琵琶湖の東岸、滋賀県のほぼ中央に位置する近江八幡市は、交通利便性の高い立地と豊かな歴史・文化が魅力です。大都市圏へのアクセスが良好でありながら、昔ながらの街並みや伝統行事が色濃く残っています。
また、地名の由来となっている日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)や、時代劇の撮影でおなじみの八幡堀、近年ではラコリーナ近江八幡などが多くの観光客を集めています。
ただし、近江八幡市地域おこし協力隊の大矢沙代さんは、近江八幡の魅力は、有名な観光スポット以外にもあると言います。大矢さんの感じる近江八幡の良さや、それを活かした協力隊の活動、そしてご自身のこれまでのキャリアについてなど、お話を伺いました。

生活の利便性と歴史的遺産に恵まれた近江八幡市
近江八幡市は、JR近江八幡駅から新快速で京都駅と40分弱、大阪駅とも70分くらいで結ばれていて、交通の便がいい所です。雪も滅多に積もりませんし、市内の買い物などの利便性的にも、車がなくても生活できるという印象です。実際に、私は車を持たずに大阪から移住して来ました。「都会から田舎へ移住」と言うとハードルが高いかもしれませんけれど、近江八幡は都会との距離感や市内の利便性などのバランスが良くて、移住先としておすすめです。
また、関西の中では比較的有名な観光地です。ただ、私がいいなあと思っているのは有名な観光スポットだけではなくて。近江八幡駅から離れた所に、旧市街と呼ばれているかつての中心市街地があって、そこには江戸・明治・大正・昭和それぞれの時代の建物が残っているんです。歩いて佇まいを眺めていると、きっとほんの少し前までは商店が沢山あって、人で賑わっていて、「まち」と言えばこの界隈のことを指したんだろうな、と想像させられるような所で。そんな名残が旧市街全体に感じられて、すごく興味深いんです。昔から今までの人々の日常の生活が積み重なってきたものが歴史なんだなあと思えるんですよね。
地域の人が受け継いできたお祭り

歴史のある土地なので、お祭りも古くからのものが残っているんです。春に二つ大きなお祭りがあって、3月の「左義長祭」は400年以上、4月の「八幡まつり」は1200年以上続いていると言われています。地元では、400年のお祭りは「新しい」という認識みたいです。私は移住するまで、そんなに長い歴史を誇るお祭りがあるとは知らなくて、とんでもないなって、驚きました。
左義長祭りは、全国で1月に行われる「とんど」とか「どんど」と呼ばれる祭事ですが、近江八幡では3月中旬に行われます。13ある町内毎に食べ物で作ったダシが飾られた左義⾧を奉納するんですけど、出来栄えを競ったり、旧市街を巡行したり、「ケンカ」と呼ばれるぶつけ合いがあったりします。そして、最後に担ぐ棒以外は全部燃やしてしまうんです。
一見とても派手なお祭りではあるんですけど、準備は半年以上前からとても綿密に行われているんです。年が明けると、毎晩9時から12時くらいまで、食べ物の飾りをコツコツ作るんですよ。祭りの直前には徹夜する方も多いと聞きます。それも、伝統的な職人さんではなくて、会社員の方や女性や学生、 子供とか、一般の人たちが作っているので、すごいなと思います。祭り自体ももちろん面白いんですけど、作っている過程が興味深いですよ。観光のためのお祭りではなくて、暮らしに密着した、地域の人たちによる地域の人たちのためのお祭りなんだということを感じられます。
「暮らし観光」を協力隊の活動テーマとして

私は近江八幡市の地域おこし協力隊として「暮らし観光」をテーマに活動しているんですけど、これは写真家のMOTOKO氏が提唱している概念です。観光名所に行くとか、名物を食べるといった昔ながらの観光ではなくて、地元の人が一般的に行くお店を訪れたり、普段食べられている食べものを食べたり、地元の人と触れ合ったりすることを楽しむ観光の考え方です。
近江八幡は都会からのアクセスもいいので、私は都会の人にも近江八幡へ何回も通ってもらいたいと考えています。リピーターやファンを増やしたいなと。そのために、「名所を見て有名なお店に行く」だけではない近江八幡の楽しみ方を提案できればと考え、「暮らし観光」を手段とした活動をしています。
ファンになってくれる人として私が想定しているのは、大阪・京都に住んでいて、自ら情報を得て、能動的に旅をする層です。Instagramの投稿やSMOUTの記事もそういった方々に届けることを意識して発信しています。
私が主催している暮らし観光まち歩きでは、観光ガイドもしませんし、有名な観光スポットにも訪れないんですよ。ゆっくりとまち歩きをしながら、観光客だけではなく地元の人も通うお店に立ち寄ってお店の方と交流してもらったり、ゆっくり歩くから見つけられる何気ない発見をしてもらったりしています。たとえば、あまりそういったイメージがないかもしれませんが、近江八幡には牧場がいくつもあって、軒先に色々な牧場の牛乳宅配ボックスが見られるんですよね。私にはそれがすごく新鮮に感じられていたんですが、まち歩きに参加される方の中にも同じように感じられる方もいて、盛り上がります。
ありがたいことに、まち歩きにはリピーターさんもついてくれて、移住してくださった方もいます。「近江八幡のイメージが変わった」なんて感想をいただくこともあって、やりがいを感じます。あと、地域の方が「よその人には魅力と思ってもらえるんやなあ」と気付いてくれるのも、嬉しいですね。
近江八幡ならではの魅力を伝えるために暮らし観光には向いている手段だなと思います。観光地じゃないところにも魅力があって。お祭りにしても、一般の住民が夜な夜な集まってダシを作るようなことって、消えつつある地域もあると思うんですけど、それが当たり前にある。400年もの間、形を変えながら続いてきたんですよね。それがすごく素敵だなって思っています。
あと、食べ物が美味しいんですよ。お米だけじゃなくて、野菜とか果物も産地です。牛乳もあるし、近江牛ももちろんあって、琵琶湖の魚もあるんです。食材が一通り揃っていて、新鮮なので美味しく、とにかく食が豊かなんです。
地域の人も穏やかでさりげなく優しいし、すごくいい所ですよ。

協力隊でキャリアが繋がった
私は、大学卒業後に旅行会社で働いた後、住宅業界に異業種転職して、その中でも何度か転職しました。住宅業界にいた時はインテリアデザイナーをしていたんですけど、旅行会社での経験はほとんど結び付いていないと感じていました。
でも、今、観光まちづくり分野の地域おこし協力隊として活動することになって、旅行会社で働いた経験は活きています。それに、住宅業界にいた経験も今と繋がっていて。ヴォーリズという日本で数多くの西洋建築を手がけたアメリカ人建築家が近江八幡を拠点にしていて、彼の建築物が市内にも多く残っているんですけど、私は住宅業界にいた当時、それらや近江商人の屋敷、ラコリーナなどの建築を目当てに近江八幡に何回か足を運んでいました。それが、近江八幡市地域おこし協力隊になるきっかけの一つとなりました。
これまで、回り道をしたと思うこともありましたけど、無駄なことはなかったのかなと今は感じられるようになりました。なりゆきにまかせてここまで来たような気がするけれど、やってきたことに意味はあったかなって。
任期後へ向かって
私は今、フリーミッション型の地域おこし協力隊をしていて、自ら課題を見つけて自由に企画提案をさせてもらってはいるものの、自由であるが故の悩みもあります。
私は、協力隊は行政でも民間でもない立場だからこそできることをやるべきだと思っているので、任期後にスライド起業するのは考えていないんです。それに、自らの企画提案型なので、私の後に入ってくる協力隊に引き継がれる訳でもない。
暮らし観光は手段なのに、私が任期後もそれで食べていくための目的にしてしまうと、手段と目的の入れ替えになってしまいます。任期後は別に安定した収入を確保して、今の純粋な形のままで暮らし観光を続けていきたいなと思っています。
私は協力隊になるまでは会社員の経験しかなかったので、「転職=違う会社へ行く」のが当たり前だと思っていました。でも、会社員を辞めて協力隊になってみたら、色々な働き方をしている魅力的な人が、実は世の中に沢山いることを目の当たりにしました。私も、今までの固定観念にとらわれない働き方をしながら暮らしていきたいと考えています。
