花咲かねーさん企業組合 尾崎恵里さん【伴走支援のテーマとしては、「まずは目の前、稼ぐこと」】

企業の女性社長比率が毎年トップクラスの徳島県(2023年は12%で2年連続全国1位)。

その徳島県に、女性の起業支援に特化した企業組合の「花咲かねーさん企業組合」があります。

4代目の代表理事である尾崎恵里さんに、組合で行っている支援や、女性社長の多い徳島県の内実、また、会社経営者でもあるご自身の歩みについてお話を伺いました。

勉強と仲間作りの場

「花咲かねーさん企業組合」は、2014年に徳島のある女性が起業する中で、女性の生き方や社会進出といったことをすごく意識されて、当時の徳島県知事と一緒に作ったのだと聞いています。

徳島県は女性社長の比率が47都道府県の中でずっとトップクラスなんです。というのも、徳島の街には美容室がすごく多いんです。なので、美容関係の女性起業家が多いのと、あとは「阿波女」と言われるんですが、元々働き者の気質を持った女性が多いというのもあるのかなと思います。

組合の仕事としては、県から事業を委託されて、これから起業したいという方や起業したばかりの方をターゲットに「女性起業塾」というセミナーを春と冬の年に2期開催しています。それを受講すると、県から修了証が発行されて、起業の支援金などの補助金が4倍になる仕組みになっています。徳島県は結構起業に優しい県かなと思います。
あと、勉強とお金だけではなくて、同じ時期に起業する人たちの仲間作りの場でもあります。

女性起業塾の初級編を受けられる方で特に多いのは、若い人というよりは「ママ層」です。
やっぱり子供を産んでから、会社で働くことに息苦しさを覚えたり、「子度を産むことで私はこういうことに悩んだから、こんな事業があったら良いんじゃないか」と思ったりして、子育てやママに向けたビジネスをしたいと考える方が大半かなと思いますね。
あと、子供を育てながら副業のようなレベルで「ながら起業」したいという方もいらっしゃいますね。

徳島県は「女性起業家ナンバーワン」って言われているので、すごく開けたようなイメージを持たれるんですけども、女性が最初から起業するというパターンはあまりないんです。
むしろ、一般的な徳島県の女性は、やっぱり子供を産むまでは正社員として働く方が多いと思います。で、普通の会社で働くと、開けた雰囲気はそんなになくて、田舎感がすごくあるんです。県内に留まっている人たちはどうしても保守的だったり、許容範囲が狭かったりするので。
特に年配の方は男女間差別の意識を持たれているので、それに対して強い不信感を抱いたり、疑問に思ったりする方は働きづらくなります。それで起業の道に進む方もいらっしゃいますね。

起業伴走支援も始める

今年から「起業伴走支援」という事業も始まるんです。女性起業塾の方は、起業する時のサポートと仲間作りの場としては良いんですが、実際に女性が子育てをしながら起業して会社をやっていくというのは、月収が20万円を超えてこないと家族から反対されることがすごく多くて。
起業してから20万円って、結構女性からすると壁なんですよね。でも、20万円を超えると何も言われなくなってきて、さらに30万円を超えてくると、今度は応援してもらえるようになります。
ご主人からしても、「俺、一生懸命働きよんのに、なんかお前好きなことして大して金にもなってないのに、家事もできてないけどなあ」みたいな気持ちになるんでしょうね。やっぱり、起業するにあたって最初は色々と手間がかかるので、家事がおろそかになったり、徹夜で作業したりしていると、「お前、パート行くより儲かってないやんけ」「もうやめろや」となってしまうんです。


なので、「月収が20万円を超えるところまで伴走してあげないと、彼女たちの事業が継続できない」と、結構前から思っていたんです。それで、組合の中で「起業後の最初のスモールステップの伴走支援ってどこにもないよね」という話を出してから、県に対して「起業してから最初の壁を超えるところまでコンサルのようについて行く伴走支援をできたらすごく良いのでは」というプレゼンをして、無事にそれが通りました。


伴走支援のテーマとしては、「まずは目の前、稼ぐこと」。起業した方が本当にやりたいこととは外れるかもしれませんけど、それは後でできたら良いと思うので。そのための運用資金や、事業を続けるための生活費稼ぎにコミットするような伴走になっています。
具体的には、顧客分析から入ったり、3C分析を一緒にしっかりとして、そこからどういうターゲット層に合わせていくのかというマーケティングをします。で、どういう文言を出していったら良いのかとか、お客様アンケートの取り方などをお伝えしています。
あとは、組合独自で「花咲かマーケット」というマルシェをする予定です。そこで実際に出店をして、運用を学んでもらえる場にします。そして、目の前ですぐに数字になるようなやり方を、毎回順序立てて課題を出したり、メッセンジャーでやり取りをしたりして、半年間支援していきます。


夢を持って、起業したい女性は結構いるんです。「私はこれがしたい」って言えるのは素晴らしいことなんですが、その目標への具体的な道のりを知らない人がすごくいっぱいいて。なので、一緒にその道を探したり、明確にしたりということをやるだけで、充分やっていけるんじゃないかなと思います。私たちも今は自分の事業でご飯を食べられているんですが、昔はトライアンドエラーがすごく多かったと思いますので。

数奇な経験からの起業

代表理事 尾﨑恵里さん

私自身は、まあまあ面倒くさい人生を送って来たんです。家庭事情が今の自分の事業に結構繋がっているんですが、それはまあ絵本に書けるくらい、お手本のような「毒親」の元に育てられました。母の思い通りに行かないと包丁が出てくるような。

そんな環境で育って、私のキャリアとしては、まず20歳の時に美容師になったんですよ。それで働き出して家にもお金を入れるようになったので、何も言われなくなるだろうと思っていたんですけど、結局それまでと全然変わらなくて。その上、美容師業も、先輩の給料を見ていたら「夢がないな」と思って、半年で辞めました。


なんでスパッと辞められたかというと、17歳の頃から続けていた津軽三味線で演奏活動をしたり、メディアに取り上げて頂いたりすることが多くて、さらにその繋がりでラジオパーソナリティーの仕事を紹介してもらったり、料亭の芸妓さんにならないかと誘ってもらったりしていたんです。
そこで、美容師を辞めてからは、津軽三味線の演奏家、ラジオパーソナリティー、芸妓という3つの仕事を始めて、26歳まで6年間ずっと続けていました。


そうして働いていたんですが、23歳の時に結婚して、26歳で初めて妊娠したんですね。私は自分の親のようにはなりたくなくて、料理も片付けもきちんとしようと思い、家庭にがっつりと入りました。仕事はほとんどしないで、土日にたまに三味線の演奏に行くぐらいでした。
ところが、家事がいかんせん苦手で、チグハグになってしまうんです。それを主人が見て、「今まで働きに行っていたから我慢できた。でも今は家にいるくせにお前何しとんねん」みたいな感じになってしまって、そこからパワハラ的なことを言われ始めました。「君の将来どんどん価値なくなってるよ」とか「僕が社長だったら何もスキルのない30歳なんて雇わないよ」とか。


あと、うちの親もまだ私を攻撃してきていたので、板挟みになって精神的にやられてしまいました。そんな中で2人目を妊娠して、「この子を産んだら離婚しよう」と思って妊娠生活を過ごしていたんです。
そしたら、その子が出産予定日の1ヶ月前に死産をしてしまうんですね。体重は2500g、身長は49cmありました。そこで、私の心は完全に折れました。それでも私の母と主人のお義母さんからは、すごく心ない言葉をかけられました。


その一方で、私を担当して下さった助産師さんは本当に天使のような人だったんです。関わり方が素晴らしくて、「人間って全然違うんだな」って思いました。
あと、ピンチの時ほど人は本質が出るんだなってことに薄々気付いてきて。でも、そうだとすると、自分もこのピンチで本質が出ているわけで、「じゃあ私は一体何ができるんだ」という感覚になりました。そして「今まで、私は何もちゃんとやってなかったんだ」と自分自身ですごくショックを受けましたね。
でも、「そういうことに気づかせてくれたんだな、この子は」って思いました。それで、「恥ずかしいママにはなりたくない、何かちょっと頑張ろう」と思った矢先に「強み診断」というものに出会いまして。


死産をした後、入院していたんですが、その時に主人が勝手にその強み診断を予約していて。「こういうの受けようと思って、退院の日に大阪から先生が来るんやけど、どうだろう」と。私は「なんじゃこいつ、バカなんか」と思ったんですけど。帝王切開して痛い中。
でも、わざわざ大阪から来る先生に悪いから、心理テストと強み診断を受けました。どうせまた外部の力を借りて私を責めるんじゃなかろうかって思って、私はすごく嫌だったんですよ。でも診断を受けたら全然違って、逆に主人がすごく怒られていました。


立場が逆転して、そこもスッキリはしたんですけど、それよりも、初めて自分の存在承認をしてもらえた感じがあって。それまでは、「三味線上手いですね」みたいに技術を誉められることは多々あったものの、私という存在そのものを承認してくれたのは、その先生が初めてだと感じました。

その後、もう1度夫婦で強み診断を受けたんですけど、そこからは夫婦喧嘩が0になりました。まあ、「その靴下脱ぎ散らかしたやつ、なんやねん」といった、ちょっとしたことはありますけど、根深くイラッとするようなことはなくなってしまいました。


そこで、私もこれをみんなに広めたいと思って、強み診断を学び始めました。さらに派生して心理学、脳科学が好きになって、意識構造学などにも興味が出て学んで、スキルを高めるために100人ノックみたいな感じで無料の強み診断を始めたんです。
そしたら、経営者の方から「コンサルできるの?うちで研修してほしい」と声をかけて頂けることが多くなってきて、「じゃあどうしようかな。B to Bやから法人でやるか」と思い立ち、いきなり作ったのが今の「価値基準.ヒト株式会社」です。
うちの会社の理念は「ヒトがイキイキと生きる世界観の創造」なんです。自分自身が強みを活かしたらイキイキできてきたので、みんなもそうなったら良い、そんな社会になったら良いと思っています。

組合での経験をステップに

私は結構いつも「昼ドラのような人生ですね」って言われてたんですよね。「ちょっと韓国映画もプラスされてますね」みたいな。でも、組合のメンバーも、大体ちょっと変です。普通の感覚の人は少ないかもしれません。やっぱり挑戦的というか。「面白くないと続けられないよね」という感覚の人が多い。だから起業しているんでしょうね。

で、自分の会社を経営しながら組合の活動もしているので、まあまあタスクが詰む時はあるんです。なので、逆に言うと、組合の理事になると能力が上がると思います。

それに、県からの委託金を扱うので、スモールビジネスをしている人からすると、自分の事業でそこまで大きいお金を動かすことはできなかったり、講師を呼ぶ際も、全国的に有名な方に声をおかけする機会があったりするので。

なかなかそういうことは自分1人の会社ではやりにくいことなので、組合の名目を使ってそれをできるのは、すごく良い成長の機会になります。

組合自体が自分の事業ではできないことに挑戦できるステップの1つであったら良いと思うので、マルシェを運営するイベント委員や、交流会を主宰する交流委員を作って、自分ではできない規模の運営の体験ができるようにしています。そういう組合はなかなか珍しいだろうから、この業態でいられたら良いなと思います。

なので、私は今、敢えて組合の仕事はほとんどしてないと思います。基本的には私が戦略を決めて決定打は出すんですが、みんながやりたいことはできそうなのであれば勝手にやってくれたら良いし、本質とずれていなければ、私はできるだけ口は出さないという感じですね。

最後に、働く上で一歩踏み出せないような状態の女性にまずお伝えしたいのは、「自分のことを自分で好きになってほしい」ということです。自分の許せない部分があると、すごく苦しいし、ストッパーになります。自分を大切にしない人は、周りからも大切にされないので、良い所も悪い所も含めて、自分を好きになってほしいなと思います。