大阪から家族で移住し約30年。子供たちの故郷になった三次へ恩返し:三次市 河内地区集落支援員_喜多嶋秀美さん

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広島県三次市の河内(こうち)地区で集落支援員として活動する喜多嶋秀美さん。29年前、大阪から三次市へ家族でIターン移住されました。現在は空き家対策や集落の維持、活性化のため様々な取り組みに尽力なさっています。今回のインタビューでは、喜多嶋さんのお仕事とご自身の移住について、また河内地区が持つ魅力についてお話を伺いました。

河内地区集落支援員の仕事

広島県の地図(画像引用元:Map-It

――河内地区は三次市ではどのような位置づけの地区なのですか。

三次市は平成の大合併で旧三次市とその周りの七つの自治体が合併してできた自治体です。その中で河内地区は旧三次市にある地区で、「市街地に一番近い地区」といった位置づけです。山と川に囲まれていて、市街地まで車で5分くらいです。
河内地区では、家を建てる余地が少なかったり、レッドゾーンも割と多かったりと、中山間地ならではの悩みはあります。

――ということは、河内地区には代々そこに住んでおられる方が多いのでしょうか。

そうですね。あとはUターンで帰ってこられた子供さんもいらっしゃいます。興味のある方はよくサイトを見られており、空き家が出ると見学に来られます。その結果、市の内外から空き家に新しい方が入られることもあります。やはり出入りが便利な場所は問い合わせも多いようですね。

――そういった事情の河内地区で、喜多嶋さんは集落支援員としてどのようなことをされてきたのですか。

三次市の集落支援員の役割は、地域の空き家の確認や市の空き家情報バンクへ繋げる事、見学希望の方の同行や移住された方への対応等の移住支援があります。また、「集落の巡回・状況把握」と言って、住民の方に地域の事について話を伺い、地域の課題を見つけ、解決に向けて地域のまちづくりの機関と連携を取り活動する役割があります。

私は令和2年度から河内地区の集落支援員を務めていますが、それまで集落支援員が河内地区にはいなかったので、どうやって存在を知って頂くか悩みました。当時はコロナ禍で、なかなか集まりを開いて話をするようなことはできなかったんですよ。
そこで、元々私は文章を書くのが好きだったので、「集落支援員だより」を作って市の広報と一緒に毎月配布することにしました。先ずは、集落支援員とはどういうものかを知って頂こうと。お陰様で現在52号まで続けることが出来ました。
記事にも工夫を凝らしたので、地域の方々にも楽しみにして頂き、「空き家や持ち家のことを集落支援員の喜多嶋に相談したら、どっかと繋げてくれるんじゃな」と声をかけて頂けるようになりました。

――最初の頃はコロナ禍ということもあって、とにかく名前と仕事名を売ることから始められたんですね。

そうですね。令和4年度にそれをやりつつ、私自身が再度河内地区のことを知るための勉強の期間という感じでした。令和3年度から、集落支援員としての仕事がちょっとずつ動いてきたかなと見え始めました。
河内地区には「河内まちづくり連合会」という住民自治組織と、地区内の五つの町それぞれに「まちづくり協議会」というものがあるんです。その繋がりの中で、年に一度地域の方が集まる「まちづくり懇談会」という会合が開かれます。令和4年度からは私も参加して、地域の現状や空き家についての情報を聞かせて頂いています。また、私の顔も覚えて頂く機会でもあるんです。

――ちなみに、今までに出てきた空き家は全て新しい入居者が見つかりましたか。

私が関わった空き家情報バンクの物件は、数は少ないですがほとんど成約しました。
実は、私自身も空き家提供者です。地区内に叔父夫婦が住んでいましたが、二人とも亡くなったので私がその家を管理していました。空き家にしておくと朽ちていくのも早いので、もったいないという思いも強く、また空き家情報バンクに実際に登録したらどういう風に進んでいくのかを知りたいとも思いました。
それに「集落支援員だより」にその記事も書いて載せれば、地域の方にもどういう風になるのかが分かると思ったんです。思い切って空き家情報バンクに登録したところ、北海道の移住希望の方と上手くマッチングでき、移住されて今では地域に馴染んで下さっています。

――それはまた遠くから。喜多嶋さんの集落支援員としてのお仕事にすごく活かせそうな経験ですね。

そうですね。自分が空き家の提供者になってみて、どういう不安があるかとか、どのような手順で空き家情報バンクの申請が進んでいくのか理解できたので、不安に思われている方への助言はできるようになりました。

――喜多嶋さんは集落支援員として今後も空き家関連に力を入れていかれるんでしょうか。

三次市の集落支援員の役割は空き家・移住対策がメインなので、自分が出来る事をしていきたいと思っています。

令和5年度から「集落支援員お気楽カフェ」という、公民館とかコミュニティーセンターで、気楽にお茶を飲みつつ参加できる小さな集会を開催しています。今年度は、家の片付けの専門家の方に来ていただいて、今住んでいる家を次に引き継ぐために何から始めればいいかとか、所有している空き家の荷物をどうすればいいかとか、みんなで考え相談できる集まりを開催しています。
また、不定期ですが、空き家情報バンクに登録されているお宅で出た、捨てるにはもったいない品を提供してもらい必要な人に使ってもらう、リサイクルの会も始めました。

とにかくちょっとずつ、地域の要望に沿うような新しいことをしていきたいと思っています。地域の方々に馴染んで頂くには、急いだら駄目だと思っているので。
必要な時にはテンポよく、また「集落支援員だより」も地道に続け少しずつ知って頂けたように、腰を据える時にはどっしりと、緩急つけて活動していきたいと思っています。地域のまちづくり組織としっかりと話し、協力してもらいながら進めているところですね。

集落支援員お気楽カフェを開く喜多嶋さん(右上)

喜多嶋さん自身が家族での移住に満足

――そもそも、喜多嶋さんはなぜ大阪から三次市に移住してきたのですか。

私は生まれ育ちは尼崎市(兵庫県。大阪市の西隣)なんです。私が子供の頃の尼崎は、光化学スモッグが出て運動場で遊べなかったり、ドブ川が流れていたり…という時代でした。結婚してから大阪の南港ポートタウンに移りました。埋立地の住宅街です。
海風が吹くこともあり子供が喘息を患い、夫婦で「人込みもしんどくなったし、どこかゆったりできる所がないかね…」と田舎暮らしを考えるようになりました。そんな折、阪神淡路大震災が起きて、高層の住宅の怖さも感じ、本格的に引っ越し先を探し始めました。
その当時三次に住んでいた叔父夫婦から色々話を聞く中で、三次市には「雇用促進住宅」という移住するにはいい住まいがあるし、「仕事も紹介できるよ」と言ってくれました。私は介護職で主人も調理師だったので転職はしやすかったんですね。主人も「知り合いがいる所の方が心強いし、三次市がいいんじゃないか」と家族4人で大阪から三次市へ移りました。

――それまでお住まいだった埋立地と中国山地に位置する三次市では全く環境が違いますよね。お子さんはどんな様子でしたか。

子供は男の子が二人います。上の子が4歳、下の子が2歳半で引っ越しました。
初めて田んぼを目にして、オタマジャクシが動くのが面白く、親子で1時間も田圃をのぞき込んでいました。雨が降ったらちっちゃいアマガエルが田んぼから山ほど出てくる姿に驚き、秋にはカメムシが家の壁いっぱいに張りつくから匂いを嗅いで「臭いね臭いね」って言いながらビニール袋いっぱいにカメムシを集めて遊んだり、冬には雪が降る中、家族四人で大きな雪だるまを作って騒いだり。何でもかんでも感動でしたね。

――それは本当に引っ越して良かったですね。

本当に三次に引っ越して良かったですね。子供らは最初、保育所から泣きながら帰って来たんですよ。「みんなが宇宙人みたいな言葉を喋る」とか言って。「何喋ってるかわからへん、自分らが喋ったら笑われるんや」って。でもすぐに仲良くなって、今は大阪よりもこっちが故郷になっています。
私もずっと仕事をしていたので、ちゃんと子供たちを育てられたのかなという心配はあったんですけど、叔父夫婦や地域に育ててもらったというところが大きいです。

子供たちがのびのびと育つ環境

――地域に子供が増えたら喜ばれるでしょうね。現在、河内地区のお子さんの数はどんな状況ですか。

河内小学校も今は少子化が進み全校児童が15名で、完全複式の小学校になっています。今後児童数が、学校の存続がどうなっていくかの不安はとても大きいです。なので、地域一丸となって“小学校”、“子供が育つ場所”を守るにはどうすればいいか話し合っています。保護者の有志の方も団体を作って活動を始められました。小学校が、子供たちの笑い声がなくなったら本当に地域から火が消えたように感じますから。
三次市には校区外から希望する学校に通える制度があるので、少人数の学校を希望されるご家庭が河内小学校に来てくれることもあります。とても嬉しい事ですね。

――少人数の学校でのびのびと過ごせるのはいいですよね。

そうですね。広いグラウンドを贅沢に使えますし、複式なので学年の境がないんですよね。だから1年生から6年生まで混ざって一緒に遊んでいます。それに、上の子が下の子に注意したり、年が上になっていく内に「自分たちがしっかりしないといけん」と自覚が生まれてくるんですよ。また下の子たちはそれを見て「ああいう風になりたい」って変わっていくという。時には仲間外れも起こるけれども、そういう場合は全員で集まって話し合いしていますね。
それに人数が少ない分、その子その子が主役になりやすい。色んな行事で地域のテレビ局が取材に来るんですが、みんなビックリするくらいしっかりと受け答えしています。学習面も複式ならではの学習で力をつけています。小さい小学校ならではのいいところってとっても沢山あるんですよ。
大規模校と小規模校それぞれ魅力は違うと思うんです。ご家庭の考え方で選ぶことが出来るのはとてもいいと思います。

また、各中学校区を一つの集まりと考える「コミュニティ・スクール」の考え方が進んでいます。小学校時代から、中学校で一緒に学ぶ児童と交流が持てるので、少人数から大人数の中学校への進学も不安は少ないと思っています。

――お話を伺っていると、やはり子育てをするには良さそうな地域ですね。

古くからの田舎ならではの近所づきあいが残っています。地域の人は子供に気軽に声をかけてくださいますし、子供たちも笑顔で返す“顔の見える交流”が持てています。親御さんからすれば、子供を見守ってもらえているという思いは強いと感じます。
小学校の野外活動にしても、地域のブドウ園でブドウの成り立ちを学習して、作業を手伝ってブドウを貰って帰って来たり、地域の田んぼを借りて田植えや鎌を使っての稲刈りをしたり、地域や学校・PTAの協力のもと、5・6年生がいかだで川下りをするなど、都会の学校よりはダイナミックなことをしていると思います。自然と関われる機会は常にありますね。

――そしたら尚のこと都会から子連れの移住者が来てほしいですね。

ゆったりと生活したい、自然の中で子育てをしたいという方にはいい所だと思いますので、是非一度三次市や河内地区に遊びに来てほしいものです。私は集落支援員として移住して頂ける空き家の登録数を増やして、移住を希望される方の機会を増やしていけたらと思います。

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