コケを愛し、コケに導かれて屋久島へ。コケを手本に目指すはコケの産業化:屋久島町地域おこし協力隊_大水孝介さん

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 1993年、日本初の世界自然遺産に登録された屋久島。屋久島と聞くと、「縄文杉」、「洋上のアルプス」、「月に35日雨が降る」などのキーワードを思い浮かべる方も多いかもしれません。どれも自然に関することですが、実は他にも「コケ」という大事なキーワードがあるそうです。

 間もなく屋久島町地域おこし協力隊の任期を終える大水孝介さんは、コケに魅せられ、屋久島でコケを普及すべく隊員になりました。鳥取から屋久島へ移住し、「海も山も川も近くて、星空も段違いに綺麗。コケもすごい」と言う大水さんに、コケの魅力や屋久島におけるコケの重要性、ご自身のコケ事業などについてお話を伺いました。

(記事掲載日:2025年3月28日)

コケに惹かれて屋久島町

 私は大学生になってからコケが好きになって、大学の研究や休みの日でもコケを見に行くという生活をしていました。その中で、コケの先生から「屋久島でコケの合宿をするんだけど来ないか。みっちりコケの勉強するぞ」と誘って頂いたんですね。私はそれまで屋久島に行ったことがなかったんですけど、コケがすごいイメージもあったし、世界遺産だしということで、コケ合宿に参加したんです。
 で、その時に関わった屋久島の人たちの良さとか、海の美しさ、コケのすごさも感じた中で、「うん、大学卒業後ここに住むのも面白いかもな」と思うようになり、就職活動もやめました。

 その後、コケ合宿で繋がった屋久島の人から地域おこし協力隊の募集があるのを教えて頂いて、応募しました。募集内容はコケ関連ではなくて、「なんでもいいから屋久島を盛り上げてください」というような自由提案型だったんですよ。なので、私は「屋久島のコケをもっと島内で有名にしよう。コケで何かできることがある」というアピールをして、無事採用されました。

コケの産業化がミッション

 当時の副町長の後押しもありながら進めてきた私の協力隊ミッションは「屋久島でのコケの産業化」です。産業化を目指すに当たって二つ分野がありまして、一つ目は栽培と販売、二つ目は魅力発信です。
 魅力発信の方は、そもそもコケが生産や栽培をされているという認知度が世の中では低いので、コケ自体について知ってもらおうと。例えば、森を歩きながらコケをガイドしたり、苔玉作り、苔テラリウム作りなんかを行っています。苔テラリウムはコロナ禍が追い風となって、じわじわ人気が上がってきています。コケらしく、ゆっくりゆっくり伸びているなと思います。
 正直なところ、島内での認知度はまだまだなんですけどね。地元の人と話していると、「えーコケで何すんの?」とか「その辺にあるもんでしょ」というイメージがありますね。

 それでも、私が大学生時代の頃と比べれば周りの反応はまるで違います。最初の頃は「何コケの研究なんかしてんの?」と言われたりしていたんですけど、今は「コケ可愛いですよね」と言われることの方が多くなったので。コケが好きだと言っても変人扱いされなくなったと思います。

元々はコケと対極の乾燥好き

 そもそも何で私がこんなにコケ好きになったかと言いますと、元々は乾燥地帯に興味があったんですよ。砂漠化が進むのを農業で止めるという研究に惹かれて鳥取を選んだんですけど、学んでいく内に乾燥地帯への興味を失ってしまって。
 じゃあどうしようかなという感じだったんですけど、何気なく道を歩いている時に出会ったのがコケだったんです。アスファルトの壁に生えるコケに、本当に吸い寄せられるかのように、ぴたっ、と見る機会がありまして。小さい範囲の中でも色んな種類のコケがあって、花みたいに綺麗な世界だなと感じたんですよ。自分の身近なところにも、こういう面白い世界が広がっているんだと。そんな衝撃を受けて、コケにはまりました。
 それからは鳥取の自然の中に遊びに行くと、気付いたらコケを見るようになってしまいました。じゃあもう研究でもやろうか、と思ったところで鳥取にはコケの先生がいなかったので、一番近かった岡山のコケの先生に教えて頂いたり、独学したりしてコケ研究を続けてきました。

今の屋久島を作ったのはコケ

  屋久島は「岩の島」って呼ばれているんですよ。島の大地は9割くらいが海底の溶岩が隆起してできた花崗岩なんです。そんなゴツゴツの岩の島だった屋久島が、今となっては自然豊かな島になっている。それはなぜかというと、岩の上に最初にコケが付いたおかげでなんです。コケの上に他の植物たちが種を落とせるようになり、少しずつ土が形成されていったんです。

 だから、今の屋久島を作ったのはコケだと言っても過言ではないくらいなんです。コケは可愛いだけじゃなくて、自然の中ですごく重要な役割を担っているんですよ。

任期後の大水さんもコケが導く

 間もなく協力隊3年間の任期が終わるんですけど、次は個人事業主としてやっていこうかなと考えています(Instagram)。
 先程お伝えした協力隊のミッションであるコケの生産・栽培に関することや、コケのガイド、ワークショップは続けていくつもりです。あとは副業として民宿のお手伝いもさせて頂いているので、そちらも引き続きやりながら、コケとも絡めていきたいなと考えています。「屋久島に行くならコケ」と言われるような場所にしていきたいなと思っているので。

 私はコケに人生を教えてもらっているなという感覚がずっとあって。コケにも色んな種類がありますけど、その全てが、自分が住める環境、生きていて心地良い環境を自身で選んでいるんですよね。選んだ環境が厳しいこともあるけれど、そこにも適応しながら生きている。自分にしか生きられない、自分だからここで生きられるといった場所をコケたちは見つけているので。コケ、小さいけどすごいかっこいい生き方してるよなって思いますね。
 それはコケだけじゃなくて、人間もそうであっていいのかなと思うところがすごくあって。やっぱり、無理に自分と合わない環境で頑張るよりも、自分に合うような場所を見つけて生きていくのは、人間にもできることだと思っています。
 例として、ギンゴケの話をしちゃいますけど、ギンゴケはすごく厳しい環境、特に紫外線が強いような場所で生きているんですよ。紫外線が強い環境で生きるために、葉緑素を葉っぱの内側に少しだけ残すことで、強すぎる紫外線から身を守っているんですよね。自分が生きるために厳しい中で工夫しながら生きてるっていうのが、ギンゴケ先輩かっこいいな、手本になるな、と。

 私も3年間地域おこし協力隊としてやってきた中で、徐々に協力して下さる方も増えつつあるので、今後もコケのようにじっくりと、自分ができる範囲で屋久島に還元できるようなものを作り上げられたらいいなと思っています。今は本当に楽しみながらやれているので。それが出来る環境、周りの人たちに感謝しながらやっていきます。