞したりする講座は特にシニア層の受講者に支持され、多くのリピーターを集めています。
これらの講座は学びの場であると同時に、受講者同士の交流の場としても機能しており、大学という場が単なる学習の場を超えた存在になっていることがうかがえます。
大学開放講座では,本学の学部・学科で提供される授業を社会人が受講できるようになっています。子育てや介護など日常生活におけるトピックについて学問的に学んだり,仕事や専門的スキルに関する近年の動向を確認する機会を提供しています。
「何を学ぶべきかわからない」「これまでのキャリアを振り返りたい」といったニーズには、ライフデザイン講座を用意しています。例えば2024年度には産学連携によってライフデザインとヘルスケアを考える講座を実施しました。
この講座は、三菱総合研究所やスタートアップ企業である株式会社カランドリエと連携し、本学の教員も加わった形で運営されました。受講者はこれまでのライフキャリアを振り返り、自分自身の価値観やキャリアの方向性を考える機会を得ることができます。
ライフデザインカレッジは、単なるスキル習得の場にとどまりません。過去の経験を整理し、未来のライフプランを設計するための場として、受講者一人ひとりが自分らしい生き方を追求するきっかけを提供しています。
ダイバーシティの推進と個々の力を引き出す環境づくりの重要性
ライフデザインカレッジの講座を受講されている方には、子育てが一段落したミドル層の方々がいらっしゃいます。これまで家族や周囲のために尽力してきた方や、職業キャリアを築いてきた方が、さらにもう一段階キャリアを展開したいと考え、新たな学びに挑戦しています。中には、扶養の範囲内での働き方に制約を感じ、自分らしい働き方を模索している方もいらっしゃいますね。
また、定年退職後も引退するつもりはなく、セカンドキャリアを探求しようと考える方々も集まっています。それぞれ多様な背景を持つ受講者が、次のステージを見据えて学び直しを行い、人生の新たな可能性を見出そうとしているのです。
また、本学では大学院レベルの学びも提供しています。現代マネジメント研究科が運営し、MBAに準じた授業内容を通じてキャリアアップを目指す方々を支援している履修証明プログラムです。
経営管理や経営戦略、マーケティング、管理会計やファイナンス、イノベーションなどを体系的に学べるため、特に幹部候補や管理職を目指す方にとって、実践的な知識とスキルを身につける機会となっています。
プログラムは前期と後期に分かれています。修了者には履修証明書が発行され、学びを一貫して修了した証として活用されており、企業での評価や昇進にも役立つケースも増えています。
近年、多くの企業が女性幹部の育成に取り組んでいますが、育成のための土壌がまだ十分に整っていないのが現状です。女性自身が「進むべき方向がわからない」と感じたり、尻込みしたりするケースも少なくありません。本学のプログラムは、こうした課題を解決するための橋渡し役を担っています。
企業から推薦された女性の幹部候補及び現役管理職や現役の管理職が集まるこのプログラムでは、受講者同士が学び合い、互いに勇気づけ合える環境も提供しています。受講者たちが学び直しを経て社会に戻った際、理想と現実のギャップに直面することも少なくありません。
しかし、講義で得た知識や交流で培われたネットワークが励みとなり、課題を乗り越える力を育んでいます。今年度で2年目を迎えた講座は、参加者の経験が蓄積され、より実践的で効果的な学びの場へと進化していると感じます。
もちろん「女性」と一括りにすることには注意が必要ですが、女性幹部の増加は、働く環境をより良くする大きなきっかけとなります。
それぞれの状況や考え方は異なりますが、特に家庭と仕事を両立する女性に寄り添う幹部が増えることで、組織の雰囲気や考え方にポジティブな変化をもたらす可能性があると考えています。
広い視点で見ると、これらの取り組みはダイバーシティ(多様性)の推進にも通じています。社会にはさまざまな立場や背景を持つ人々が存在し、それぞれが抱える状況に寛容であり、受け入れ合うことが求められていますよね。
ダイバーシティ推進とは、単に多様な人材を集めるだけではありません。組織の目的に向けて、個々の状況を考慮しつつ、それぞれが力を発揮できる環境を作ることが重要です。本学のプログラムは、こうした多様性を尊重し、受講者一人ひとりが自身の可能性を最大限に発揮できるよう支援しています。
少子化が急速に進行している日本では、人口減少に伴い、社会そのものが縮小する未来を見据えなければならない時期に来ています。このような状況に対応するには、従来の右肩上がりの大量生産・大量消費モデルから脱却し、一人ひとりの資源を大切にしながら全体の幸福を追求する新しい社会モデルが必要だと考えています。
女性がこの変革を牽引する役割を担うことができれば、社会全体の発展に大きく寄与できると考えています。女性が持つ多様な視点を活かしながら、社会をより良い方向に導いていくことは、これからの日本にとって非常に重要な課題ではないでしょうか。