京都カラスマ大学 高橋マキさん【あなたがやりたいと思ったことをやってほしい】

京都カラスマ大学」は、大学ではありません。

学校法人ではなくNPO法人が運営し、校舎もありません。不定期開催の授業では、京都の街自体を学びの場とし、教室は毎回異なります(屋外の場合も)。

その内容はといえば、京都らしく伝統芸能の担い手にお話を聞く回もあれば、クラフトビールを飲みながら語り合う回や、コンポスト作りを学ぶ回、哲学に触れる回など、様々です。

しかも、行政の助成金を受けておらず、基本的に寄付金で運営されています(学長も授業を作るコーディーネーターも無償)。一体どのような経緯で設立され、何故15年以上も続けてこられたのか、また、運営の過程で感じられた社会の変化や課題などについて、2代目学長の高橋マキさんに伺いました。

高橋マキ さん

京都カラスマ大学 学長(代表理事)

2010年10月より「NPO法人京都カラスマ大学」の2代目学長に就任。フリーランスの文筆家・編集者として雑誌や書籍、WEBマガジンをつくる日々の合間に、21人の店長がいる「リバーサイドカフェ」の管理人さんもやる。古い町家でむかしながらの京都の暮らしを実践しつつ、「まちを編集する」という観点から、まちとひとをゆるやかに安心につなぐことをライフワークにしている。

「シブヤ大学」の姉妹校第1号

――こういった、街を舞台とした「市民大学」の走りは、東京の「シブヤ大学」ですかね?

はい、まちづくりと生涯学習の分野に該当するんですが、NPO法人のシブヤ大学が2006年に開校しています。それ以前の日本における生涯学習というと、人生の後半に入った方々、例えば、「子育てを終えてちょっと手が空いたわ」とか、「会社勤めをリタイアした後に友達を作ろう、趣味を持とう」といった方々が新聞の折り込みチラシを見て、電話かFAXで口座に申し込むというのが定番でした。

ところが、シブヤ大学は「誰でも先生、誰でも生徒」と掲げながら、授業への申し込み方法をインターネットだけにしたんです。そうすることで、当時の20代から40代の、自分で意欲的にインターネットを使用している人々に訴求したんですね。

――スマホがなかったですもんね。インターネットはパソコンを使うのが基本。

まだガラケーの時代でした。それで、生涯学習に参加する年齢層を下げたというのがシブヤ大学の最初の功績だと思うんです。そして、学長を含めた20代から30代の運営メンバー3人が、NPOの活動で食べていけるというのが画期的で、多くの人を驚かせた。あと、渋谷という遊びの街に「学び」という真逆のキーワードを持って来て人を集めたというのも、凄くインパクトがあったんだと思います。

それ以降は私達を含め、街の名前を関した「〇〇大学」は、全国にたくさん誕生しました。シブヤ大学の姉妹校だけでも、現在は全国に9校あります。みんなシブヤ大学から「ノウハウ移転」という形で、設立や運営の方法を買っています。

他にも、シブヤ大学のやり方を見て、「これ真似しようぜ」というところが沢山あるんですが、ノリで始めたり行政のお金ありきだったりで、続いていないところは山ほどあるようです。

――京都カラスマ大学は、どういうきっかけで誕生したんですか?

私は誕生の時点ではまだカラスマ大学に関わっていなかったんですが、京都のとある企業が社会貢献をしようとNPOを立ち上げたんですね。で、「さて、立ち上げたはいいが具体的に何をしようか」となったところで、皆でシブヤ大学の視察に行って感銘を受け、ノウハウ移転の第1号となり、2008年の10月に開校したと聞いています。その当時は企業が母体だったので、ノウハウを買う資金もあったんですね。

やがて学長へ

――高橋さんはいつ頃からどのように関わり始めたんですか?

私はフリーランスのライターで、東京の出版社の仕事を一度も上京せずに京都でするというスタイルでずっとやってきていまして。丁度2006年ぐらいから雑誌で京都ブームが起こって、京都特集が組まれていたんですよ。複数の出版社から仕事を受けるんです。で、みんな同じことを求められるんですよ。お寺、お土産、町家のカフェ、春なら桜、秋なら紅葉。毎回カメラマンさんと取材には出掛けます。でも、老舗の創業年は変わらないし、メニューも何十年も変わっていない。

そんな感じで、ちょっと自分で自分の仕事に飽きていたのが2006年から2008年頃ですね。それで、請われた仕事は全部やってみようという気持ちになっていた矢先に、友人伝いで「京都カラスマ大学の授業コーディネーターという役割をやってみませんか」という声がかかりました。その話があったのが開校直前ですね。

雑誌は「遠くの沢山の人達に届ける」、授業では「目の前の30人ぐらいに届けられる」ということで、どちらも同じ手法で企画できるんだけれども、届け先が違うのがちょっと良いなと思いました。

で、開校式が2008年の10月25日。金剛能楽堂でやったんですが、高橋智隆さんという当時京大生兼起業家兼ロボットクリエイターの方と、茶道家の木村宗慎さんの授業からカラスマ大学は始まりました。

――最初の頃って、すごく産みの苦しみがありそうな気がします。

最初の頃は、授業のバランスをめちゃくちゃ考えました。京都らしく、芸妓さんや茶道家の方を先生に立てたり、その一方で東京から第一線で活躍しているアーティストさんを呼んだり。「京都らしいのと京都らしくないのがあるよ」って、2つの枠で考えていたことがありましたね。

ただ、回を重ねていく内に、京都の人全員が芸妓さんのことをよく知っているわけでもないし、生徒さん達の中で、ベタベタの地元の人は割と少ないことに気付きまして。例えば、「京都にお嫁に来て20年経ったけど、私京都のこと何も知らへんわ」という方もいらっしゃる。であれば、江戸時代じゃないんだから、京都で生まれ育った人だけが京都人というわけではないよね、と。そう考えると気が楽になって、「京都らしさ」といったことに捉われなくなってきました。

産みの苦しみの話でいうと、実は、京都カラスマ大学は、立ち上げたメンバーが半年でほぼいなくなってしまったんです。

で、残されたのは私のような立ち上げ後に集められたメンバー。その人達だけで、夜な夜な会議をしました。「どうする?活動自体を休眠するか」みたいな。でも、答えは出ません。そんな状況で、1年半、淡々と授業を作り続けていました。

私は、こういう集まりは1回休んだらもう絶対に立ち直れないし、シブヤ大学の仕組み自体が凄く美しく出来ていると思っていたので、せっかくだから続けたかったんですよね。でも、進むにしても退くにしても、決定権が誰にもないんですよ。学長の席は1年半空いたままだし。

で、開校2周年のタイミング、2010年の10月に私が学長になりました。日本人は、皆で決めるのが好きですけど、皆では決められないんです。やっぱり、「進め」「もういい、やめ」って誰かが決めなくてはいけなくて、カラスマ大学にはその人がいなかったので。

資金源・・・

人間国宝の授業も等しく無料

――高橋さんが学長になられて新体制が発足したわけですね。でも、母体が企業ではなくなったんですよね。資金源はどうしたんですか?

資金源はないんですよ。

――そうなんですね。ウェブサイトを拝見しても、寄付で成り立っていると。高橋学長をはじめ、運営メンバーも無償奉仕だと。信じられません。そんなことが可能なんですか。

そうなんですよ。奇跡ですよね。本来は、国や行政の助成金、そして地域の企業から年間の支援を頂いてこそ、無料の学びを提供出来ると。でも、これ、ちょっと私の悪い所なんですけど、行政の方に説明をしている間に、授業を3つぐらい出来るんじゃないかと考えてしまうタイプで。

――助成金を受けると、活動内容が細かいジャンルに捉われますしね。

ゴミ拾いとか、子ども食堂とか、既に誰かがやっていることはおそらく通るんですけど、誰かがやっているんだったら、もういいやって。カラスマ大学では、今、目の前にある新しいこと、私達の興味があることをやりたいわけですね。でも、それらが何のジャンルに該当して、どこの助成金をもらって、費用計算して…もうわかんないやって。私はフリーランスなので、「昼間に市役所行け」って言われても行けるんですが、基本的に働き盛りの世代を中心に集まっているので、平日の「9時5時」の中で市役所に行って、1時間予約を取って、また1時間エクセルを使って説明というのはね。「仕事で散々やってることまたやるんかい」って。

――しかも、無償でやらなきゃいけない。

そうそうそう。たとえそれで助成金が下りたとしても、皆しんどいんですよ。疲れ果ててしまう。「こんなことやりたい。お金欲しい」と思って助成金を受けに行ったら、最初に自分が構想していた企画からどんどんと中身がずれてきて、ようやく「これならうちの課の助成金あげますよ」と言われる。そんなことになるくらいなら、最初からお金を介在させなければ、生徒さんが何人だろうがノルマがなくなるので気にならない。私も無料、皆も無料。で、どうしてもお金がかかる時は生徒さん達で500円なり1500円なり実費をいただきます。実は、授業の前と後に必ず寄付のお願いをしているんです。

――そうだったんですか。集まるものですか?

有料にすればいいじゃないかという話は幾度も出ているんですけどね。

授業終わりにとある生徒さんから言われたことがありまして。「寄付をしようと思って、1000円札を握りしめていたのに、私の前にいた男性が寄付ボックスをスルーしました。あの人は無料で帰らはったのに、私が寄付をしたら損した気持ちになるので、最初から『この授業は2000円です』って平等に徴収してほしいです」と。

平等って何でしょう。人が0円、私が2000円。そんな社会で良いじゃないですか。もしかしたらその男性は、前回5000円寄付してくれたのかもしれないし、家に帰ってから1万円振り込んでくれるのかもしれないし、あるいは子ども食堂を営んでいるのかもしれない。そんなことはわからないですよね。いずれにせよ、それはあなたの人生とは関係のないことだから、あなたはあなたがやりたいと思ったことをやってほしい。

現代日本人の性質としては、あらかじめ授業の価格が決まっていると何も考えなくてもいいから楽なんでしょうけど、本来、価値を決めるのは自分自身。その感覚を私達は奪われて暮らしているんですよね。そんな危機感もあって「この活動を続けなきゃな」と。

余白や余暇のない時代

まち歩き授業の様子

――そんな経緯もありながら、今年は16年目ですか。凄い。よく続きますね。

もういいのかなって思ったタイミングはありますよ。Facebookが普及して、「イベント」機能で皆が自分の関心のあるテーマについてイベントを企画して、簡単に仲間を集められるようになったのは大きかったですね。皆がこんなに上手にSNSを使えるんだったら、もう私達のお役目は終わったのかなと。

――そういうお悩みも経ていらっしゃるんですね。

そう、時代が変わったというか。よく言うことなんですが、カラスマ大学が開校した2008年にiPhoneが日本に入ってきて、人の暮らし方や他者との繋がり方が格段に変わりましたよね。そしてリーマンショックがあり、コロナ禍が来て。で、コロナ禍が明けた中で、人の動きがまた変わってきていますね。人と繋がりたいとか、まちのことをなんとかしたいとか、「余暇に何かしようかな。活動あるんだ、行ってみよっかな」みたいな呑気な人が少なくなりました。皆何かに追われている。

――タイパとかコスパばっかりですもんね。

そうそうそうそう。例えば、仕事を辞めてしばらくプラプラしているような人、京都は割と多い方だったと思うんです。それが許されるというか、そんな人こそ重宝されるという。でも、20代30代のそういう人がちょっと少なくなったかなあという感覚はありますね。

――では、余暇を京都カラスマ大学に充ててみようといった意欲は減ってしまっているんですかね。

私たちの授業では、凄く豊かな学びを提供しているんですが、何かの資格を得られるわけではないんですよね。今は「そんな暇あったら婚活するわ」とか「検定の何級取るわ」とか、自分のキャリアの為になることが優先。

――自分の市場価値を高めることばかりになってしまっているんですか。

そう、それが学びだと思い込まされてしまっている。それによって、生活の中の余白や余暇がなくなっているような気がしますね。

似ていない人が集まる

――ということは、現在京都カラスマ大学の授業に参加している人は、このご時世では相当な変わり者ということですか。

褒め言葉としての「変わり者」ということなら、そうかもれませんね。実は、シブヤ大学のメンバーに言われてハッとしたことがありまして。「カラスマ大学の生徒ってカラフルなのがうらやましい」って。カラスマ大学の生徒は、年代でいうと上が70代、下は大学生。シブヤ大学の人は「うちもそれがやりたいんだけど、どうしてもできない。若者が集まっちゃうんだ」と言うんです。

確かに、シニア、ママさん、子供などにターゲットを絞って集めるのは簡単なんですよ。「子育て中の移住者集まれ!」とか。参加する側からすると、「それ私のことや、僕のことや」って響きやすい。でも、うちは「誰でも先生、誰でも生徒」と謳っています。

そうなんですよ。でも、「誰でも」の中に大体「私」って入らないんですよね。だから、シニアの方は「若い人ばっかりでやるんでしょう」って言うし、若い人は「この間の授業レポート見たら真ん中にお爺さん写ってましたよね」みたいな。
だから、「私なんて」という思考が中央値にありそう。「誰でも」ってこんなに言っているのに、何であなたは入らないの?というのが私の中で謎の一つです。

――何故そんなにへりくだっているんですかという話ですね。

そうそう。駄目な理由はないんです。「赤ちゃんいたらいけない」とはどこにも書いていませんし、「授乳室がないと」と言うのであれば、その授業を行う教室に確認します。だから、最初から「子供いるんですけど…」なんて及び腰にならなくても。

――あらかじめ「自分じゃ駄目だよね」と言わないと物事に参加しにくい世の中なんでしょうか。

そうなんですよ。それがお作法なのかわかりませんけど。言わせてしまう社会って何なんでしょうね。

――それなのに、何故カラスマ大学の生徒はカラフルなんでしょう。

わからないんです。今は授業の申し込みの時点で頂く個人情報がお名前だけなので、年代どころか、誰が誰だかわからないんですよ。蓋を開けてみたら、20代から60代くらいがいて、男女比だと女性が少し多いくらい。そんな感じです。

授業の告知も、ホームページの他は、メルマガに各種SNS。XFacebookインスタですね。あと、京都はフライヤー文化のある街なので、たまにチラシも作ります。授業に来てくれるのは、何度も来ているファンの人が半分で、もう半分はその時のテーマや教室、先生などに引っかかって、初めて参加する人。この比率は殆ど変わらないんです。

――そうなんですね。京都という唯一無二の街で行う生涯学習は、きっと特別なんでしょうね。

シブヤ大学は、遊びの街に学びを持ってきたからインパクトが強かったと思うんですが、京都はいくらでも学びがある街なんですよね。大学だらけだし、大学がやっている生涯学習も沢山あるんですよ。NPOもいっぱいあって、学べる場所だらけなんです。カラスマ大学はその中の1つなので、差別化していくのは凄く難しい。また、敢えて得意分野は作らないようにしているので、熱烈なファンも作りにくいんです。ちょっとそこは散漫になりやすいかなというのはありますね。

――それが故のカラフルさなんですかね

そうですね。私はそれが凄く好きなんです。似ていない人が集まるという、こんな場所は他にないと思っていて。似た人が集まる場所はある。例えば、オーガニック系の人が集まるとか、ママさんばかり集まるとか。でも、そうじゃない場所を作りたいんですよね。

授業を作るスタッフも、普段は会社で上司に言われたことばかりやっていたり、家でお母さんをやっていたり、決められた役割を務めているけれど、カラスマ大学では、自分がひとり目の生徒として学んでみたいことを自由に授業として作るという目線を大切にしています。

とはいえ、「生徒さんを30人は集めないと駄目ですよね?」とか「先生は〇〇じゃないと駄目ですよね?」とか、みんななかなかに「自由」に対して臆病なんですけどね。だから、授業づくりに挑戦することは、社会の刷り込みを取り払って頭を柔らかくする為の訓練の場でもありますね。

「私」になれたら大成功

10周年を銭湯で

――自由に作られた授業に自由に参加しようよ、ということですね。

そうなんですよ。これはよくする話なんですが、スタッフミーティングをやった時、ボランティアスタッフに意見を求めたんです。「〇〇ちゃん、どう思う?」って聞いたら、彼女が一瞬ハッとなってから「うわー」って泣き始めたんですよ。何で泣いているのかわからないから、「ごめんごめん、変なこと聞いた?悪かった」と言ったんですが、彼女は「違うんです違うんです」って。

ミーティングが終わってからご飯を食べに行って、改めて何で泣いたのか聞いたんです。そしたら、「何も考えてなかった自分にびっくりして、恥ずかしくなって泣いたんです」と。どういうことかというと、普段、会社において20代の彼女は「会議に座っていること」が会議に参加することだと。意見は求められない。いつの間にか、自分をそういう風に洗脳してしまっていた。彼女は「思い起こせば、大学時代の私はそんな人間じゃなかった」ってまた泣いていました。色々と考えさせられる事件でした。

アラサーぐらいで、そういう毎日に疑問を持ってボランティアスタッフをする人も割といますね。

――そのお話を伺ったら、ますます京都カラスマ大学の存在意義が高まってきました。

さっきもお話ししたことですけど、普段は社会的な役割を演じているような人が多いので、ただの「私」になれる時間があるのは、凄く大事なんじゃないかなと思います。それが、カラスマ大学の授業であったりすれば良い。だから、学ぶことは何でも良いと思うんですよ。授業でたまたま隣に座った人と帰りにお茶して街を楽しめたり、新しい友人になれたら、もうそれで大成功。

――「役に立つ」が前提じゃない。

そうそう。もうね、明日会社に行って、朝礼で「昨日こんな学びがありました」って話すことから会話が弾んだり、企画の芽が生まれたりすれば。それでいいじゃないですか。