名桜大学(沖縄県名護市)の麻生玲子准教授は、日本最南端の有人島である波照間島の方言について研究しています。先生は、若い世代がほとんど話さなくなり、消滅の危機にある波照間方言の文法を一から解明し、文法書としてまとめました。方言を研究する意義や面白さはどのようなところにあるのでしょうか。お話を伺いました。
麻生玲子 先生
名桜大学 国際学部 国際文化学科 准教授
【研究キーワード】
記述言語学、日本語、琉球語、方言、アクセント、文法
【主な研究テーマ】
・琉球語諸方言の言語研究
・琉球語諸方言を対象とした記述言語学の研究手法に関するメタ研究
会社員時代、デイヴィッド・クリスタルの『消滅する言語』に出会い、衝撃を受け大学院へ入学。消滅危機言語の一つである南琉球八重山語波照間方言の文法書を完成させる(世界初)。
2021年4月より現職。
消滅の危機にある方言の文法を一から分析していく
――先生のご専門の記述言語学とは、どのような学問ですか。
高校生までの英語や古文の授業では、文法は「こうだ」と教わってきたので、文法を扱う言語学も、覚えるだけのつまらなそうな学問だと思っている人もいるかもしれません。でも、言語学の中でも記述言語学とは、ある言語の音や活用など、言語の様々な側面の規則がどうなっているのか、ありのままの姿を一から観察して記述・分析していくという学問です。自ら文法を見つけ出していきます。
これまで全く文法書がない言語、あるいは記録が少ない少数言語や、消滅危機言語では特にこのような研究が急務です。言語を一から聞いて、その言語をよく観察し、分析します。
――文法は元から決まっているものだと思いがちですが、様々な変遷を経て国などから「これが公式の文法です」というお墨付きを得たものですよね。
そうですね。そのお墨付きを得て、教科書にまとめられるまでには、誰かが文法をまとめておく必要があります。記述言語学は、その基礎研究にあたります。
――先生は琉球諸語の方言の一つである「波照間方言」の文法書をお作りになったんですよね。なぜ波照間方言を選んだのですか。
そもそもなぜ文法書かということからお話します。私は大学で言語学を学んだ後、都内で働いていましたが、ふと昼休みに立ち寄った本屋さんでデイヴィッド・クリスタルの『消滅する言語』という本に偶然出会い、「このままでは、記録が残らないまま多くの言語が地球上から消滅する」という内容に衝撃を受けました。大学時代に受けた、全く知らない言語を分析し文法を明らかにしていくという授業が印象に残っていたこともあり、消滅の危機にある言語の文法書を書きたいと思って大学院に入りました。
対象言語は実は、世界中のどの言語でもいいと思っていたんです。ですが、指導教官から「モンゴル、アイヌ、琉球」という3つの選択肢を提示されました。もともと大学時代はモンゴル語を専攻していたので、選択肢には、日本の他にモンゴルが入っていました。実際の問題として、媒介言語や渡航費、治安の問題を考慮するとこの選択肢は当然のことなのですが、当時は「どこへでも行ってやる!」と息巻いていたので「え!国内?」と肩透かしを食らった感じでした。その後色々調べていくうちに、「それだったら琉球、しかも最南端に行ってしまえ」と、思い切って波照間島に行くことにしました。波照間島は石垣島から船で1時間半ぐらいかかるところにある、日本の最南端の有人島なんですよ。
――会社員をお辞めになって大学院に入ったんですね。
はい、貿易事務の仕事をしていました。仕事内容に不満があったわけではありませんでしたが、『消滅する言語』という本を読み、自分だからこそ役に立てそうなことをやりたいと思って大学院に進みました。
――自分だからこそ役立てそうなことが、波照間方言の文法を整理するということだったんですね。
そうですね。これまでに方々で調査されてきたことと、自分の調査結果を合わせて一冊の文法書にまとめて残すということは意義のあることだと思っています。ちょうどその頃は、琉球諸語を含め様々な少数言語の記述言語学研究者の仲間が増えて、相談できる環境がありました。今思い返すと、とてもありがたかったです。。
――波照間方言を聞いて、最初は何を言っているか全くわからなかったのではないですか。
もちろん、全く分かりませんでした。例えば花のことは「パナ」と言います。文字で書いてしまうと、何の変哲もない単語なんですけど、音声記号で書くと[pʰḁn̥a]のように表記します。特に語頭は息がものすごく強くて、衝撃が走りました。強すぎて何を言っているかわからないんです。日本で話されている言語だと気を抜いていた自分が恥ずかしくなりました。この息が強すぎるところに惹かれて、波照間方言を研究対象にしようと思いました。
方言を取り巻く環境
――私は久米島に滞在したことがありますが、若い方は久米島方言を全く話せていませんでした。方言はなかなか若い世代に伝わっていませんね。
そうですね。歴史的な背景もありますが、言語はやはりコミュニケーションの道具ですので、実際問題として、ある言語を習わせる(伝える)・習うという判断をする際に、実用的かどうかは重要な点になると思います。実用的というのは、ここでは例えば受験や就職に有利だとか、仕事の際に必須だとか、その言語でしか得られない情報や体験があるといったことを指します。私にはそのような社会構造を変革する力はないので、せめて残すことだけはしようと研究を進めています。地域によっては方言の継承に積極的に取り組んでいる場所もあるので、そのような場所では私ができるサポートをしたいと思っています。
――波照間方言のネイティブスピーカーはどのくらいの世代ですか。
今では80歳代後半くらいの世代になっています。それより下の世代になると個人差が出てきて「聞いてわかるし、少しは話せる」というレベルから「聞いてわかるが話せない」、そして子どもたちは「聞いてもわからない」という世代です。
波照間島には高校以降の学校がないので、継続的な継承はなかなか難しいですし、そもそも小学校、中学校でも先生たちは波照間出身の人たちではありません。子どもたちは学校でもメディアでも日本語に囲まれながら生きています。
音に慣れるところから始まり、短文を理解して文法を分析
――先生は単身で波照間島に入り、どのように波照間方言を習得したんですか。
伝手があるわけではなかったので、波照間方言を教えてもらう段階までの、人脈などの基盤作りがものすごく大変でした。しかも、仮に協力してくださる方がいても、島外出身の私の顔を見ながらだと中々方言モードになりません。そんな中、売店で売り子をしていた方が、島外出身者の私相手でも構わず方言を話してくださる方だったので、売店でお手伝いをしながら学びました。今でも「アマー(姉さん)」と呼び、お世話になっています。具体的にはまずは身の回りの単語を聞きます。聞いていく中で、どのような音があるか、どの音とどの音が区別されているか商品の陳列をしながらでも耳を澄まして観察します。次によく使いそうな短文を聞いていきます。例えば「私は昨日、畑に行った」とは波照間方言でどう言うのか聞き、次に「明日行く」だとどう言うのかを聞きます。すると、動詞の活用形がわかってきます。「この動詞だったらこう変化するから、あの動詞だったらこうかな」と考え、話者の方に確認することを繰り返し、少しずつ覚えていきました。アマーがいなければ私は今ここにいません。
――外国語を覚えるプロセスに似ていますね。波照間方言は、首里方言とは全く違うんですか。
琉球諸語は日本語と同じ系統の言語なので、語順や動詞の語尾が変化するなどの大枠の特徴は変わりませんが、確かに外国語を一から学ぶ感覚でしたね。
波照間方言と首里方言の違いについては、波照間方言と日本語との違いよりは大きくありません。琉球諸語と日本語は、大昔には同じ言語でしたが、そこから分かれて今に至ります。琉球諸語はさらに、北琉球と南琉球で大きく分かれます。首里方言は北琉球語に入り、波照間方言は南琉球語に入るので違いはありますが、もちろん日本語よりはお互いに近い言語です。
――例えば首里方言のネイティブスピーカーの人が、波照間方言を聞いても完全には理解できないんでしょうか。
おそらくわからないと思います。逆に波照間の方が首里方言を聞いた場合は、実際に調査したわけではありませんが、ある程度わかる可能性があります。首里方言は、日本語でいう東京方言のようなものなので。
――そもそも、琉球は単一民族で成り立っていたんですか。
私は詳しくはありませんが、最近のゲノム研究によると、琉球列島だけでなく、日本列島も地域ごとに縄文人由来と渡来人由来のゲノムの割合が違うようです。その中で、沖縄県は縄文人由来のゲノム成分が相対的に高い地域だと言われているそうです。
――ということは、琉球諸語は最初に沖縄本島の方で発達して、人の流れに従って離島に伝わっていったということですか。
九州の南部にいた集団が何らかの理由で琉球列島に渡っていったと考えられていますが、詳しい経由についてはまだわかっていない状態です。
名桜大学は沖縄県出身者と県外出身者が半々
――先生のご専門はまさに文化そのもので面白い、大切にしたい研究分野ですね。
そう言っていただけると嬉しいです。大学では、琉球諸語に限らず、地元の言語を好きになってもらえるような授業を心がけています。名桜大学の学生は沖縄県出身者と県外出身が半々くらいなんです。那覇空港からも遠い所なのに、県外出身者も結構多いんですよ。
――沖縄本島で沖縄の人が喋る日本語は日本語の方言といっていいのでしょうか。
ヤマトグチと言われるような言葉のことですね。ヤマトグチは本土各地の方言と比べると少し特殊です。日本語の一変種ではあるのですが、琉球諸語と日本語を親方言とする接触言語と言われています。
――ヤマトグチには首里方言の名残があるんでしょうか。
首里方言というよりは、各地で話されていた伝統方言(琉球諸語)の特徴をそれぞれ引き継いでいるのではないかと思います。ですが、そのような研究はあまりなされていません。消滅危機言語である琉球諸語の記述でまだ手一杯なところがあります。ヤマトグチが伝統方言からどのような影響を受けているかは、まだ明らかになっていません。
――先生のゼミの学生さんは、どんな勉強・研究をしていますか。
学生自身が好きなことを出発点に、言語学の様々なテーマで研究しています。地元が好きな学生は、沖縄に限らず出身地の伝統方言を対象にアクセントの研究をしながら語彙集を作成したり、ヤマトグチ等自分の話している言語について研究しています。学生によっては、「推し」が話している言語(日本語や韓国語)を書き起こして、話し言葉の音声や文法について研究しています。卒業論文を書くとなると長く付き合うテーマになるので、学生には好きなことを優先してもらい、そこから言語学の研究につなげて欲しいと考えています。
――伝統方言は、主におじいさんやおばあさんから学ぶんですか。
地域によりますが、若ければ60代、高齢の方で90代の方から学ぶことになります。出身地の方言を研究対象にする学生は、自分の祖父母に聞いたり、地域の公民館に話者の方を紹介してもらったりできるので、全く伝手のない場所の言語を学ぼうとする私のような人間に比べると、最初の難関かつ最も重要な伝手探し・話者探しにアドバンテージがあります。羨ましい限りです。
――先生のゼミを出て卒業した学生さんは、役場に勤める人が多いんですか。
私は名桜大学に来て4年目なので、まだ2期しか卒業生を送り出せていませんが、地元に戻って市役所、町役場に勤める人もいれば、地元の企業に勤める人もいます。Uターン希望者が多く、Iターンを希望する学生はあまりいません。自分の地元が好きな学生が多いです。
ちなみに、県外出身者も多いとお話ししましたが、私が開講している授業には、東京・神奈川などの大都市圏の出身者があまり多くはいません。国際文化学科全体を見てもそうかもしれません。名護と同じくらい自然豊かな場所から来る学生が多い印象があります。
記録自体にも意義がある
――学生さんは大学に入り、初めて琉球諸語や方言を学んでいると思いますが、どのように学んでいますか。
私は、琉球諸語が日本語に対してどのような特徴を持った言葉なのか、音声や文法は日本語とどのように違うのかといった内容を教えています。日本語だけでなく、世界の言語と比べることも多くあります。もしかしたら、学生は話せるようになるための語学の授業を期待しているかもしれませんが、会話の授業は行っていません。琉球諸語は日本語との違いだけではなく地域差がものすごくあります。各地で話される方言の簡単な例文を出しながら、学生自身が琉球諸語の特徴を発見できるようアクティビティを多く取り入れています。学生も楽しそうに取り組んでいますよ。
――琉球諸語にはグラデーション、広がりがあるんですね。
そうですね。南と北で特徴が全く違いますし、南でも宮古と八重山では大きく異なります。
――そんなに異なる言語が分布しているなら、文法書を何冊書く必要があるんでしょうか。
程度の差はありますが、字(あざ)ごと、つまり集落ごとに言語が異なるとされているので、本当に数えきれないくらい必要です。しかも、1冊書き上げるのに何年もかかります。
――これまでに何冊お書きになりましたか。
私は波照間方言についての1冊のみです。調査・執筆中に妊娠、出産、育児も重なったので、結局10年以上かかってしまいました。正直なところ、私は一生に2冊も書ける気はしません。ですが、一人でではなく、研究仲間や卒業生、地域のコミュニティメンバーと一緒にチームを組みながらであれば可能かもしれないと思っています。
――先生にとって、消滅の危機にある言語を学んで後世に残すことの意義はどういったことでしょうか。
言語は無形文化遺産と言われています。どの言語にもその言語特有の興味深い特徴があり、等しく価値がありますが、建造物などのような分かりやすい「形」がなく認識しづらいため、危機的な状況にあっても保護は後回しにされがちです。ですが、記録にさえも残っていなければ、なくなってしまった際に一体それがどのようなものであったか取り戻すことができません。その点で、記録しておくこと自体に意義がある研究だと思っています。
――200年後の人類が先生の残した文法書を見て「こんな言語もあったのか」と思うかもしれませんよね。
そうですね。そんな風に思ってもらえたら嬉しいですね。