海なし県から海に憧れ、3つの海に囲まれた長崎県諫早市に移住した下崎レイナさん。調理師とデザイナーという二つの武器を手に、豊富なアイデアで地域おこし協力隊としての職務を進めてきました。
そんな下崎さんですが、着任後すぐ、たくさんのアイデアを形にするというよりも、まずは地元との地道な関係作りから始めたといいます。まもなく3年の任期が終了するというタイミングで、これまでの職務の内容や、今後の展望についても伺いました。

3つの海に囲まれた町
――下崎さんは埼玉県川越市のご出身なんですね。
実家が川越にあります。高校卒業後は就職し、川越から都内に勤めていました。その後、諫早市の協力隊に応募しました。
――埼玉と長崎では全く環境が異なると思いますが、なぜ長崎を移住先に選ばれたんですか。
埼玉には海がないので、海への憧れがありましたね。小学生の時に、同級生のおじいちゃんの家が淡路島にあり、毎年そこに遊びに行かせてもらって、夏休みに海に行く楽しさを覚えました。そのときからずっと海辺の町に憧れがあって、いつか地方の海のある地域で暮らしてみたいなと思っていました。そんな中、協力隊という制度を知り、諫早のお仕事に興味を持ちました。海が3つあると伺って面白そうと思ったので、移住を決めました。
――諫早市は、橘湾、有明海、大村湾の3つの海に囲まれていますね。
3つって結構珍しいですよね。それぞれの海で特産品も違うし、天気が同じでも穏やかさや色も違うし。表情が違って面白いなと思いながら暮らしています。
私の職場は諫早市小長井町という、有明海に面した町なので、普段は通勤中に有明海が見えます。有明海といえば牡蠣ですね。小長井町も牡蠣が特産品で、2012年の「かき日本一決定戦」では1位を獲得したこともあります。冬になると、牡蠣小屋が賑わいます。埼玉にいた時は殻つきの牡蠣を食べたことがなくて、こっちに来てから、牡蠣は殻つきで買うものだっていうことを知りました。有明海は干満差が激しく干潟が多いので、貝類はよく採れますが、ほかにも、「くつぞこ」と呼ばれる舌平目とか、芝エビ、あさりも採れますね。
大村湾は海に繋がる部分が狭いので、波がすごく穏やかです。ナマコが取れるイメージかな。逆に、橘湾は外海に面しているので、お魚の種類が豊富なイメージです。橘湾が面している有喜町などの港では、練り物などの加工品が有名です。種類も多くて美味しいので、お酒が進むようになりました。
魚介に限らず、野菜も地元のものが手に入りやすいです。新鮮だし、季節のものが楽しめる感じがして、すごくいいなと思います。
埼玉に住んでいた時は近くに直売所があるわけでもないし、スーパーに並ぶものも地元産とは限らないじゃないですか。こっちだと直売所もいっぱいあるし、旬のものが気軽に手に入るので、食べる楽しさがだいぶ広がりました。
――諫早市は食がとても豊かなんですね。買い物には不便ないですか。
実は暮らし始めた最初、車を買わずに半年ぐらい暮らしていました。1時間に1本のバスや電車を使って、家もスーパーから徒歩10分ぐらいのところだったので、普通に暮らせてはいました。でも、車を買うと行動範囲が広がるので、そうするともう車なしでは生きていけないですよね。



調理師×デザイナーを活かした業務
――協力隊では、どういった職務をされていますか。
職場は、山茶花高原ピクニックパーク・ハーブ園というテーマパークみたいな施設です。ふもとの小長井町から、車で15分ぐらい多良岳を登っていったところにあります。有料の遊具があったり、軽食が食べられるテイクアウトのお店があります。ハーブ園も併設されていて、園の中に建つ洋館には、お土産屋さんやレストランが入っていますね。着任当時、諫早の地元の方に聞いたところでは、「子どもの頃には一度行ったことのある施設」という感じでした。その山茶花高原全体の活性化がミッションです。
山茶花高原に初めて足を運んだのは、面接当日でした。面接の帰りに行ってみましょうということで立ち寄ったんですけど、夕暮れで霧がすごくて。前日に雨が降ったとか、いくつかの条件で霧が出ることがあるんですが、その時は霧の中にうっすら観覧車が見えて、正直おどろおどろしいイメージでした。

――では、来た当初は若干「謎の高原」だったんですね。下崎さんは山茶花高原の活性化マネージャーという肩書きをお持ちですが、具体的にはどういうことをされるんですか。
募集要項には、施設の活性化や魅力発信が業務内容と書かれていました。私の前職が調理師なんですけど、施設にはレストランやハーブ園が含まれているので、経験が活かせるかなと思い、応募しました。それに、調理師をしながらフリーランスでデザインとイラストの仕事もしていたので、商品のパッケージやイベントのチラシといったデザイン面でも、自分の持っているスキルが活かせるかなと思いました。
活動中も、商品のパッケージのリニューアルをしたり、イベントの企画を一緒に伴走したり、そのPRにポスターとかチラシを作ったり、SNSを運用したりと、いろんなことをしましたね。
施設の売りであるハーブティーのパッケージは、開業当初から一度も変わってないということで、リニューアルをしました。デザインってどんどん変わっていくものなので、私のデザインしたものも、そのうち変わるとは思うんですけど。今まで20年間、ずっと変化がなかった山茶花高原に、変化の流れみたいなのを生み出す役割ができたかなとは思います。これをきっかけに、職員さんたちが自主的にどんどん変えていけるといいなって思います。


やりたいことより、関係性づくりから始めた
――現在着任3年目とのことですが、1年目からパッケージのデザインをされたんですか。
最初は、正直何をしていいのかわかりませんでした。それに、職員さんたちの反応も「協力隊って何?」っていう感じでした。なので、職員さんとの距離を近づけるところから始まり、ちょっとずつできる範囲のことを提案していきました。やっぱり職員の方も長年勤められているので、突然市役所から派遣されてきた協力隊が、あれもこれも変えてくっていうのは、そりゃ思うところがあるだろうなと思って。例えば、私がお手伝いすれば職員さんの負担をなくせる業務はどこかとか、「こういう新商品とかどうですか?」とか。そういった提案に対して「これだったらいいよ」と言われたものを、ちょっとずつやらせてもらいました。
――新商品は、どういうものを提案されたんですか。
当時のハーブティーは、大容量の袋売りものしかありませんでした。もっと気軽に使える商品があった方が、お客さんが手に取りやすいんじゃないかと思い、ティーバッグの商品を提案しました。
ラベルも、当時は館内にあるものを使って、手作りでやっていました。もちろん予算は山茶花高原のものを使うことになるので、「突然やってきたやつが、急に予算使って」と思われないように、できる範囲で小さく始めなきゃと思っていました。なので、最初は、山茶花高原にあるラベルシートにプリントしたものを、袋にペタペタ貼って作っていました。現在は、印刷会社さんにお願いするようになりました。
――その気遣いが素晴らしいですね。他の地域の事例だと、我の強い協力隊が、地元の方とすれ違いを起こしたという話も聞きます。
やっぱり協力隊は、割とみんなそういうところありますよね。協力隊は面接の時に、「これをやりたいです」ってやる気をアピールするので、着任後すぐ、やりたいことに向けて動き出すんですよ。私も同じで、最初からやりたいことがたくさんありました。着任後、山茶花高原の理事長にあれもこれも提案したら、理事長から「まずはみんなと仲良くなるところから始めた方がいい」「みんながついていけなくなっちゃうよ」とアドバイスをいただきました。その時、確かに、その通りだなと思って。そこで、あんまり最初からガンガン行こうぜっていう感じでやるのは良くないなって思い直し、抑え気味にやろうと思いました。やりたい気持ちは結構あったんですけどね。
――的確な助言を受けて、1年目から少しずつ積み上げていったんですね。3年目の現在、職員の方々とはどういう関係なんですか。
結局よそ者ではあるので、すっごく仲が良いわけではないですけど、ある程度の信頼関係は築けていると思います。こちらから提案してダメって言われたことは、ほぼないです。基本的になんでもやらせてくれたと思います。

アイデアが活きた2つのイベント
――ご自身のお仕事で、個人的にヒットしたと感じたものってありますか。
そうですね、『あじさい花手水』というイベントでしょうか。山茶花高原のハーブ園内にある直径5メートルぐらいの噴水に、一面にアジサイの花を浮かべるイベントをしたんですよ。
元々は理事長の提案でした。アジサイのシーズンは梅雨の時期なので、お客さんが来なくて、せっかくたくさん咲いても見てもらえなかったんです。このアジサイを活かすイベントとして、一緒に企画したのが『あじさい花手水』です。SNSやポスターを使って大々的に広報したんですけど、思いのほかSNSの反響がよく、メディアも取材してくれました。
去年の『あじさい花手水』の時期は雨も霧もすごくて、本当に山の上に人が来るのか心配するほどだったんですけど、かつてないほど人が来てくれました。このイベントは、山茶花高原を知ってもらえる大きなきっかけになったなと思います。
今年の開催は、私が卒業に向けた準備をしていたので、山茶花高原の職員さんたちだけで開催してくれました。去年の人気を受けて、山茶花高原が自主的に開催してくれるようになったのは、嬉しいなと思います。


――閑散期のイベントを活性化できて良かったですね。調理師資格を生かした業務もありましたか。
山茶花高原とは別に、小長井町全体の活性化もミッションに含まれているんですが、そちらの方で活かす機会がありました。小長井町の特産品に「赤米」という、玄米の一種で赤いお米があります。それを使った公民館講座を企画して、特産品のPRしました。赤米を米粉の状態にして、ピンク色のクッキーを作る講座です。
――合成着色料なしでピンクのクッキーを作れると。目に鮮やかなんでしょうね。
自然の着色料なので、パキッとした赤色にはならないんですけどね。赤米も、山茶花高原で売ってたんですけど、「どう使ったらいいかわからない」というので、なかなか買う方がいませんでした。なので、赤米自体のパッケージのリニューアルもしつつ、活用方法をPRしたいなということで、公民館講座を開きました。
――下崎さんはアイデアがとても豊富ですね。
いえ、思いつきで行動してるな、という反省もあります。3年間の反省点はそこですね。なんでも思いつきでポンポン行動しすぎたな、という。やってみたいことはいっぱいあったんですけど、やっぱり3年は短いなと思います。


任期後に向けて
――3年間の任期を終えた後の予定はありますか。
協力隊の起業支援金制度を活用しようと思っています。任期後に市に定住して起業すると、起業に対して補助金を申請できる制度があるので、それを活用して、個人事業主としてやっていこうかなと。デザインとイラストの仕事もしつつ、特産品を使ったクッキーなどのお菓子も売ってみようと思っています。
最初はカフェを目指していたんですけど、店舗を見学に行ったら、想像よりはるかにお金がかかるとわかりました。空き店舗ってやっぱり古くって、白アリや雨漏りの問題もあり、それらの対応にお金がかかるんです。なので、工房だけ借りるとか、別の形で、委託販売やイベント出店をしていこうかなと思っています。
先月、お試しで市役所の前で販売してみたんですよ。市役所では、月に2回出店できる枠があります。そうしたら、予約だけで70件以上予約が入って、ありがたいことに注目していただいてるなと思いました。
――小さい商いであれば、やっていけそうなんですね。
でも、クッキーだけだと、軌道に乗せないと結構きついかなと思います。やっぱりデザインなどの副業をいくつか組み合わせて生業にしないと、やっていくのは厳しいと思います。兼業みたいな感じにはなりそうかな。
――そうやって起業するということは、諫早での生活は気に入ってるんですか。
そうですね。地元に帰りたいって思ったことがあんまりなくて。地元も嫌いじゃないんですけど、今が十分楽しいですね。それに私、電車通勤よりも車通勤が向いてるかも、と気づきました。車通勤が楽しいなと思う一方で、満員電車がすごく嫌だったんだなって。暮らす環境がこっちの方が自分には適していると思いますね。
それから、地元よりもこっちの方が関わる人が多くなりました。人と人の距離が近いというか、知り合いもこっちの方が今じゃ多いです。
――短い3年間で、すごいですね。諫早に根を下ろすかもしれない。
期待と不安と色々なんですけど、うまく仕事がやっていけるといいなと思います。
