近年、子どもたちを取り巻く環境は大きく変化しており、特に自然と触れ合う機会が減ってきていることが懸念されています。そんな中で、もっと自然との関わりを通してのびのびと学ばせたいという「自然保育」の考え方が20世紀後半に生まれました。日本では1980年代から自然を活かした保育が一部で実施されてきていますが、2000年代に入り地域独自の自然環境を活用した保育や教育実践に取り組む自治体が増えています。
特に長野県は行政としていち早く「信州型自然保育認定制度」を創設し、県内の幼稚園・保育園が子どもたちを自然の中へ送り出すことを後押ししています。
今回は、その長野県にある上田女子短期大学の幼児教育学科教授、酒井真由子先生に自然保育についてお話を伺いました。同学には「自然保育コース」と附属の幼稚園があり、多くの学生が自然保育を実践的に学んでいます。
酒井真由子 先生
上田女子短期大学 幼児教育学科 教授
大日本法令印刷㈱、長野県長野養護学校、聖ヶ丘教育福祉専門学校、洗足こども短期大学、秋草学園短期大学などを経て現職。日本自然保育学会 副会長。
上田女子短期大学において自然保育コースを設定。
附属幼稚園の園長と共に在園時、卒園児、保護者、学生、地域の方、専門家たちで裏山の森づくりを実施。
科学研究費「自然保育認定・認証制度の影響と効果に関する実証的研究」(代表山口美和)に参画。
森のようちえんの保育者らと共に、森のようちえん・野外保育におけるインクルーシブ保育の可能性を探っている。
キーワード:保育者文化、自然保育 、子どもと遊び、マスメディア、教育言説
上田女子短期大学の特徴「自然保育コース」
――酒井先生はいつ頃から自然保育にご興味をお持ちなのでしょうか。
私が上田女子短期大学に着任したのが2015年なのですが、ちょうど長野県が自然保育認定制度を設立した年でした。当時は自然保育が何なのかあまりわかっていなかったのですが、子どもにとって遊びは重要だという側面から考えると何となく良さそうだな、県がこういうものを後押ししているんだな、ということで、私も学びながら何かやっていきたいと思うようになりました。
運よく長野県から地域連携事業への補助金をいただけましたので、自然保育の研修会をやり始めたんですが、野外保育や「森のようちえん」(※1)に関わっている方々に来ていただいて、保育について学生も一緒に学んでいきました。やってみると手ごたえを感じて、他の教員の方々とも「自然保育を大事にやっていきましょう」ということで合意し、附属幼稚園が県内でいち早く自然保育認定幼稚園になったこともあって、幼児教育学科のコースの一つを自然保育コースに変えることになりました。
ですから自然保育に関わり始めたのは上田女子短期大学に赴任してから、ということになりますね。
※1 自然体験活動を基軸にした子育て・保育、乳児・幼少期教育の総称。形態としては認可を受けた幼稚園や保育園、子育てサロン、関わって活動する個人など幅広い(参考:「森のようちえん全国ネットワーク」)。
――自然保育コースでは、具体的にどのようなことをしているのですか。
もちろん講義も少しはあるのですが、特色としては、自然をじっくり観たり感じたりすること、そして附属幼稚園に所属する園児たちとの交流が挙げられます。子どもたちと学生が一緒に園の裏山を歩いたり、遊んだりするのですが、大体子どもの方が裏山のことをよく知っているので、学生が子どもの背中をヒイヒイ言いながら追っかけていく感じです。
また、例年はゴミ拾いや草刈りといった整備活動を行い、山が生き生きするように手をかけることを通じて学んでいます。後期になると子どもたちが一緒に過ごしたり、遊んだりできるような居場所づくりを学生が主体で行っています。
附属幼稚園は本学のすぐ隣にあるんですが、今日も講義をしていたら子どもたちが面白そうなことをしているのが窓から見えたので、学生たちと見に行ってきたところです。今年は年長さんがバケツで稲を育てていて、その脱穀を一緒にしてきました。牛乳パックの箱の中に稲を入れて抜き取っていくんですが、屋外で子どもたちがあちこちで遊んでいるのを見ながら作業をするのが気持ちよくて、「外だからこんなふうにできるよね」なんて話していました。
自然保育でのリスクマネジメント
――自然の中で遊ばせる、というと安全なのかという心配の声もあるかと思うのですが…
県内にある身体教育医学研究所や、やまぼうし自然学校の方など安全管理に長けている方をお呼びして講義をしていただいたり、実際に裏山を一緒に歩いていただいたりしています。先ほど居場所づくりの活動について言及しましたが、その中で直面した課題についてアドバイスをいただくこともあります。たとえば、「ここにハンモックを吊り下げたいんですが大丈夫でしょうか」、「もっと良くするにはどうしたらいいでしょうか」などと訊きながら安全管理や安全対策について機会に応じてお話ししていただいています。
また、裏山には漆の木などもあるのですが、危険だからと言って伐ってしまわないで、子どもたちと裏山に行ったときに「これは触ったらかぶれるよ」「知らない人には教えてあげてね」と伝えます。すると知らない学生に子どもたちが教えてくれるんです。こんなふうに危険なことについて学生が園児から教えてもらうこともあります。
「自分たちで保育は作れる」ことを学生が体得していく
――どのような学生さんが自然保育コースを専攻されますか。
本当にいろいろな学生がこのコースを選択してくれるんですが、「自然大好き!」という子もいれば、「外で活動するのはちょっと面倒だな」という子までいるので面白いです。
ただ、虫が苦手な学生も保育者を志す者としての心構えはわかっているようで、子どもたちの前では虫がいても「無理!」などとは言わないですね。普段から学生たちには、苦手なことがあったっていいし、得意不得意は人によって違うということを子どもたちに伝えられればいいねと言っているので、自分の価値観を押し付けないようにちゃんと振舞っているのだと思います。
――自然保育を学んでいく中で、学生さんはどのように変わっていきますか。
私たち自然保育コースの教員が目指すところは、誰かが決めたことをそのまま模倣するのではなく自分たちで新しく作っていけるのだ、ということを授業を通して学生にわかってもらうことなんですね。そこが自然保育の重要な部分だと思うんです。自分たちでできるんだ、自分たちで保育を作れるんだということを私たちはいちいち口に出して教えないけれども、学生たちは学びの中でわかっていくような気がしています。
昨年、あまり自然に関わることに対して積極的でない学生もやはりいたのですが、後期の居場所づくりの授業では私たちが思っていた以上のことをしたんです。
そのグループでは学生たちで話し合って子どもたちがゆったりできるようなハンモックを作ろうということになったんですが、いったんハンモックができて学生自身が試しに使ってみたところ「これだと一人や二人しかゆっくりできない」「もっと大人数で楽しめるようにしたい」ということで大勢が座れるように下にシートを敷いてみることになったそうです。しかし、持ってきたシートがビニール製で「自然に合わないし、ガシャガシャうるさいのでは」という意見が出たとのこと。そこで今度は生成りの布を持ってきて「これなら自然にも合うんじゃないか」と一件落着。
こうやって普段から自然の中で活動するタイプではなかった学生たちが、私たち教員が知らないところで自然を意識しながら試行錯誤していたことに私はすごく驚きました。学生にとって自分たちでゆったりしたい場所を作れたという経験も自信になったと思いますし、次の活動で秘密基地を子どもたちと作った時もとても積極的に動いていました。
学生も最初はもしかしたら「自然保育って何かよさそう」「このコースは楽そう」くらいの考えでコース選択をしたのかもしれません。でも、学生たちがコースを修了する際に出してもらうレポートには、子どもと大人の関係性、人と自然の関係性を見直したという意見がとても多いんです。例えば、「子どもと大人は対等な関係なんだ、教え込まなくていいんだと気づいた」とか、「コースを受ける前から自然には触れてきたつもりだったけれども、その頃には見えていなかった部分が見えるようになった。人と自然の関わり方について視野が広がった」といったことを書いてくれるんですね。彼女たちがこれからも自然保育を実践し学んでいく上で、とても大きな変化だと思います。
――それはとても興味深いですね。自然保育を頭で教わるのではなく、身をもって自発的に体感する、学んでいるという感じですね。
本当にそうですね。気をつけてはいるんですが、講義形式の授業では私も「余計なお世話だよ」というくらい語って「教えて」しまいます。でも自然保育の目指すところは大人が何かを教え込むのではないので、それを自然保育の実践の授業ではやっていきたいと心がけています。
――まさに自然保育の理念を、自然保育コースを受講している学生さんが実感できるように、ということなんですね。
自然保育は子どもだけでなく大人の感性も豊かにする
――酒井先生は自然保育の良さはどういった点にあるとお考えですか。
ここでは主に制度の側面から自然保育の良さの話をさせてもらうと、一つ目は、保育者同士の交流が管轄を横断してできるという点です。幼稚園と保育園、公立園と私立園では管轄が別になりますし、協会や連盟もあるのでなかなかその垣根を越えた研修会などが少なかったんですね。しかし自然保育という括りだとその垣根が無くなって横のつながりができるんです。自然保育の研修会をしたときにこれはすごく良いと思いました。
そもそも、「子どもを育てる」ということには垣根などないはずですし、保育者同士は園種に縛られることなく交流できた方が健全ですよね。実際に研修会後のアンケートの中でも、幼稚園の先生が「保育園の先生や野外保育園の先生と交流ができて満足度が高かった」と言ってくださいました。
二つ目は、自然保育認定制度を定めること自体が良いという点です。今のように車社会が出来上がる前の時代は子どもたちはいくらでも外遊びをできたと思うんですが、最近は環境が変わってしまって、その機会がぐんと減ってしまいました。保護者の方も外遊びに対して危険なイメージをお持ちの方もいらっしゃるかと思います。そんな現状の中で公の制度があると、幼稚園や保育園の先生方が堂々と外遊びをさせてあげられるようになるという側面があります。
当初は「幼稚園や保育園で外遊びをやりますよ」なんて、わざわざそんな制度を作らなくてもいいんじゃないかという意見もあったようなんです。でも自治体が率先して後押しをしてくれると、保育者は「ケガをさせちゃったらどうしよう」「洋服を汚しちゃったらどうしよう」といった心配事が少なくなります。
雨の中でお散歩をしたり、水たまりのなかに飛び込んでみたり、泥だらけになったりすることが最高だよね、と私は元々思っていたんですけれど、長野県が自然保育認定制度を設けて以降は、これまで以上に子どもたちにそういった遊びをさせてあげやすくなったと思います。保育者は心配事が減って理想の保育を実現しやすくなりましたし、子どもたちも幸せですよね 。それに、保護者にとっても「やっぱり外遊びって大事だよね」と認識を改めるきっかけにもなりましたし、制度として保障されていることの価値は大きいと考えています。
最後に三つ目ですが、私たちが行った調査では、先生方も自然保育を実践していく中で、私生活でも自然に対する敏感さが高まったという結果があります。保育を受ける子どもたちだけでなく大人たちも感受性が高まるという大きな効果があり、それが更に保育に活かされて、子どもたちが受けられる保育の質がどんどんと高まっていくのではないでしょうか。
学生たちも、自然保育を行う大人が保育を通じて豊かな暮らしができるようになっているとよく言っています。大人自身が変わっていくことが自然保育の良さなのかもしれませんね。