人と人を繋いで喜んでもらえることが本当に嬉しい:安曇野市地域おこし協力隊_松尾大さん

都市部に住んでいる熱意ある人材を地方に受け入れ、地域協力活動を行ってもらう取り組みである地域おこし協力隊。どういう人がどういう経緯で協力隊になるのだろうと、興味を持つ人も多いのではないでしょうか。

長野県安曇野市で、一風変わった経歴の持ち主が地域おこし協力隊として働いています。2024年の4月から活動を行っている松尾大(はじめ)さんに、移住するまでのことやこれから取り組んでいきたいことについてお話を伺いました。

さまざまなことに幅広く携わったジュエリー業界時代

(画像引用元:公益財団法人国土地理協会

出身は千葉県の市川市です。祖父が画家だったこともあり芸術・アートに興味を持っていたので、東京藝術大学に行きたいと思っていました。しかし、浪人もしましたがなかなか合格できなかったんです。そこでジュエリーの専門学校に行き、4年間学びました。ジュエリーと言ってもアートジュエリーの分野です。

絵画や彫刻だとキャンバスや立体物を通して表現をしますが、アートジュエリーでは身体そのものが表現媒体になるので、自由自在に作れるわけではなくて、やはり表現が制限されるところがあります。ジュエリーと言うからには身につけられないといけない。たとえばネックレスをあんまり重くしちゃうと、首が折れちゃうじゃないですか。

元々自分は工芸的な分野が好きだったので、専門学校に行くと決めたとき「商業的な勉強しかしないのかな」と少し心配だったんです。でもそういったアート分野を学べるところだったので、すごく面白くて。自分の作品が海外で展示されたり、それに伴って自分も海外に行ったりしたこともありました。

そのままアーティストとして活動していきたかったんですが、その4年間で表現を勉強しただけではまだまだ学びが浅かったんです。そこでその時には就職しようと思って、ジュエリーに関する会社に入りました。

ジュエリーの仕事って分業制なんです。企画、デザイン、製造、販売、商品管理、運営もあります…。製造の中でも大量生産の大元を作る原型師さん、石を固定する石留め屋さん、仕上げをする磨き屋さんたちがいて。分けたほうが効率がいいんですよね。

私は浪人もしていたので、専門学校時代も含めれば22歳からジュエリー業界に入りました。就職して最初の頃はジュエリーブランドの商品管理をしていました。ジュエリーと一口に言っても、ピアスもあるしイヤリングもあるしネックレスもあるしリングもあるしブレスレットもある。それぞれにデザインがあって、扱う素材も違うんですが、そういったことを業者さんに伝えるための指示書を作ったり、加工されたものをチェックしてまたやりとりしたりといったことをやっていましたね。

その後やっぱり自分でも何かやりたいなと思って、会社に勤めながらジュエリーブランドを始めました。友達にWebサイトを作ってもらったり展示会に出たり。制作も販売も自分でやっていました。結局、そのうちに会社を辞めてアルバイトなどをしながら自分の事業をすることにしたんですが、ジュエリーの機械加工もやるようになりました。ジュエリーって機械でも作れるんです。3Dでデザインして、データを機械に読み込ませて操作して、より細かく精度の高い加工をする、といった方法を学びました。

7・8年間機械加工をした後、ジュエリースクールの講師になりました。手作り結婚指輪のサービスもしている会社で、その一環としてスクールも持っていたんです。お店の方にはカップルが来て一緒に3・4時間かけて指輪を作るんです。そういった接客をしたり、会社が手掛けるジュエリーブランドの商品の制作をしたりしていました。また会社のWebサイトの管理にも関わり、インタビューをして記事を書くなどのブランド運営もしましたね。講師だけでなく、何でもやりました。

こんな感じで商品管理、制作、機械加工、接客販売、ブランド運営と、ジュエリー業界のいろいろな分野で働いてきました。
たとえば30・40年ずっと石留めをやってきた職人さんは専門の技術に長けている代わりに、販売や運営の分野には詳しくないですよね。私は突出しているものはないかもしれないですけど、全体的に経験をするというのを20年くらいやってきたという感じです。

安曇野市に移住

そうやって都会で働いている中でも、キャンプや山登りが好きでした。部屋の中にこもっていたりネットを見ていたりしても全然イマジネーションが広がらないですが、外に出て人と話すとそれを元にどんどんアイデアやデザインに繋がっていきます。また、10代、20代の頃から田舎暮らしには憧れていました。30代でバイクの免許を取ったこともあってさらにキャンプや山に行くようになり、自然ってやっぱりいいなぁと思い、安曇野にも遊びに行くようになりました。

祖母の家が福島県の郡山にあるんですが、田んぼがあって東北新幹線が走っていて、その奥に磐梯山が見えるんです。安曇野にはその風景や感覚に近いものを感じて、すごく落ち着くなぁという想いもどこかにあったと思います。

また保育園に通う子どもが2人いるんですが、大きくなるにつれて住んでいたマンションが手狭になってきました。広めのマンションに移るのか郊外に家を買うのかと考えた時に、このまま東京にいるイメージができなかったことも移住したい理由でした。

そんなふうにして安曇野に通っていたら、地域おこし協力隊の募集があったので「もう移住するしかない」と思って応募しました。
妻の親友が安曇野にいたのも移住の後押しになりましたね。そこを拠点にさせてもらって物件を探したりいろいろなところを訪ねたりしました。家探しは空き家バンクをずっと見ていたんですが、あるとき借家が掲載されていたんです。ラッキーでした。 勤めていた会社にも退社の意向を伝えたら、社長が応援してくれて。3年半しかいなかった会社なんですが、仕事内容が多岐にわたっていたので、学ぶところが多く濃い3年半でした。ジュエリーを介して人と人を繋ぐ仕事はとても楽しかったです。そこで学んだ考え方や方法を活かせるのではないかと思い、地域おこし協力隊では空き家の活用に取り組むことにしました。全然違う業界ではあるんですが、空き家という媒体を使って人と人を繋げる仕事なので、すごく面白そうだと思って始めました。

地域おこし協力隊として

安曇野市に移住して協力隊になったんですが、空き家活用事例の動画制作Instagramの運用などをする時に、前職での経験が活きています。

ただ、空き家関係の窓口業務などが今のメインの仕事なので、なかなか空き家を探すといったところまでできていないのが現状です。今までは民間の企業にいたので、市役所との仕事のやり方の違いをインプットすることに必死になっている感じですね。たとえば空き家の所有者さんが空き家を活用したいとなった時に、特定の事業者を斡旋することは難しくて、空き家バンクのシステムに登録をしている業者さんのリストをお渡しする、といったように公平性を重視しなければならない。気を遣うことが多いですね。また専門知識はまだ全然わからないので、所有者さんや不動産屋さんとお話ししていても難しいことがあります。今は宅建免許の取得に向けて勉強をしています。

でもある時、InstagramのDMで「空き家を使わせてもらいたい」という方から連絡が来て、所有者さんとも一度会って内見をすることになったんです。人と人を繋ぐ仕事がしたいなと思っていたので、ようやくそれが形になってきたのはすごく嬉しいです。こういった仕事をどんどん増やしていきたいと思っているので、空き家の掘り起こしやイベントの企画などもやっていきたいと考えています。

移住後の暮らしとこれから

東京で生活しているときに、「なんのためにお金を稼いでいるんだろう?」と思うことがありました。20代の頃は遊びに行くところもいっぱいあるし刺激的でよかったんですが、30・40代になって「家族の在り方」なんかも考えだして移住を決めたという側面もあります。

こちらに来て、隣のおじちゃんに畑を貸してもらいました。けど何を植えたらいいかわからなくておじちゃんに訊いたら「簡単だからネギ植えとけ」って言われたのでネギを植えてみました。あとナスやプチトマトやスイカなんかも植えました。いろいろ植えて採れたものを食べていたら、これってすごく幸せだなって思ったんです。もちろんかかるお金は0じゃないですが、なるべくお金を使わない生活というか、「お金に使われない生き方」が気持ちいいと思うようになりました。

自分で手をかけて、ストーリーを作ることでより嬉しく感じるという点が、私にとって大事なのだと思います。前職で結婚指輪のスタッフをしていたときも、それがすごく嬉しかったんです。働いていた3年半で120組ほどのカップルさんに対応したんですが、結婚指輪を作る時期ってたぶん2人の中で一番盛り上がっている時期じゃないですか。そんな2人の気持ちが高まっている時期に対応させてもらって、一生懸命丁寧に対応したらやっぱりすごく喜んでくださって。そういったことが自分にとってもすごく嬉しかったんですよね。

今は地域おこし協力隊として空き家の仕事に取り組んでいて、子どもも小さいのでなかなかやりたいようにできていないのですが、近い将来には気持ちの良い景色の中で体験型のジュエリー工房を作りたいとずっと考えています。私が気持ちいいなと思った安曇野に移住できたので、この場所で人生の一番良い時期に最高の体験をしてもらえたらなと考えています。出来た際はお知らせさせてください!
安曇野に来てから天然石研磨体験のワークショップを一度開いたんですが、すごく好評で満員だったんです。やっぱり自分はジュエリーが好きだなと改めて実感したところもありました。

自分が喜んで生きていける場所で、人の喜びに貢献できる仕事を目指してやっていきたいなと思っています。