女性も自分で決めて、自分で前へ進もう。鷹栖町地域おこし協力隊・山田直美さんが女性の活躍を後押し

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 北海道のほぼ中央に位置し旭川市に隣接する鷹栖町に、女性が輝く町を目指して活動する地域おこし協力隊員がいます。それまで、旭川市で起業家として活躍してきた山田直美さん。鷹栖町で生まれ育った山田さんは、起業家としての経験を活かして地元へ恩返しをしたいという思いから、協力隊に就任。手作りマルシェの開催や起業基礎講座の運営を行ってきました。

 山田さんは、協力隊としての活動とご自身の事業を通じて、主に女性たちの可能性を広げてきました。今年の3月末に協力隊の任期を終える山田さんに、「仕事と女性」に対する思いや、協力隊の活動内容、今後の展望などについてお話を伺いました。

(記事公開日:2025年3月3日)

画像引用元:Map-It マップイット(c)

自営業を経て故郷で協力隊に

――山田さんは生まれ育ちが鷹栖町とのことですが、地域おこし協力隊としてUターンするまでのご経歴を教えて頂けますか。

 2002年から2018年までは、隣の旭川市で自営業の手伝いをしていました。その後、40代以上の女性を対象にした起業塾を始めました。

 塾生さんが起業するためのPR活動として、まだ起業前の塾生さんのプレスリリースを新聞や雑誌に出す、ということをしていたんですけど、ある日、町とか企業も同じようにPRできたらいいなと思った時があったんです。その直後にFacebookを開いたら、鷹栖町地域おこし協力隊募集の広告が出たんですよ。「あ、これだ。」と思いました。自分の生まれ育った町で、自分の得意な事を活かして仕事ができたら恩返しになると思って応募しました。そして、2022年に鷹栖町の協力隊に就任しました。

手作りマルシェを主催

チャレンジショップ(マルシェ)

――タイミングが良かったんですね。協力隊としての活動には、今までのご経験が活かされていると思いますが、特に役に立ったなと思う事はありますか。

 起業した経験ですね。

 今年度と前年度、起業の基礎講座を町内で開催しているんですけど、受講生は農家の奥様もいらっしゃいます。夏は農業で忙しいけれど、冬は閑散期になってしまう。得意な事があるのに、それを活かせてない方が結構いるなと。その冬の間だけでも、得意を活かしてお小遣い程度に3万でも5万でも稼げたらいいじゃないですか。
 講座の一環として、去年の2月と12月の2回、冬の手作りマルシェという形で、受講生が出店にチャレンジできるイベントを開催しました。実際に自分で作った物を売ってみようとか、売るものがない人は裏方を手伝ってみようとか、そういう風にイベントを行って、来場者も500~600人程いました。

 起業の意志があっても最初の一歩を踏み出すのは大変なので、そのための場を用意したらいいのかなって。マルシェの1回目は私を含めた協力隊で主催したんですけど、2回目は受講生の方が主催になり、私はそのサポートに入りました。私が協力隊を卒業した後もイベントが地域に残るような形になって、嬉しく思っています。

チャレンジショップ(ちびっこお手伝い隊)

――マルシェにはどんなお店が出たんですか。

 町内外で何か手作りをしている人たちに声をかけて出店してもらったんですけど、手作りの雑貨とかアクセサリーを売るお店や、コーヒー屋、キッチンカーが出店しました。受講生の中にはチャレンジショップで体質診断のサービスを出店した人もいて、頂いた価格以上にサービスを提供してしまって、時間が滅茶苦茶かかっちゃった、なんていう事もあったんですけど、そういうのも実際にやってみたからこそ分かる事で。名前の通り、チャレンジショップとしていい場だったなと思っています。

 あと、あくまでも親子が楽しめるイベントにしたいという理念があって。来場者のお母さんがショッピングを楽しんでいる間、子どもたちが遊べるスペースを別に設けたんですけど、そこには体育振興の協力隊が専属で就いて、子どもたちと遊びました。
 それと、出店者のお子さんにもイベント運営を手伝ってもらったんですよ。抽選係とか、会場のスタンプラリー係とか。「ちびっこお手伝い隊」っていうのを作って、やってもらいました。

 お母さんと子どもがそれぞれ同時に楽しめるイベントが鷹栖町にはあまりなかったので、この町に合ったイベントにするにはどんな形態にしたらいいのかな、と考えながら行いました。その結果、お母さんたちだけじゃなくて協力隊も出店したり、裏方としてサポートしたり。協力隊を町の人に知ってもらう機会にもなりました。すごくバランスが良くて、イベントの成功例になったかなと思います。

チャレンジショップ(子どもの遊び場)

三歩下がらず自分で前を歩く

――山田さんは女性が活躍できる町を目指していらっしゃるんですよね。

 そうですね。私は「全ての女性と全ての子どもたちが幸せに暮らす社会を実現する」ということを自分のミッションにしています。協力隊だけじゃなくて、自分の事業も含めて、一貫してこのミッションを基にしています。お母さんが幸せだと子どもも幸せなので、まずはお母さんの笑顔を作っていこうと。

――経済を支えるのは女性だと言われていますしね。

 そうですね。ただ、日本人女性って依存体質の人が多いんですよね。「三歩下がって歩く」みたいな。

 一昔前までは、女性は家の中で家事をやって、男性は外へ働きに行くという形式があって、今も何となくその流れが残っている部分はあるんですけど。でも、今の時代は、女であろうが男であろうが経済的に自立することは可能なんですよね。だから、女性であっても経済的にも精神的にも自立した人になりましょう、と。自分で決めて自分で行動していくのはとても大事です。

任期後もぶれずに前に進む

――お話を伺っていて、色々な得意を集めると上手く回るのかなと思いました。

 そうですね。起業で言うと、まず自分がやりたい事とか得意な事が前提としてないと、続かないんですよね。私はそういう事を仕事にしてきたから、この人はこれが得意そうだというのが、見ていると何となく分かるんですよね。
 イベントを開催する時も、この人は事務、この人はチラシ作り、というように得意な事を分担し合えば皆が活躍できますよね。

――山田さんのそばにいたら多くの事が学べますね。鷹栖町のキーパーソンという感じがしますが、協力隊の任期後の事はお考えですか。

 この3月で任期が終わるんですけど(※取材時2025年2月)、協力隊就任前からやっていた、コンサルやセミナーを続けていきます。そして、それを法人化したいと思っているんですよね。スタッフとして女性を雇って、日本一女性が働きやすい会社にしたいなと思っています。

 そう思うようになったのも、協力隊としての3年間があったからなんです。それまではオンラインで全国を対象に事業を行っていたので、地元の人たちの現状が分かっていなかったんですよね。なので、協力隊になって、町内の企業や住人のお話を聞いたり、起業の基礎講座で関わったりする事ができたのは、私にとって大きな経験でした。

――協力隊卒業後に宙ぶらりんになってしまうというお話も耳にしますが、山田さんはさすがですね。

 私の場合、協力隊になってから早い段階でそれを察したというのはありますね。協力隊卒業後に活動していた地域から引っ越しちゃうとか、目標にしていた起業ができなくてとりあえず就職しちゃったとか、聞いていたので。
 だから、地域の活動をしながらも、自分がどう生きていきたいのかをきちんと考えることが大事だなって。そう思いながら3年間を過ごしたので、それなりの所に落ち着いたのかなって感じです。

 任期中にメンタル関係の資格も取らせてもらいました。と言うのも、起業の基礎講座をやっていても、受講生の女性たちから日常的な悩み事を聞く事があったし、他の協力隊員の人たちの悩みも聞いていたし。なので、気軽にそういう事を話せる場も作れたらなと思っています。

 悩んでいると足踏みしちゃって前に進めないので。それに、こういう小さな町だと、人の目が気になるとかね。そんなのもったいないじゃないですか。解決できることは解決して、すっきりと前に進めたらいいですよね。

――山田さんのご尽力で、鷹栖町は女性が輝くモデル地区になるのでは、という期待が膨らみます。ありがとうございました。