東日本大震災以降、災害時の情報伝達の手段として注目されているコミュニティFM放送局。電波の範囲が限られているという特性がある為、地域と密接に関わり、日常に花を添える存在でもあります。
しかし、資金繰りが難しく、閉局を余儀なくされる事例が後を絶ちません。そんな中、2019年に女性3人で開局し、翌年から黒字化を達成しているのが、埼玉県秩父地域のコミュニティFM「ちちぶエフエム」です。
今回は、ちちぶエフエム株式会社の創設メンバーであり、取締役と局長もお務めの山中優子さんにお話を伺いました。
山中優子さん
ちちぶエフエム株式会社 取締役 局長
秩父郡横瀬町生まれ、秩父郡大滝村(現秩父市大滝)育ち。高校卒業まで秩父地域に在住後、専門学校へ通うために秩父を出る。
2005年、就職で埼玉県熊谷市の事業所へ配属になり、秩父へ帰って電車で通勤。約6年勤めた後、退社。
その後、都内で一人暮らしをしながら派遣社員などで6年働き、その傍ら週末などは地元秩父で司会業を務める。そこで、ちちぶエフエムの他の創設メンバーである磯田恵美氏、出浦ゆみ氏に出会う。
2018年7月にちちぶエフエム株式会社を設立、
2019年10月にちちぶエフエムを開局。
きっかけは3.11
ちちぶエフエムは2019年の10月に開局しました。今年は5周年を迎えることになります。
遡って開局のいきさつをお話ししますと、私は2014年に、ちちぶエフエムの発案者であり現取締役社長の磯田恵美と秩父で出会います。私は当時、秩父から出て東京で勤めていたんですが、「秩父で何かできたら良いな」と思って、週末に秩父でイベントなどがある時に、司会の仕事を務めていたんですね。で、磯田はイベントで音響や照明の仕事をしていたんです。そこで出会って、磯田から「ラジオやってみたいんだけど、山中さん興味ない?」と言われたのが始まりです。
では、そもそも何で磯田がラジオ局を作りたいと思ったのかというと、2011年3月11日の震災がきっかけだったそうです。あの当時、磯田は東京で働いており、テレビ番組の制作で音響効果を入れる仕事をしていたんですが、3.11が発生して自分の担当していた番組が放送中止になってしまい、家でテレビを観ていたんです。
ところが、テレビでは東北の情報は常に流されていたものの、秩父の情報が全くなかったんですね。それで、「地元・秩父はどうなっているだろうか、震度5だったけど大丈夫だろうか」と思って実家に連絡をしてみたところ、「家は大丈夫なんだけど、なんか市役所が倒壊したらしいんだ。すごい崩れてるらしいよ」と言われたんだそうです。
「~らしい」という噂が流れていて、そのどれにも確証がない。で、後でわかったところでは、秩父市役所はヒビが入ったりガラスが割れたりはしていたんですが、倒壊はしていなかったんです。事実が現地でもうまく伝わっていないし、離れた所で秩父の正確な情報を得る手段もない。
そんな中、テレビで東北のコミュニティFMを特集していて、そのFMの放送の中で「今、〇〇避難所に物資が届きました」、「□□避難所ではこれとこれが足りていません」、「その物資は△△避難所にあります」といった発信をしているのを磯田は観て、秩父にもコミュニティFMというラジオ局があれば、もしもの時にちゃんと情報を伝えられるんだなと思ったそうです。
当時、SNSではmixiやFacebook、Twitterなんかがありましたが、正確な情報が分かりにくかったり、フェイクニュースが流されたりしていて、やはり磯田はコミュニティFMの重要性を感じたようです。
そういった経緯で、磯田が秩父にコミュニティFM局を設立したいという志を持った状態で、私と、もう1人の設立メンバーである出浦ゆみと出会ったんです。出浦も現在取締役を一緒に務めているんですが、彼女は元々、声優や役者を目指していたり、司会や朗読の仕事をしていたりした人です。
秩父への思いを伝えてスポンサーを集めた
そうして秩父出身の女性3人で集まって、秩父でコミュニティFMを開局できないかと考えていたんですが、「会社を作るのはお金のかかることだから、私たちにはできないよね」とも思っていました。それで、ネット配信ならできるかなということで、インターネットラジオを3年ぐらい続けました。
そんな中、熊谷市(秩父地域と「秩父鉄道」で繋がる埼玉県北部の中心都市)に拠点を置く「ヤバイラジオ」というインターネットラジオ局の代表だった宇野さんという方が、コミュニティFM局「FM.クマガヤ」を開設すると言って、あれよあれよという間に話が進んでいきました。
そこで、「じゃあ私たちも何かできるのかな」と思って、宇野さんに色々とお話を聞いて、コンサルタントを紹介してもらい、「では実際にやってみよう」となったところから、1年半くらいでちちぶエフエムが開局しました。凄いスピードでした。3人とも起業の経験はなかったので、とにかくがむしゃらにという感じでした。
資金集めは、とにかく足で稼いだというか、秩父地域の会社に出向いて、私たちの「秩父をもっと元気に」「秩父に還元したい」という思いをお話しして、株主になって頂きました。
実は地元の人は、「秩父に新しいお店ができた」といった情報をテレビで知ることが結構あるんですよね。意外と住人同士の会話で知るというようなことが少なかったんです。
なので、そういった情報を地元のコミュニティFMとして発信することで、リスナーさん1人1人が観光大使になるような、人から何か秩父について聞かれた時に「そこ行ったことないからわかんないや」じゃなくて、「それ、この間ちちぶエフエムで話してたから、私も行ってみたんだー」と言えるような地域になれば良いなという思い。そういったことを色々な方にお伝えして、それに賛同して下さった方がスポンサーになって下さっていったんです。
コミュニティFMの役割
また、ちちぶエフエムではCMを安価で流せるということも魅力の1つだと思います。私たちも、役員だからといって沢山報酬を得たいわけではなくて、生活ができれば良いと思っていますので。
ちちぶエフエムのCMは、秩父地域に向けて発信することになるんですよね。よく、「観光で来る方にもわかるような情報発信はしないんですか」と言われるんですが、私たちとしては、やはり秩父地域に住んでいる人が楽しくなり、生活が豊かになるような情報発信をしたいんです。
例えば、地元の企業さんのCMを耳にした子供が、「あ!〇〇ちゃんのお父さんラジオに出てる!」って気付いたら面白いと思うんです。CMからそういった繋がりが出てくると、親近感が沸いて新しいお客さんになってくれることもありますよね。そういう役割がコミュニティFMにはあると思っています。
あと、秩父から外に出たもののずっと秩父のことが気になっているという方も、インターネットでちちぶエフエムを聴いて、イベント情報を得てたまに帰って来てくれるといったこともあります。 もちろん、冒頭でお話ししたような災害の時も、情報収集の1つの手段としてお役に立てると思います。
「秩父には何もない」ではなく
私は高校まで秩父にいて、専門学校に行くのに外に出てから、熊谷に就職するので秩父へ戻って来たんです。その頃は秩父から電車で通っていたんですが、朝6時台の電車に乗って熊谷へ行き、21時頃に秩父に帰って来るという生活でした。夜の帰り道はもう真っ暗で、「秩父には何もない」と思っていました。
で、その後は都内に出て6年くらい働いて、ちちぶエフエムの設立でまた秩父へ戻って来ました。そして、ラジオを始めてからわかったんですが、私が「秩父には何もない」と感じた通りは、本当に何もなかったわけではなくて、日中はお店がやっているんですよね。面白いお店が沢山あって、単に、かつての私の帰宅時間には開店していなかっただけなんだと知りました。それに、ちょっと通勤路を外れて回り道をすれば、やっているお店もあるんですよね。
そういった気付きが私自身にあったので、今、地域の情報発信をしていることが嬉しいです。日中はなかなか秩父にいられない人も、通勤の時にちちぶエフエムを聞くことで、かつての私みたいに「秩父には何もない」と思わずに、「そんな楽しそうな店があるんなら、今度有給取った時に行ってみっか」となるかもしれません。それは、日常の中で気持ちが豊かになることだと思います。