紆余曲折を経て家族でたどり着いた美しい町。ここで循環型シェアハウスを作る:福島県田村市地域おこし協力隊_新井田美菜子さん

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 福島県田村市は、郡山市の東に位置し、人口3万人が暮らす自然豊かな町です。震災や少子高齢化によって人口は減っているものの、「たむら暮らし」という移住ポータルサイトを運営するなど移住促進事業を広く行っており、阿武隈高原の自然に惹かれて都会から移住する人も増えています。

 しかし田村市の魅力は自然だけではないようです。今回は、移住者の一人で地域おこし協力隊として活躍する新井田美菜子さんに、なぜ田村市を選んだのか、起業型地域おこし協力隊という少し変わった形態でどういった活動を行っているのかなど、お話を伺いました。地方移住や地方での起業に興味のある方は、ぜひご覧ください。

画像引用元:Map-It

移住のきっかけ

――まず、田村市に来られるまでの経緯を教えていただけますか。

 私は元々埼玉県の加須市出身です。店舗デザインなどを手がける一級建築事務所で、アシスタントとして働いていました。2009年に大工をしていた夫と知り合い、2012年に結婚しました。

 私の父の体調が悪かったので、結婚後は加須市の実家の近くに夫と住んでいましたが、父の介護が必要になり、夫には実家に入ってもらって5年ほど同居しました。その後父が亡くなり、母も既に亡くなっていましたので、親元を離れて自由に住む場所を考えていい状態になって。夫が木工の仕事を始めたこと、3人の子どもたちも大きくなってきて家が手狭になってきたのも重なり、自然豊かなところでのびのびと暮らしたいね、と夫と話すようになったのが移住のきっかけでした。

移住先が見つからない

――そうだったのですね。では移住先を探し始めて、すぐに田村市にたどり着かれたのでしょうか。

 それが紆余曲折ありました。ひとまずは移住先の条件として、環境が良いところであること、また夫の地元の東北であることの2点を重視して探し始めたんです。

 当初は夫の出身地の青森県むつ市にある大畑町を検討しました。しかしお義母さんに「町には仕事もないし人も減ってる、雪の量がすごいから、来ても子どもがかわいそうだ」と強めに反対されたんです。そこで青森県の別の地域はどうかと、青森市や弘前市などを見にいきました。ところがそこでも、自治体の移住相談窓口に行くと「雪がすごいですよ、大丈夫ですか」とものすごく訊かれるんです。やはり、移住しても雪に滅入ってしまって、2・3年で出ていってしまう方が多いそうです。
 そんなところでは、もし移住したとしても、夫は仕事で怪我をして足が悪いので、私一人では雪かきができないかもしれないと思いました。お義母さんも「美菜ちゃんは雪国育ちじゃないから最初は楽しいと思うけど、朝3時4時に起きて雪かきして、ご飯食べて雪かきして、仕事から帰ってきて雪かきして…って、子育てや仕事をしながらだと倒れちゃうからやめな」と現実を教えてくれました。

 そこで今度は青森ではなくて、岩手や秋田や山形、茨城など北関東も視野に移住先を探しました。しかしそこでもなかなかうまく話が進みません。移住先において、私は住宅に関わる仕事、夫は木工の仕事がしたいと考えていたのですが、「こういうことがしたいんです」と自治体の方に相談しても、あまり良い返事が無かったのです。「地元で似たようなことをやっている方をご存じないですか」と訊いても、「知らない」と言われる。自治体と地域が繋がっていないような感じがありました。

 また、町を知るために滞在していると地元の人に「どうしてこんな何もないところに来るんだ」とか「この地域、未来ないよ」と言われることもあって。地域の人が地元に自信や愛着を持っていない状態の町では、移住して新しく何か始めようと思っても障害がたくさんありそうだなと感じました。

田村市との出会い

――たしかに地域の人が地元を卑下してしまうのは、移住希望者にとってはあまり良いイメージには繋がりませんね。お話を伺っていると、福島県は候補から除外されていたように思うのですが、やはり原発事故の影響を心配されていたのですか。

 そうです。当初は、子供がいるし、放射能の影響が心配で福島は候補に入っていなかったんです。でも、なかなか移住先として良いところが見つからず途方に暮れていた時、たまたまInstagramの広告で田村市の広告を目にしたのです。「地域資源を活用するプレイヤーを求めています」といった一文がそこには書かれていて、木工の仕事をしたいと思っていた夫にはぴったりなのではないかと惹かれました。

 そこで「話だけ聞きにいってみよう」と思ったのですが、行くならきちんと放射能の影響を知ってから行こう、と調べ始めました。そうしたらこれまで調べもせずに、知らなかっただけで、田村市は風向きの関係でほとんど原発事故の影響が少なく、今は大丈夫だということがわかりました。

 実際見に来てみたら、田村市の中でも都路町というエリアが街並みもすごく綺麗でとても気に入りました。委託を受けて自治体のサポートをしている株式会社全力優(当時MAKOTO WILL)の担当の方が案内をしてくれたのですが、私たちが移住後やりたいことを伝えた時に「そしたらこんな人がいるよ」と実際に会わせてくれるツアーを組んでくださり、きちんと地域の方と繋いでくれたのです。お会いした方だかも、みなさん地域への思いがあり、私たちにこんな人もいるから力になってくれると思うよと、名刺を見せてくれたり。家探しに困っているという話をしたら、地域の方が、次の日には工房付きの家まで紹介してくれて、その時「ここに住む」とすぐに決めました。

 さらに、地域の人一人一人が町を盛り上げようとすごく前向きなことも印象的でした。田村市には、他の地域には無い住民同士の絆や繋がりがあったんです。「なんだかすごい地域だな」と思いましたし、こういう人たちがいる場所で自分たちも暮らしたいと思いました。

子どもたちも大喜び

――いろいろな地域を見て来られた新井田さんだからこそ、田村市の人の良さに惹かれたのですね。移住後の暮らしはいかがですか。

 子どもたちは田村市での暮らしを本当に楽しんでいますね。夏は外でカブトムシを採ったり、冬はずっと雪で遊んでいます。大喜びで外に行って、学校で友達とかまくらや滑り台を作っていますよ。私が住んでいる地域の学校は小規模で、1学年が多くても8人なので、子供達みんな家族のような距離感なのですが、外から来たうちの子たちのこともすぐ歓迎してくれました。全校生徒が30人くらいなので先生も余裕があって穏やかに感じます、子どもたちも地域柄おじいちゃんおばあちゃん世代と一緒に住んでいる子が多いので、愛情いっぱいに育って落ち着いているような気がします。その点は都市部の学校との大きな違いだと感じます。

 夫も家のそばにある工房で、鏡餅や置物、ライトなど木工でのものづくりに没頭することができています。家族みんなにとって、田村市への移住は良い選択だったと思っています。

起業型地域おこし協力隊として

――それは何よりですね。新井田さんは移住後に地域おこし協力隊として活動されているとのことですが、移住前からその予定だったのでしょうか。

 いえ、実は当初は夫が地域おこし協力隊に応募する予定でした。ただ田村市を見に来た時に、案内してくれた全力優の方が「旦那さんは職人気質だから、ものづくりをしたいならそっちに集中した方がいいんじゃないか」とアドバイスしてくれて。「奥さんやりたいことあるって言ってましたよね、どうですか」と言われ、私の方が地域おこし協力隊に応募することにしたのです。

 そして2024年の5月に起業型の地域おこし協力隊として就任しました。田村市では地域振興型と起業型の2種類の募集があるのですが、起業型の方は最長3年以内に地域資源を活用して市内での起業を目指すというものです。普段の活動はそれぞれに任されていて、先ほどから話に出ている起業支援を担当する全力優と、「田村市を未来と可能性が育まれる地域にするために」をモットーに活動されているまちづくり会社の一般社団法人Switchの2社がサポートをしてくれます。

 起業型の協力隊は基本的に自由なので、最初の1カ月はどうしたらいいんだろうと戸惑いましたが、3年の計画を立ててこの月はこれをする、この週はこれをする、今日はこれをする、と逆算して動いています。週一回、サポートしてくれる全力優の方と定例会議があって、そこで困っていることを相談でき、対応してもらい安心して活動ができています。

空き家活用には地域の人からの信頼が必要

――新井田さんの地域おこし協力隊としてのゴールについてお聞かせください。

 私は人と自然が共生する循環型のシェアハウスと、地域の美味しいもので心を満たすカフェを作りたいと考えています。初年度は地元の人と信頼関係を築く、物件の候補を絞る、カフェのメニューを出せるものにする、の3点を目標に活動しました。空き家を活用してシェアハウスとカフェをやりたいのですが、空き家の情報は地元の人に信頼されないと得られません。やはり空き家を貸すことによって地域の周りの人に迷惑をかけたくないという想いがあるみたいです。変な人に貸して、先祖代々の土地と家がひどいことになったら嫌ですものね。
 そんな風に地域の人同士の絆が深いので、移住者は地域の人からの信頼を得て「あなただったら使ってほしい」と思われるまでにならないと、なかなか話もできません。結局人間対人間なので「私という人間がこの地域で何か始めていいですか」というスタンスで話をしていかないといけない。だから草刈りやお茶のみなど交流の機会に地道に参加することが大事だなと思います。こういう絆が深い地域だからこそ、子どもを育てるには本当に良かったなと感じてもいますね。

 せっかく先祖が建てた家や開墾した土地が、空き家や空き地になって草ぼうぼうになっているのはもったいないと思っていて。何かを新しく建てたり開発したりするのではなくて、そうした土地に誰かが住むことによって維持する。そういうライフスタイルを、少なくてもいいから何人かでも移住者がやってくれたら、この美しい景色が保たれるんじゃないかなと思うんです。住む人が重く考えなくても良いんです。住むことで知らず知らずに地域を守ってることになっている。そんな状態が理想ですね。

 次年度からはカフェを実際に始めてみて、民泊という形で宿泊業も始めてみたいと考えています。そして最後の年にシェアハウスに移行できればなと。

持続可能なメニューを出したい

――素敵な計画ですね。カフェではどのようなものを出したいとお考えですか。

 今考えているのは、お蕎麦と和菓子です。
 田村市常葉町に手打ちそば会があり、そこの会長さん始め、みなさんが一生懸命打つお蕎麦が本当においしくて、そこで打ってもらったお蕎麦を出せたらなと。私も蕎麦打ちを習ってはいるのですが、まずは私一人でやるのではなくて、地域の方たちが打っているお蕎麦を少しでもお金に換えて循環させられたらいいなと思っています。
 和菓子の方は今練習していて、ねりきりやおはぎなど、里山の季節をテーマに見た目が美しいものをやりたいなと考えています。いずれ和菓子教室やそば打ち教室をカフェでできたり、全国に教えにいけたらいいなとも。

 やはり持続可能な場所にしたいという想いがあって、和風のものだったらいずれ自分たちで畑で育てたものを使って作れるなと思って。蕎麦も、小豆も、自分で育てられる材料を使って出したいんです。最終的にはある程度の食料を賄えるシェアハウスを作ってみたいんですよ。

緩やかに繋がる関係性を求めて

――シェアハウスを作りたいという想いは、移住前からずっとお持ちだったのでしょうか。

 そうですね。私は18歳で母を亡くし、30歳で父の介護を始めました。なかなか親に頼れない背景があり、社会に出るタイミングでつまずき、介護中も社会から取り残されたような孤独感を感じました。そうした経験を通して、何かあった時に助け合える、誰かの目がいつもある、そんな共同生活ができる場所があったらいいのにってずっと思っていたんです。緩やかに繋がっている関係性みたいなのがあればいいなって。
 当時のお隣さんもお向かいさんも良い方ばかりで、声はかけてくれたんです。でも「お父さんのおむつを換えてる間子ども見てるよ」とか、家の中に入って手を貸してくれることはなかなか難しいですよね。それで、いつか私はいろいろな事情を持った人たちが助け合えるアパートみたいなものを作って暮らしたいなと思うようになりました。

 そんな頃に移住することになって、田舎だったら空き家でそういうことをやってみたいなとぼんやり思い始めました。地域おこし協力隊になって1年弱になりますが、最初はいろいろな方の居場所づくりをしたいと思っていました。でも自分のやりたいことはなんだろうと自分と会話をしていく中で、やっぱり18歳の時の自分の経験が大きいことに気が付いたんです。
 だから、自分としては社会に出たばかりの若者、そして実家に頼れない若者たちにシェアハウスに来てもらえたらいいなと今は思っています。里子だったり、虐待で親と一緒に住めなかったりする子は、施設に入っていても、18歳で社会に出されてしまうので、そういった子たちが社会に出て夢を叶えて行く時に、よりどころになる居場所を作ってみたいと思っています。

――そうした想いが活動の根底にあったのですね。シェアハウスが実現すれば、地方の活性化だけでなく、様々な社会問題の解決に繋がる糸口になりそうです。新井田さん、今回はありがとうございました。